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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
55/101

五五、決断

今のこの状況で、私が皆のために出来ること。

私がしなければならないこと。


涙をあふれさせながら、それを考えた。


そして、行きついたのは一つの答え。

きっと何をどうしても、それが一番いい手。


だから、私は――




「ありがとう。もう大丈夫」


たくさん泣いて、漸く涙を枯らすことが出来た私は、そっと両手で陛下の胸を押した。

軽い力だったにもかかわらずすんなりと離れていくその体に、少しだけ名残惜しいなんて勝手な寂しさを感じたけれど、それでも陛下は結局その場で泣き崩れてしまった私を覆いかぶさるようにしてずっと力強く抱きしめていたくれたから、それだけでもう充分。

立ち上がり、一歩後ろに引いた陛下から手を差し伸べられたけれど、私はそれを首を左右に振ることで断った。


もうたくさん甘えてしまったもの。

もうお終いって決めたから。


だから私は足と手に力を込めて自分の力で立ち上がる。そして、陛下に背を向けて部屋に置かれた鏡台の方へと歩み寄った。

ああ、やっぱり。

鏡に映るのは悲惨な自分の顔。


「やっぱり目が真っ赤になってる。この分じゃ絶対に腫れてしまうわ。陛下のせいよ」


鏡を見ながらそんな苦情を漏らすと、その鏡越しに呆れたような顔を向ける陛下が見えた。


「なぜ俺のせいになる」

「だって貴方のせいだもの」


溜息を吐き出し、いつものソファの方へと歩いていくその後ろ姿を鏡で見ながら私は小さく苦笑を浮かべた。

だって私がこんなに泣くようになったのはここに来てからだもの。

たくさんのものに恵まれていた王女時代はそもそも泣くほどのことなんてそうなかったし、庶民時代には泣くことは意味のない無駄なことだと思い知らされたから。泣いても何も戻らないし変わらない。私に手を差し伸べてくれる人はもう誰もいない。だから泣かないでいいように、負けないように、ずっと頑張ってきたはずだったのに。


それなのに。


始めの直談判では嘘泣きだった。けれど、花祭りの時は騙されたことが悔しくて、鹿狩りで暴れた馬から助けてもらった時は安心して、陛下がシーラ様を選んだのだと思った夜は悲しくて苦しくて、そして今日はこんな形で。

心を乱されたからだけじゃない。不思議にも陛下の前では強がり切ることが出来なくて素直に感情のまま涙を流すことが出来たのだ。だからこれはやっぱり全部陛下のせい。

そんなことを思うとなんだか甘く痺れる胸が少しだけ苦しくて、私は小さく頭を左右に振って、くるりと振り返りソファに腰かけた陛下へと視線を向けた。


「でも、ありがとう。お蔭ですっきりしたわ」


にこりと微笑みかけるとじっと私を見つめていた陛下と目が合った。


「エリカ」


そう呼びかけられて、私は「何?」と問う。


「……ティア・ラミア・アブレン、か」


私を見つめる瞳を細めながら陛下がつぶやいたその名は紛れもなく前世の私のもので、私は首を傾げ微笑むことでそれを認めた。

陛下の声でその名を紡がれるとなんだかとても不思議な感じがする。

陛下は何を思っているのだろうか。しばらくの沈黙がその場に落ちた。


「どのくらい生きた?」

「20まで」


確認するように問われたそれにはっきり答えると陛下がそんな私に何故か深々とため息を吐き出した。

なんだかそれはとても呆れているようで、私はそこに含まれるなにか嫌味な感じにムッとして訊ねる。


「なによ?」

「別に。ただお前に、この世にいる時間相応の落ち着きが見当たらないから分かるはずがないと思っただけだ」

「それはどういう意味かしら?」

「そのままだ。とても二回目の人生を生きているような思慮深さがない」


つまり、それは……やっぱり嫌味。


「し、仕方がないじゃないっ。確かに貴方より人生長いけれど、それでもその大部分を子どもとして生きてきたんだもの!」


前世で父上や兄上、そして教育係から言われていた耳の痛い指摘を思い出して、そこから全く成長していないと言われているようで私はムキになって陛下にそう言い返す。


「それにね、貧乏生活には落ち着きとか淑やかさとかそんなもの不要なのよ。大人しくなんてしてたら取って食われちゃうんだから」


貧乏はね、そんな生易しいものじゃないの。

そういきりたつ私に、陛下はそのまま少し黙りこみ、そして躊躇い迷うようにして口を開いた。


「なあ、エリカ」

「なに?」

「……お前は、どうやって何のために生まれ変わったんだ?」


何を言われるのかと、じっと陛下の言葉を待っていた私は、その問いかけに一瞬固まってそして次の瞬間、思わずクスクスと声を上げて笑ってしまった。

いけない。

陛下が気を悪くしたのかぶすりと睨んできて、私はそれに気が付いて慌てて笑いを引っ込めて陛下の傍まで駆け寄り、いつものように彼の前の床に座り込みながら「ごめんなさい」と謝る。


