31.エピローグ
「ええ~、パンもらえなくなるのかよ」
さて、ヤーナックでは、警備隊の扱いが変わり、それに伴って訓練内容やらなにやらに変化が見られた。警備隊の人々は残念そうにヘルマに文句を言う。が、その代わり、町から補助金がそれぞれの家庭に出ることが決まったので、渋々了承をした。ミリアが「パンで釣られる時期は終わったでしょう」と言えば、人々は「パンの完成度もあがったしな! 最初に比べりゃ、だいぶ美味くなったもんだ」と返してみなで笑った。
サーレック辺境伯から派遣された5人も、今は警備隊たちをうまく取り仕切る役割を得て、ここひとつきは魔獣対策をしている。また、数日後には更に3人派遣されることになっている。ヘルマが「ちゃんと仲良くしな!」と言えば、彼らは「あっちの出方次第だ」と言うものの、先にやって来た5人もとっくに慣れてしまった様子を見れば、問題はなさそうだった。
ミリアの左足をスヴェンに治癒をしてもらって、2か月。未だにヴィルマーとミリアは正式な婚約をしていなかったが、それでもハルトムートの結婚式に出席をして、2人の関係を公にした。サーレック辺境伯はレトレイド伯爵に「外堀から埋めてやる!」などと息巻いていたが、レトレイド伯爵側は「どうぞ、ご勝手に」とあっさりとしたものだった。
「ううむ、緊張するな」
ミリアの左足も少しよくなったので、レトレイド伯爵領に向かうことになった。傭兵たちには、ついにヴィルマーがサーレック伯爵令息であることを伝えたが、みなは「知ってたよ」と大笑いをして、ヴィルマーの方が呆気にとられることになった。ならば、クラウスのこともそうだろうと言えば「えっ、クラウスが!?」と驚かれることになったので、逆にクラウスの方が「傍系とはいえ、貴族でいる自信がなくなった」と嘆いていたものだ。
「まだ、レトレイド領まで時間があるでしょうが」
と、ただ冷やかしで見送りに来ただけのクラウスが云えば、ヴィルマーは「ううん」と唸った。
「そうなんだが、もう気持ちが逸ってしまって」
確かに、ヴィルマーは少しばかり落ち着かない様子だった。それをクラウスが「しっかりしてくださいよ」と言って背を叩く。それを見てミリアは小さく笑ってから、ヘルマに向き直る。
「ヘルマ。これまでありがとう」
「いいえ、お嬢様並びにレトレイド伯爵様には、本当によくしていただきました。こちらこそありがとうございます。伯爵様によろしくお伝えください」
旅立つ格好でミリアとヴィルマーはヤーナックの外に馬を連れて出た。だが、ヘルマは馬を連れていない。彼女は一人、ヤーナックに残る。そして、そこにミリアは帰って「こない」予定なのだ。
「まあ、とはいえ、そのうちまた会えるのだけど。戻ってきて、サーレック辺境伯のところへご報告に行った後かしら?」
「うん、そうだな。この付近はクラウスの統治範囲になるだろうが、町長に話をしに行かなくちゃいけないしな」
既にサーレック辺境伯領地が事実上2分され、それぞれで統治をされることは領民に周知をされている。そして、ヴィルマーとミリアは拠点となる町に居を移したばかりだ。
「ヤーナックに来た時は戻って来てくださいね。宿屋に泊らないで。ヴィルマーさんからも離れて、是非わたしのところへ!」
ヘルマはヤーナックにそのまま住み着いて、パンを焼いて店に出すことに決めた。家賃はいくらか支払うことになるが、それでもなんとかやっていける見込みだ。
現在、ヤーナックにはパン屋などという店はない。それぞれの家庭で粉を捏ねて鍋で焼いているだけで、独り身の者や忙しい家庭ではパンを食べることが出来ない。せいぜい薄く伸ばして焼いたものを作るぐらいだ。
「上手くいくかわかりませんが、お嬢様に教えてもらった通り、忠実に作り続けます。それから、警備隊の方もまだ見守らせていただきます!」
彼女は警備隊のトップには立たなくなったが、鍛錬には参加をし続けると言う。ヴィルマーがクラウスに「おい、お前、どーすんだ? ヘルマのこと」と、ヘルマ本人を前にして尋ねれば、クラウスは首を軽く傾げる。
「どうも? ここに来たら、ヘルマさんの家に泊めてもらうぐらいですかね……?」
「はっ!? お嬢様がいらっしゃらなくなったからって、どうしてクラウスさんを泊めないといけないんですか!?」
「寂しいかと思って」
「は!? はあ!?」
真っ赤になって、ヘルマは慌てて手を横に振る。が、言葉がうまく出ない。ミリアはそんな彼女を見て笑ってから
「クラウスさんは、あなたがパン屋をすることを止めなかったぐらいですもの。ここに来た時ぐらいは泊めてさしあげたらいいのよ」
と言った。ヘルマは「うう」と唸ってから「考えてみます」と、苦々しい声を押し出した。
クラウスはクラウスで、別の拠点で領地の半分を統治することになっている。そこに、彼はヘルマを呼ばない。それは、先にヘルマが「ヤーナックでパン屋をしたい」と言ったからだ。そういう意味では、ヴィルマーもクラウスも相手を尊重する男性であったが、案外とクラウスの方が放任主義だったようだ。クラウスはそんなヘルマを気にせずにこにこと笑う。
「まあ、わたしはいつでも。気が向いたらプロポーズするかもしれませんし、気が向かなかったらしないかもしれませんし……」
「はあ!? なのにうちに泊まろうとしてんの!? いい加減にしてくださいよ!」
ヘルマはそう言って、クラウスの体をぱしぱしと叩いた。まったく、と言いながらもヴィルマーとミリアは馬に乗り
「では、いってくる」
「行ってきますね」
と、軽く手を振った。慌ててヘルマは手を大きく振って「はい! お気をつけて!」と元気よく声を出した。その横で、クラウスは呑気に「お気をつけて~」と言葉を軽く添えるだけだ。
彼らに見送られて、ミリアたちはヤーナックを後にした。
「ほんっと、クラウスが案外と曲者でな……」
ヴィルマーは馬を歩かせながら、呆れたように言う。それへミリアは笑って「そのようです」と答えた。
「さて、と。レトレイド伯爵領に行くのに、結構な数の他領を通っていかなければいけないんだな」
「そうですね。男爵領、侯爵領、それから……」
ミリアは少しだけ困惑の表情を見せる。いくら馬に乗っていて顔を見なくとも、なんとなくヴィルマーは何かを感じ取ったようで「どうした?」と尋ねた。
「いえ。わたしの元婚約者の領地です」
「……迂回するか?」
「その必要はありませんよ。特になんとも。ただ……」
「ただ?」
「忘れていました。本当に。忘れていたんです。きっと、それはあなたのおかげですね」
「……」
ヴィルマーは手綱を持ったまま、上半身を斜めに動かした。馬上でそんな行為は危ないし、彼がそのような態度をとることは珍しい。ミリアが「どうしたんですか」と尋ねると
「今すぐ、君を抱きしめたい」
と言うものだから、ミリアはまたも「駄目ですよ」と丁重に断った。かすかに頬を赤らめながら。
「じゃあ、馬を休ませる時にでも」
そう言って、ヴィルマーは馬に軽く合図を送った。馬はそれに反応をして少し速度をあげ、駆け足になる。早く走らせれば、その分休憩も早くなる。ミリアは「まあ」と言って、彼女もまた馬に合図を送って彼の背を追うのだった。
了




