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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
50/101

五十、罪と罰と

その後、それぞれが事の始末をつけるため慌ただしく私の部屋を出て行った。

夜も更け、あれから随分と時間が経っている。

全てが上手くいっているのなら、シーラ様が仕向けたとおりエヴァンズ侯爵がもうすでに捕えられている頃なのかもしれない。


私はと言えば、陛下たちが去って行ったのと入れ替わりに部屋に戻ってきたマリアにベッドから出ることを禁じられ、せっせと世話を焼かれていて。

それはいいのだけれど、


「エリカ様、本当に申し訳ありませんでした。わたくしがちゃんと確認していれば……」


うっすらと涙を浮かべて頭を下げるマリアの、この謝罪を聞くのは一体何度目になるだろうか。

何事も真面目というか、一生懸命なところはマリアの良いところではあるのだけれど、こんなに目一杯落ち込んだ様子で責任を感じられてしまうとさすがにこっちも気が重い、というか罪悪感のようなものまで感じる。


「いいのよ。気にしないで。大したことなかったんだし。それに助けてくれたのも貴女なのよ? 私はそのことをとても感謝してるの。だからもうこのことは言いっこなし。ね? そうしましょう?」


取り敢えず、やっぱり何度目になるか分からないそんな言葉をかけてマリアを宥める。

けれど、マリアは俯けた顔を上げることもなく、暗く落ち込むばかり。

あぁ、もうどうしたらいいのかしら。

困り果てた私は、それでもと一生懸命マリアを声をかけていた。


だというのに。


「全く良くなどありませんよ、エリカ嬢。あんなこと、決してあってはならないミスです」


突然、ドアの方から聞こえてきたのは冷たい冷たいそんな声。


「アル様……」


ハッとしたように私と一緒にそちらの方を振り返ったマリアが、ベティーと共に部屋に入ってきたその人物の名を呟き、泣くのを我慢するように唇を噛みしめてやっぱり先ほどと同じように顔を俯けた。


ああ、もうさらにマリアが落ち込んだじゃないの。

どうするのよ、もう!


私は不満たっぷりにアルフレッドを見つめてみたけれど、彼は珍しくその顔に笑顔を浮かべこともなく、なんだか少し不機嫌そうにマリアを見やって、そして私たちの方へと近づいてくる。


「失敗を犯した人間にはそれ相応の叱責、または処罰が必要です。人の上に立つ者が甘いことを言っていてはいけません。皆に平等でなければならない。その後の対処など当然のことであってミスを犯したこと自体が問題なのです。エリカ嬢だってそれはよくお分かりでしょう?」

「それはそうかもしれませんが……」


特別扱いは許されない。失敗は失敗だ。それが自分にとってどのような存在であろうとも、下の者に示しをつけるためにもいつでも毅然とした態度できちんと罰さなければならないと、父上だってそう仰っていた。

けれど、マリアだってもうこんなに反省しているのに。

だから、もう特別何かを科す必要はないのじゃないかと思ってしまう。その考えが甘いと今、言われているのだろうが。


私たちの元までやってきたアルフレッドは、そんな私へなのか、それともマリアへなのか、一度こちらに聞こえるようにため息を吐き出したあと、気を取り直すように私に向かって笑みを作って見せた。


「まあ、それはそうと。エリカ嬢」

「はい」

「実は貴女にお願いがあって来たのですが」

「……なんでしょう?」


この人が私に向かってお願いだなんて、一体何事だろうか?

私はつい警戒心に浮かべた愛想笑いを引き攣らせて、身構えながらそう問いかけた。

アルフレッドはなんだか困ったように小さく首を傾げて微笑む。


「実は、陛下が姿を消してしまいまして」

「それは……!」


もしかして陛下の身に危険が?

それは大変だと焦る私にアルフレッドがくすくすと笑い声をあげた。


「いえいえ、違います。言い方が悪かったですね。正しく言えば自ら身を隠されたのですが」

「……はあ」


なんだ。そういうことか。思わず気が抜けてしまう。

それで、それがどうしたというのだろう。私はアルフレッドの顔を見つめて言葉の続きを待つ。


「宜しければ陛下を捜してはいただけませんか? ベティーの話によるともうエリカ嬢の熱も下がられたそうですし」

「そうですけど、でも??」


確かにお城はすごく広いけれど、私まで捜しに出ないといけないほど人手が足りないのだろうか? そもそも陛下だって子どもじゃないのだからいなくなったところでちゃんと自力で戻ってくるだろうに。まあ、一人でいるのならば身の危険が心配ではあるけれど。それでもなんで私が?

