25.プロポーズと招待と(2)
「っ……」
ミリアは、自分の手を彼の両手からそっと抜き取ろうとした。だが、彼はそれを許さず、ミリアの指に自分の指を絡める。彼の大きな手に包まれる自分の手を見ながら、ミリアは「いつもそうやって守ってくださっていたのだ」となんとなく思う。きっと、それを口に出せば、彼は「そんなことはないが」と言うに違いない。
だが、ヤーナックに来てからというもの、ずっとヴィルマーはミリアたちのことを気にかけてくれていた。町長との間も取り持ってくれて、スヴェンも紹介をしようと、ヤーナックの滞在を彼らは延ばしてくれていた。それだけではなく、警備隊での諍いも。いや、もっと本当は細かなことをたくさん。
それに、彼は気づいていなかった。だけど、考えたらわかったのだと彼は言う。今後は「わかられてしまった」ことが無性に恥ずかしい。ミリアの心境は忙しかった。
(甘えているってわかってくれないことにがっかりして、でも、甘えているってわかったと言われては、恥ずかしい。自分でもどうしようもないとは思うけれど……)
こんな、本当は面倒な自分でもよいと彼は思ってくれるのだろうか。そう思って、ミリアはじっとヴィルマーを見つめた。彼はミリアと目線があったことにいささか照れくさそうに「なんだ?」と言って、右肩だけ軽くあげた。
「それで? 君は、そんな理由で、俺からのプロポーズを断ろうとしているのか?」
「いえ……違います。あなたのプロポーズを受けるのに……もう一度、どうしても……わたしが、うまく自分を変えられない部分を、飲み込んでいただけるのかどうかを」
「何も。変える必要はない」
ヴィルマーはそう言うと、軽く肩を竦めた。
「人は、誰かと恋人になったり家族になったら、まあ互いに譲り合ったり、何か変わったりもするだろうが、変えられないものがあることも俺はわかっているつもりだ。君が言う『それ』は、変えられないものなんだろう?」
「そうかもしれません」
「だから、いいよ。いつか、自然に変わる可能性もあれば、いつまでたっても変わらないかもしれない。また。君が突然変えたい、と言い出す可能性だってある。俺は、その全部を尊重するさ。で、どうだ? 俺のプロポーズをいい加減、受け入れてくれる気になったんじゃないか?」
ヴィルマーはそう言って、少しだけそわそわとする。その様子がおかしくて、つい、ミリアは笑い声をあげた。そして、彼女のその声で、今度はヴィルマーも笑う。
「もう、いいだろ。俺へのお伺いはこれぐらいで許してくれないか」
「そうですね。ごめんなさい」
「謝罪なんていらない。な、欲しいのはさ……」
そう言って、彼は体をそっと前に倒して、ミリアの顔を覗き込む。手は彼女の指と自分の指を絡めたまま、もう片方の手は彼女の頬に伸びてくる。
「キスだ。話すより、そっちの方がいいだろう?」
それにミリアは頷かず、ただ瞳を閉じて軽く顎を上に向けた。彼の唇があっという間に彼女の唇を奪う。浅く重なり、角度を変えて何度も、軽く音を立てながら与えられるキス。ミリアは彼になされるがまま、すべてを受け入れた。
やがて、彼が「もう少し、いいか」と言うので「はい」と答える。彼女は、それを「もう少し今のキスを続けてもいいか」という意味だと捉えたからだ。
だが、彼からのキスは深かった。唇を重ねる前に、彼の指がミリアの上唇と下唇にそっと当てられる。そして、わずかに上下にそれを開くように動いた。
かすかに開いたミリアの唇に、彼の唇が重なる。深いキスをミリアは知らない。ああ、彼は知っているんだ……そんな風に思った瞬間、ちりりと胸の奥に軽い痛みが走ったが、それはどこか甘い。彼の過去に自分が思いを馳せるなんて、そんなこと……。
(駄目だわ……思考が、とりとめもなくなって……)
結果的に、彼の過去を探ろうなんて気持ちにはたどり着かなかった。だって、今ここでキスを与えてくれる彼は、自分にプロポーズをしてくれたのだ。それだけで十分だ。ミリアは、彼からの口づけで翻弄されないように我を保たなければと思いながら、既に翻弄されている。角度を変えながら深く。と、彼女は無言で彼の胸元に手をつけて、そっと彼の体を押す。それとほぼ同時に
「戻りました~! ヴィルマーさん、まだいらっしゃいます!?」
と明るいヘルマの声が居間から聞こえた。ヴィルマーは最後に彼女の下唇をついばんで
「まったく、思ったより早く戻って来やがる」
なんて、口悪く言って「はあ」と大げさにため息をついた。
「ヴィルマーさん。それで、サーレック辺境伯からのお手紙は……?」
「ん。こっちだな」
「え?」
見れば、封書が2つ。そのうちの片方を受け取るミリア。
「もう片方は?」
「こっちは、まあ、あれだ」
「?」
「俺が、プロポーズを断られた時用の封書だから、もう用無しだ」
一体どういうことだ、とミリアは首を軽く傾げ、その場で封を開けた。
内容は簡潔だった。ヤーナックをギスタークの被害から守ったこと、警備隊を作ったこと、それらについての感謝と、今後のヤーナックの警備隊の扱いについて、などがわかりやすく書かれている。
「……ん?」
特に、ヴィルマーのプロポーズとは関係がなさそうだったので、ミリアは軽く声をあげた。
「そちらは、どういった内容ですか……?」
「こっちは、もっとしょうもない」
「しょうもない……?」
その言葉使いは貴族のものではない。が、ミリアは平民の部下も多かったので、意味は伝わる。
「俺のいいところを、父親がわざわざあれこれと書いてくれている、ようだ。こっ恥ずかしすぎる。君が、プロポーズを受けてくれてよかったと本気で思うよ……」
そう言って、ヴィルマーはもう一通の手紙をジャケットのポケットにしまい込んだ。
「愛されているのですね」
「そうだな。そういう、父親だ。仕事は厳しいが、家族には愛情が深くて深くて深くて、面倒で仕方がない。だから」
「?」
「君が家族になってくれたら、とんでもない歓迎をしてくれる。そこで、こいつだ」
そう言ってもう一通、今度はまったく違う形状の封書を取り出すヴィルマー。一体何通手紙を持ってきたのか、と聞けば「これで最後だ。間違いない」と言って苦笑いをする。
「君が良ければ、サーレック辺境伯邸に招かれてやってくれないか。勿論、足がもうちょっと落ち着いてからになるが」
その彼の言葉に、ミリアは目を大きく見開く。ちょうど、居間の方からもう一度「ヴィルマーさん? まだいらっしゃいますか~!?」とヘルマの声がして、それを「こらこら」と諫めるクラウスの声がかすかに聞こえた。ミリアは彼から封書を受け取りながら
「サーレック辺境伯も、気が早い方なのでしょうか?」
と問えば、ヴィルマーは苦笑いを見せる。
「本来は気が早い。そうだな。ヘルマぐらいは。まったく、帰ってくるのが早すぎだろうが……もうちょっとさぁ……」
「あっはは!」
珍しく、声を出してミリアは笑った。その声を聞きつけて、ヘルマは「何ですか、何ですか!」と飛び込んできて、それをクラウスが止めようとしてヘルマの後からやってくる。ヴィルマーは「お前ら、もうちょっと2人にしてくれよ!」と叫んだのだった。