「改めて訊かれるとなんだか可笑しかっただけなの。そうね。普通はそんな事を考えてしまうものよね。今までこんな話を誰かとすることなんてなかったものだから。馬鹿にしたわけでも悪気があったわけでもないのよ。だから怒らないで?」


そう言い訳してみても、陛下は私を睨んで不機嫌そうにしたままだ。


「で? どういうからくりだ。こんな非現実的なこと」

「さぁ? 知らないわ、そんなこと。むしろ私が教えてもらいたいくらい」


ふてくされているような陛下に、首を傾げながらそう答える。

どうして私だけこんな記憶があるのか。

そんなの私にも分からない。

単なる神様の悪戯なのか。それともなにか理由や原因があるのか。

あるとすればそれは何か。


改めて訊ねられたことで一緒になってついつい真剣に考え込んでいると、髪に何か引っかかった感覚があって私は上目でそちらの方に視線を向けた。その先を見てみると、ソファから手を伸ばした陛下が私の髪をくるりと指に絡めてそのままそれを引っ張っていた。

陛下の指から私の髪がするりと抜け落ちる。


「あ、あの、陛下」


逸らされることのない真剣なまなざしに、つい顔が赤らんでしまうのを誤魔化すため何か喋らなければと焦った私の言葉は、けれど途中で遮られた。


「エリカ」


その硬い呼びかけに私も一度逸らした瞳を再び陛下へと戻す。


「な、に?」

「それならば、お前は何をしにここへ来た? 何のために側妃になることを望んだ?」

「何って?」


問い返したけれど、その答えはない。ただ私のその答えを待つように強い瞳で見つめてくるだけだ。私はそれに首を傾げ戸惑いながら口を開く。


「何って、陛下だって知っているでしょう? 私はここで優雅な生活を送りたかっただけだわ。失った生活を取り戻したかっただけ。他に何があるというの?」


なんで改めてそんな事を訊くのだろうか。

なんだかおかしいわ。

そこで、私は少し気にかかっていたことを思いだして急に不安を感じた。


「ねえ、陛下。貴方たちはいつから私の前世のことに気が付いていたの? 私に直接訊かなかった事情って何?」


私は膝立ちになり一歩陛下の傍へと近づいて、なにか物言いたげにしていた陛下へと問い詰める。

けれど陛下は、顔を顰めたあと私からフイッと視線を逸らした。

まるでそれを言いたくないというように。


「ねえ! いつ? 誤魔化さないで」

「……最初からだ」

「最初?」

「あの側室選定試験の時」

「え? だって」

「勿論、前世がどうとか訳の分からないことまでその時点で分かったわけじゃないが」


側室選定試験と言えば、私がここに来ることとなったすべての始まりだ。だけどあの日、私は陛下と顔すら合わせることが出来なかったはずだ。それなのに、何に気が付いたというのだろうか。

その意味のよく分からない内容に目を瞬かせた私に、陛下は一つ気だるげに息を吐き出してソファの肘掛けに頬杖をつく。


「アルフレッドがお前のことを怪しんで、だからお前を合格者としたんだ」

「怪しんでって……。それに、側室は大臣の人たちがうるさかったから私を娶ったってあのとき」


そうだ。

初めて謁見の間で会ったときに陛下は確かに私にそう言ったはずなのに。

アルフレッドとは確かにあの日言葉を交わしたけれど、そこで怪しんで合格って。

何かがおかしい。私はなんだか嫌な予感に焦りを覚える。けれど、そんな私に陛下は小さく首を横に振った。


「多少うるさいくらい今更どうということはない。元々、あれは合格者を出さないことを条件に出てやったんだ。大体、お前はおかしいと思わなかったのか? 何故自分が合格となったのか」

「何故って、それは私が完璧に振る舞って見せたから」

「その完璧な振る舞いは普通、庶民でも出来るものなのか?」

「まさか。そんなことを身に付ける必要ないもの。出来るはずがないから私に有利だったんじゃない。……って」


出来るはずのないことが出来たから怪しまれた? でもそれがどうしたというのだろう。そんなことくらいで怪しんで、その上、わざわざ合格者にする?

顔を青くしながら混乱する私に、けれど陛下はさらに追い打ちをかけるようにその答えを私に示す。


「それだけじゃない。お前の作法がアブレンのものだったことも問題だったんだ」

「アブレンの?」

「知らないのか? その国々で作法は多少なりとも変わってくる。それこそ挨拶の仕方一つにしたって違うんだ」

「あ、……だって、私はアブレンから出たことがなくて」


ランベールのようにアブレンに外交で訪れる王族や貴族は決して少なくなかった。けれど、彼らはきっとアブレンの作法に則っていたし、私にとっては合わせてもらうことが当たり前で、だから特にそれを気にしたことなんてなかった。そのことを頭に置いてここで振る舞ってなんかいなかった。

まさかそのことでアブレンのことに気付かれるなんて思わずに。

でも、でもそれじゃあ。

陛下たちが怪しんだっていうのは……。


「もしかして私は……、アブレンから来た敵だと思われていたということ?」


まさか、そんなこと。

半信半疑で顔も声も強張らせて訊ねる私に陛下はなにも答えない。けれどそれは。


「そう、なのね? じゃあ私を傍に置いていたのは」

「お前が何者か探るためだ。敵だと断定していたわけじゃない」


そんな!