そんなことを考え、戸惑いを覚えながら首を傾げていると、アルフレッドはベッドに入ったままの私と視線を合わせるようにその場に片膝をついて、少しだけ寂しそうに笑う。


「あの方は、昔から何かがあるとこうやって姿を消してしまうところがあるんです」

「……はあ」

「だから、貴女に傍に行っていただきたいのです」

「え?」


私は、言われた言葉の意味が瞬時に理解できなくて、そのままパチパチと瞳を瞬かせた。


「あの、それって?」


つまり、陛下を捜すのは私だけと言うことだろうか? そしてその傍に寄り添えと?

アルフレッドは私に向かって一つ頷いて見せる。

でも、


「でも、陛下だって一人になりたいんじゃ……」


“何かあると姿を消す”。陛下に何があったか考えればそれはきっとアリス様のこと。シーラ様の言葉を聞いて、伝言を聞いてきっと様々な想いを抱いただろう。

そっとしておいて欲しい。だからこそ陛下は姿を消したはずだから。

だから私なんかが行ってもただ邪魔なだけだ。

けれど、アルフレッドはそう思う私にゆるく首を左右に振った。


「それでも、きっと今、陛下には貴女が必要だと思うんです。だからお願いします。エリカ嬢」


何故そう思うというのだろう?

けれど、真摯にそう頼み込まれて。


心配じゃないわけじゃない。

陛下が悲しんでいるというのなら慰めてあげたい。

傷ついているというのなら癒してあげたい。

出来るかどうかは別としてそう思う心が先ほどから確かに私の中で燻ってはいて。


私が行ってもいいのだろうか?

様子を見に行くくらい、許してくれるだろうか?

嫌がられるかもしれない。面倒くさがられるかもしれない。

でも、

陛下が邪魔だと言うのなら、そのときは戻ってくればいいだけよね?


「……あの、私で良いのなら」

「助かります」


そう言って頷きながら立ち上がるアルフレッドと共に、私もベッドから降りる。


「それで、陛下の居そうな場所に心当たりは……」

「ええ、いくつかお教えいたします。必ずしもそこにいるとは限らないのでご足労をおかけすることになるかもしれませんが」


私は、すでにアルフレッドから話を受けていたらしいベティーが差し出してきた上掛けを手に取ってそれを肩にかけた。

マリアがそんな私の横で何かに驚いているようにじっとアルフレッドを見つめている。

その視線に気が付いたようにアルフレッドがマリアを見た。


「マリアは私と共に来なさい。話があります」

「……はい」


あからさまに冷たくなったその声と表情に、マリアが再び顔を俯けて小さくそう返事をする。


「あの、あまりマリアをお叱りにならないでくださいね。その……、勿論先ほどアルフレッド様が言われたことは分かっているのですがそれでもなんとか」

「善処は、しますよ」


なんだか信用ならない薄い笑みを浮かべてそう答えたアルフレッドに不安を覚えて、マリアの耳元で「何を言われてもあまり気にしちゃだめよ」とこっそり言うと、マリアは「大丈夫ですわ」と小さく笑う。

本当に大丈夫かしら。

なんだかすごく心配だわ。

けれど、アルフレッドに反抗することも出来ず、私は彼に教えられた場所に向かうべく、後ろ髪を引かれる思いでマリアとは部屋の前で別れた。




それにしても……。


なんでこんなに寒いのによりによって外になんているのよ!!


私は降り積もった雪を踏みしめながら、東の庭園の一角に設けられた、立派な石造りの東屋へと向かって庭園を歩いて行く。

まさかと思っていくつか教えられていた候補地の中で一番後回しにしていたのに。まさかここにいようとは。

それでも、月明かりにプラチナブロンドを輝かせ、まるで雪に同化するような白い衣を纏ってそこに座り込んでいる後姿はずっと捜し歩いていた陛下に違いなくて。


私は冷たくなりすぎてすでに感覚のなくなった足を雪に取られつつ、それでも頑張って動かしていく。

漸くそちらに近付いたころ、ザクッという雪を踏む音に気が付いたのだろう。

陛下がハッとしたようにこちらを振り返った。

けれど、その瞬間。


「っくしゅん」


駄目だ。寒すぎる。上掛けを胸元で握りしめる私の口からくしゃみが一つ飛び出した。

陛下が驚いたように立ち上がり私の方へとやってくる。


「……何をしているんだ。お前は」

「あのね、アルフレッド様から陛下がいなくなったって聞いて、それで……」


のこのことやって来たわけだけれど。

そんな私を見る陛下が思いっきり顔を顰めて、私は陛下に手を掴まれてそのまま東屋へと引き入れられた。

屋根のあるそこには雪がなくて、周りよりも幾分かましではある。

けれど、陛下が私に向けるのは不機嫌そうな顔。


「あの、……陛下?」


やっぱり来たのが不味かっただろうか。

そう思ったのだけれど、陛下の手は私の上掛けにのびて、そのまま綺麗に直される。


「お前は熱があるんだろ? 何故部屋で大人しくしていない」

「えっと、熱はね、もう下がったの。ほら、元々病気で出た熱じゃなかったし。もう大丈夫よ」


どうやら陛下は心配をしてくれたようで、それだけで私は嬉しくなって声を弾ませる。

けれど、


「それで? アルフレッドから俺を捜すよう言われたか?」

「う、うん」

「まったく、あいつは何を考えてるんだ」


吐き捨てるように陛下がそう言って眉間に皺を寄せるのを見て、やっぱり私は来るべきではなかったかとすぐに後悔する。


「あの、ね。私が居ない方がいいならすぐに戻るから、だから」

「……別に、居るのは構わないが寒いだろ」


俯きながら早口で問いかけた私に陛下はそう答えながら私の隣に片膝を立てて座り込む。

そして、下から私の顔を覗き込んできて。


「平気よ、これくらい。だから、傍にいさせて?」


恐る恐るそう頼むと、返事をする代わりに陛下が私の腕を引っ張って来て、同じようにその場にぺしゃりと座らされた。

床石が冷え切っていて氷のように冷たいけれど、どうやら受け入れて貰えたらしいことがすごく嬉しくて、それは我慢することにした。


闇夜に落ちる沈黙に、私も陛下にならってぼんやりと庭園を眺める。

この東屋は、昔よく陛下やアリス様たちが集まって過ごしていた場所だとアルフレッドに教えられた。

沢山の思い出がこのあたりには溢れているのだろう。

それを眺めながら、今、陛下は何を想っているのだろうか。

私はそっと横の陛下の方へと視線を移した。

けれど、翳った瞳からは何も感じ取ることは出来なくて、その視線に気が付いたように振り向いた陛下の瞳が私のものとかちあう。

なんだ? とその視線に問いかけられて。


「えっと、ね。そう! シーラ様やエヴァンズ侯爵は結局どうなったのかなと思って」


本当は、もっと違うことを問いたかったのに慌てた私の口から飛び出したのはそんな言葉。


「エヴァンズは捕えさせた。シーラの言ったとおり屋敷から大逆罪の証拠となるには充分すぎるものが出てきたからな。手順を踏んだうえで家は取り潰すし奴自身も処刑する」

「処刑……」


それは恐ろしい響きだけれど、前国王様まで手に掛けているのならば仕方のないことなのだろう。


「エヴァンズの取り巻きたちも、国のためにならない奴らはこの機会に一掃していく。そのために今まで動いていたからな」

「私、そんなこと知らなかったんだけど……」


陛下がシーラ様をお妃さまに迎えるためではなく、他の思惑があって彼女を近づけたのだということは陛下とシーラ様の会話から察することが出来た。でも、私にも少しくらい教えてくれてもよかったのに。そうすれば私は勘違いしなくて済んだかもしれないのに。