「探るって、断定していたわけじゃないって言ってもそんなの。私はずっと貴方にそういう目で見られていたの? 信じて貰えてなかったの?」


そんなことって。


「酷い! 私はそんな事しないわ。私は貴方たちに嘘を吐いたことなんて一度もない。いつだってちゃんと向かい合っていたつもりだったのに」

「分かってる」

「でも、皆で私を疑っていたんでしょう? 私のこと」


クラクラとする頭を、こめかみに手を添えることで支える。

信じられない。心が大きく切り裂かれたように痛いけれど、もう泣く気力も怒る気力も私には残ってなどいない。

その代り、私は膝立ちしていたその場に座り込み俯いて唇を噛み締めた。


そんな私の頭を陛下の手がまるで機嫌を取るような手つきで撫でてくるのを感じる。

今はそれを振り払ってしまいたいくらい悔しい。それなのに実際それが出来ず、その手をそのままに受け入れて慰めを求めてしまう自分にまた悔しさを感じる。


「望んでいたことじゃない。そうしなければならなかったんだ」


頭上から陛下のそんな声が聞こえる。

そうしなければならない。

それはそうだ。これは仕方のないことだろう。だって、


「そう、よね。ここは、陛下の治める国だものね。守る義務のある、大事な国」


だから、どんな人間だろうと、それを害するものは許されない。この国で生きる民たちの為にも。

陛下たちは怪しい人間である私に対して当然の行動をとったまでだ。それを責めるわけにはいかないことくらい、私にも分かる。

王族にとって大切なのは国を守ることであって、個人の感情を優先すべきではないことくらい知ってるもの。

私は顔を上げ、無理やり笑みを作って「そうでしょう?」と陛下に問いかけた。


「……ああ」


陛下のそんな静かな肯定に、私は浮かべた笑みを深いものへと変える。


「そっか。そうよね。だから、陛下は要らない側妃を、形だけでも娶ったのよね。今まで私に付き合ってくれてたのよね?」


無理やり作った笑みに、少しだけ皮肉のような、自嘲のようなものが混ざってしまった気がするけれど、それはこの痛みに免じて許してほしい。


「エリカ」


ほんの少し怒ったみたいに私を呼ぶ陛下の声に、だけど私は彼が何かを言う前にと急いで声を上げた。


「ねえ、陛下。一つ訊いてもいい?」


何だと言いたげに陛下が私を見るから、私はそれを肯定ととってせめてもの救いを求める為に陛下へ質問を投げかけてみる。


「陛下は、私が本当に敵でなくてよかったと思う? もし、私が本当にアブレンの手の者で、重要な情報を握っている人間だったなら、そっちの方が良かった?」

「そんな事はない」


きっぱりと断言されたその答えに、私の心はじんわりと満たされる。


「……そう」


だから、私は一度瞳を伏せて、そして、


「それならいいわ」


その返事に頷いた。

それならいい。

贅沢なんて言わない。

ちゃんと間違えずに答えを探し当ててくれた。そして私にそれだけの価値を見出していてくれたのならそれだけで、もういいわ。

だから、私はもう満足だから。


頑張ってみよう。


守れるように。

陛下と、陛下の大切なこの国を私のこの手で守れるように。

私も無関係ではないであろう苦しみから兄上を救うためにも。

あまり勝算はないけれど。

それでも、大人しくその最悪の状況を待っていることなんて私には出来ない。


覚悟は決まってる。


私は私の大事な者のために出来ることをしてみせよう。

その為にこの人生を使うのも悪くない。

それに折角手に入れたこの側妃生活だってこの国が滅びたら台無しになってしまうわけだしね。

だから、ちょっとだけこの決断を嫌だと思う心があるけれどそれは仕方がないわ。決して自己犠牲なんかじゃないはずだ。

そんなことを思って私は小さくクスリと口元に笑みを浮かべた。


そして、


「ねえ、陛下。お願いがあるの」


姿勢を正して、陛下をすっと見上げる。

陛下が息を飲んで、小さく濃い青の瞳が瞠った。

私は、その瞳をじっと見つめて告げる。覚悟を。


「少しでも今までの私を信じてくれるつもりがあるのなら、もう少しだけ私を信じてほしいの」


お願い。

私を信じて。

そして、


「私をアブレンに行かせて欲しいの」


もう一度かけがえのないあの地へと、私を。

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