勿論、私には関係がないことだからだとは分かっているけれど、ついつい不満げな声が自分の口から漏れる。

だから、私は気を取り直すように問いかけた。


「それで、シーラ様は?」

「明日にでも寺院に移す」

「……そう」


仕方のないことだ。

例え陛下たちのことを考え、“手段”として使われたのであっても、エヴァンズ侯爵のお屋敷を検める口実になったシーラ様の罪をなかったことに出来ない。法に則って寺院に入れることになるのだと私の部屋で事前にアルフレッドから了承が取られていた。

けれど、シーラ様はさしてそのことに抵抗を見せず、それでいいのだと言っていた。


『それは覚悟の上ですわ。それに……』


シーラ様の居た寺院の上層部はお金に魅せられ欲にまみれてしまっていたけれど、それでも他の、神に仕える信徒たちは、他人のことにとても熱心で心温かな人たちばかりで、他人に姿を見られないように閉じ込められた部屋の窓からその姿を見ていたシーラ様は、そんな人たちにずっと憧れを抱いていたらしい。

いつか、あんなふうに振る舞えたらと。

だからこの処罰は苦ではないのだと、むしろ嬉しいことなのだとシーラ様は言っていた。

けれどそれはどう考えても自由のない生活で、もう少し何とかならないのかと言った私にシーラ様は笑顔で首を左右に振って見せた。


『それでもわたしはもう身を隠す必要がありません。やっとわたしはわたしの人生を歩むことが出来るんです。父からもアリスからも漸く解放されます。それだけで充分』


その顔は、どこか憑き物が落ちたようなすっきりとしたもので。

だから、私ももうそれ以上何も言うことができなかった。

ただ、その中でも幸せであってほしいと願うだけ。


「そうだ。処罰と言えば」


不意に先ほどのことを思い出して、私は声を上げた。

なんとかしてもらうことが出来れば。そんな思いで、陛下に話す。


「今回のことでアルフレッド様がマリアのことをとても怒ってるみたいなの。ねえ、貴方が何とか執成してくれない?」

「マリア?」

「ええ。マリア、気づかずに私にシーラ様のクッキーを出したことに対してただでさえ落ち込んでいたのにアルフレッド様ったらきちんとした処罰が必要だとか言ってとてもマリアへの態度が冷たいんだもの。その上、マリアを叱るために連れて行っちゃって。あまりにもマリアが可哀そうだわ」


私の訴えに、陛下は少し考えるように口元に指をやり視線を落とした。


「それなら……」

「それなら?」

「多分、心配しなくていい。どうせそういうのじゃない」

「どういうこと?」


そういうのじゃないって、じゃあどういうのよ?

意味が分からなくて私は眉を顰めて陛下を見たけれど、彼は立てた膝に両手を重ね合わせ、その上に顎を乗せて伏し目がちに遠へと視線をやった。


「あれは性質は悪いが、俺とは違うから。下手に追いつめたりなんかしない」

「それならいいけど……」


いいのか? 性質が悪いってところが厄介なんじゃ。

マリアは本当に大丈夫かしら。

そう思ったけれど、信じるしかないのだろう。そう思って黙ると、私たちの間に再び沈黙が落ちた。


追いつめる、か。


「ねえ、貴方は自分を責めてるの?」


なんとなく、自分とは違うと言った陛下のその言葉は、陛下とアリス様のことを指しているような気がして、私は陛下にそう問いかけた。

陛下は、視線だけ私に向けて、そして思いを巡らせるようにその瞳を伏せる。


「……そうだな。責めているし悔いてもいる」


静かにそう答えた陛下は、懐からシーラ様に渡されたアリス様の人形を取り出して、掌のうえのその人形を親指で弄ぶように転がし、そしてそのあとそれを固く握りしめた。


「あのとき、アリスが死んだとき、もうこれで与え方の分からないものをせがまれて泣かれて、責められることもないと、本当は心の奥底で安堵してた。楽になれたような気がしたんだ。アルフレッドやオルスのように純粋に悲しむことが出来なかった。そんな自分が嫌で、目を逸らしてしまいたかった。でも、アリスは忘れさせてはくれなくて、苦しかったんだ。今でも変わらず乞われているようで、アリスを愛せなかったことを責められているようで。悲しみを装いながら、本当はそんなアリスを俺はずっと恨んでたんだ」


そんなどこか自分を堕とすように人間味のない台詞を吐きながら、それとは裏腹に陛下の顔は苦しげに歪む。

そこで、ふと思い出したのはマリアと三人で行った花祭りのときの陛下の言葉。


『もし、本当に感情を失くすことが出来るのなら楽になれるのだろうな』


大通りで零れ落ちたあの言葉はもしかするとこのことを想って言ったものだったのかもしれないと、そんな気がした。


「けれど、そもそもの原因は俺だ。あの時、きっと中途半端なことをするべきではなかった。アリスの想いに応えることが出来ないのなら、エヴァンズのことを疑った時点でもうアリスも断ち切ってしまわなければならなかった。それなのに俺はアリスを傷つけることを恐れて、アリスがそれを望んでいるのならと妃にと決めたから、結局その甘さと弱さがアリスを死に追いやった。俺がアリスを殺したようなものだ」

「それは。それでも……」


シーラ様だって、アリス様は陛下の隣以外を望んでいなかったと言っていたし、少しでも想いを返そうとしていたのならそれだけでも陛下は充分のことをしたんじゃないかと、死はアリス様自身が選んだものだと、そう言いかけて、止めた。

だって、そんなの何の慰めにもならない。

けれど、ますますこの人が自分を追いつめるのをただ見ていることなんて出来ない。


だから、私も、ずっとずっと心の引き出しに隠していた懺悔をそっと取り出す。忘れてはいけない罪を。


「陛下が、そうすべきではなかったと、間違ったと思うのならそうなのかもしれない。でもね、人間なんてそんなものだわ。どうしても間違ってしまうの」


庭園をなんとなしに眺める私を陛下が見たのが気配で分かった。


「悪気がなくても、言葉の使い方ひとつを間違えただけで人を傷つけてしまうことがあるわ。ちょっとした行動一つがとんでもないことを引き起こすこともある。

完全に、正しい道のみを歩いて行ける人間なんてきっとこの世にいない。誰もが間違いを犯しながら生きてる。

だから、私も」


私も陛下の方を向いて視線を合わせる。


「私もね、幾つか覚えがある。その中にね、私の我儘のせいで他人の人生をきっと台無しにしてしまったんじゃないかと思う事実(こと)があるの。“ごめんなさい。ごめんなさい”そう強く叫んでも、今更彼に届くことはない。あの場所、あの瞬間に戻ることが出来ない私は、彼を庇うことも出来ない。そのことを今でもとても申し訳なく思ってる」


アブレンの、あの最期の日に私と共に遠乗りに出かけた馬丁のマルコ。

私はあの日、彼に我が儘を言った。私の馬であったクレメントではなく兄上のエミリオに乗りたいと。

それを仕方ないと、受け入れてくれたマルコはきっと無事ではいられなかったはずだ。王女をみすみす死なせてしまったのだ。無事であったはずが、断罪されなかったはずがない。

あんなに私に良くしてくれていたのに。

そんなつもりはなかった。けれど、私の軽率な思いつきが彼を巻き込んでしまった。

あの時の間違いは私の忘れてはいけない罪だ。

でも、それでも。


「でもねその人、私に言ってたの。どんなに遠くに行っても、いつまでもそのままでいてくださいねって。その伸びやかさが貴女の魅力なのですからって」


『姫さん。何処に嫁がれようとも、姫さんは姫さんのままでいてください。いつまでもその笑顔が曇ることなく輝き続けることを、私は願っとります』


いつだったか、この国で遠乗りに出かけられるのはあと何回かしらと漏らした私にマルコは悲しげに目を細めて微笑みながらそう言ってくれたことがあった。

だから、


「ねえ、覚えてる? あの花祭りの時、貴方が言っていたの。我儘は許されないって。

そのとおりなのかもしれない。そうすれば彼は罰せられることがなかったと思う。だから勿論、反省はしてる。悔いてる。けれど、彼はこんな私がいいって言ってくれたから、だからそれを殺して生きるのは違うと思う。

アリス様もきっとそうだと思うの。そんな貴方の、彼女を切り捨てられなかった優しさもきっと彼女は好きだったのだと思うの。

間違いを悔いて成長することは大切よ。だけどその方向を間違ってはいけないわ。だからね、すべてを封じ込めてしまわないで」


もし、これが私の勝手な思い込みだとしても。私はそうだと思っていたい。


「……許されて、いいんだろうか。アリスを幸せに出来なかったのに俺がそれを望んでいいんだろうか」


アリス様の人形を握りしめた手を額に押し当てた陛下が、恐れ、躊躇うようにそう零した。私はその姿にニコリと微笑みかける。


「幸せになってってアリス様の言葉ね、きっと嘘なんかじゃないと思うの。私ね、死んでしまった人の気持ちはよく分かるから」


私を見た陛下が怪しいものを見るようにその顔を歪めた。


「あっ、違うの。分かるって言ったって霊が見えるとかそういうのじゃなくて、なんていうんだろう。遺して逝ってしまう人間の気持ちがね、分かるのよ」


慌ててそれだけを付け加えて、一呼吸置き、そして私は空を仰いだ。

澄んだ空には煌めく数多の星々。


「忘れないで欲しい。たまにでもいいの。私のことを思い出してくれたら嬉しい。いつまでも、その人の大切な人間のうちの一人でありたい。でもね、泣かないで欲しい。悲しまないで欲しい。私がいなくなったことでその人が悲しみの渦に呑みこまれることなんて、そんなの望んでないわ。そうなってしまうくらいなら、いっそのこと忘れてもらって構わない。だから、どうか幸せで。そう、いつも願ってる」


忘れられてしまうことはやっぱり悲しいけれど、それでも大切な人には、私のせいで悲しい想いに囚われて欲しくなんかないから。


「だから、貴方も信じていいんじゃないかしら。アリス様がもういいって、これからの幸せを願ってくれるのならそれを拒む必要なんてないはずよ。もう、許されていいはずだわ」


私はそう陛下に笑いかける。

陛下の幸せは、彼のことを好きな私の幸せには決してつながらないとしても、それでもそう思うから。

そう思って、そしてふと胸を過ったのは微かな羨望。


「……私も伝えられればいいのに」


アリス様の死はみんなの心に影を落としていた。でも、私は彼女を責めることが出来ない。

だって、私も同じだから。

今回、陛下やシーラ様たちの想いを目の当たりにして、初めて思い知ったことがあった。私は今まで遺した者としての想いしか理解できていなかったのだと。

私が遺してしまった父上は、そして兄上は私の死をどのように受け止めたのだろう。

きっと悲しんでくれただろう。

今までその程度にしか認識していなかった。

けれど、遺された者には遺された者の辛さがあったのだ。悲しんだだろう。その程度の簡単なものだった?

もしかしたら大きな傷をお二人には負わせてしまったのかもしれない。


「……私は、」


そっと瞳を伏せて、兄上の姿を思い浮かべる。


「まだ間に合うかしら。今からでも、伝えたいこと伝えられるかしら」


信愛も感謝も謝罪も、伝えたかったことはたくさんある。

シーラ様がアリス様の想いを伝えたように、エリカにだってティアの想いを伝えることはできるだろうか。

そんな日が訪れることを願うのは許されるだろうか。

兄上、いつかあなたにと。


「エリカ?」


横から陛下に声をかけられて、私はそちらの方へと顔を向け、なに?と首を傾げた。

陛下はそんな私に瞳を細めて、そして、私の腕を強い力で引っ張る。

バランスを崩した私は、気が付いたら陛下の腕の中に引き寄せられていて。


「ど、どうしたの!?」


驚いた私が混乱しながらそう問いかけると、陛下はその腕にさらに力を込める。まるで何かを引き留めるかのように。


「寒いから」


そう言った陛下の声は小さく掠れていて、なんだかその体が少しだけ震えているような気がした。

けれど、その震えは寒さからというよりも、どこか怯えを含んでいるようで。


「そうね」


私はその背にそっと腕を回して、宥めるように優しく撫で、そしてそのまま縋りついて身を任せた。


私には分からなかった。

だけど、もしかするとこのときにはもう、陛下は感じ取っていたのかもしれない。

これから起こることの、その予感を――

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