48 クレア2
そこからの記憶ははっきりしない。
人づてに聞いた話によると、司教様を介抱している私を見つけた隣町の人が、助けを呼び私と司教様を保護してくれたらしい。
司教様は近くの教会に運ばれ、私も付いて行った。老齢の司教様はそれから床に伏せてしまい、一ヵ月もしないうちに亡くなった。神聖力で怪我は治せても、心の傷までは癒せなかったのだ。
私はその教会に根を下ろした。戦争の間中、必死になって傷ついた兵士を癒した。
聖女がいる教会は厳重に兵士によって守護されたが、それでも幾つかの教会が焼かれ、聖女が犠牲になった。
戦争は一年ほどで終結したが、今回ほどシュタイアータに大きな被害をもたらした例はなかった。ラスブルグの蛮行に諸外国からも非難が寄せられ、それからしばらくは戦争が起きていない。
あの悲惨な戦争から五年ほど経ち国は復興の兆しを見せ、十年経つと人の口には上らなくなった。
六十年以上経った今、人々はもう戦争の事など忘れてしまったようだった。
でも私は忘れない。暗い地下の隠し部屋で震えたあの日の事を。父や母や姉妹、祖父母まで一度に失ったあの日。姉は自分が助かりたければ地下に私(聖女)がいると言えたはず。でも姉は私を庇って殺された。
言ったとしてもラスブルグの兵士は皆殺しにしただろう、だとしても姉は言わなかった。家族も教会の人も他の誰一人として。
そしてあの名前。一人の兵士が上官に対して呼びかけた『ランディス隊長』という名前を私は決して忘れない……。
私の思考はノックの音で途切れた。
「聖女様、旅の若者がクレア様に面会を希望されていますが、お加減はいかがですか?」
私は八十才を過ぎて体力も衰え、ベッドから起きていられる時間が少なくなっていた。きっともうすぐお迎えが来るのだろう、ようやく家族に会えるのだ。
「少しお待ちいただいて下さい。支度をして私の方から伺いましょう」
「まぁ、今日はお加減がよろしいのですね。ではお支度を手伝う様に使用人に声を掛けて参ります」
教会の談話室へ向かうと、面会を求めていたという若者が椅子から立ち上がった。
「クレア様、お会いできて光栄です」
若く、美しい青年だった。艶やかな黒髪に、初めて見る黄金色の瞳。異国の人なのだろう。
「クレア様のご功績を聞き及んで、遠くから来たかいがありました」
「私はごく平凡ないち聖女です。ただこの年になるまで神にお仕えできたことは幸運だったと思います」
青年は旅してきた諸国の話を聞かせてくれ、最後に贈り物だと本を手渡してきた。
「ではそろそろお暇致します。貴重なお時間をありがとうございました」
「こちらこそ楽しいお話を聞かせていただいて……あぁ、お名前を伺っていませんでしたね」
「僕はヘレルと言います、またお会いできる日を楽しみにしています」
ヘレルが贈ってくれた本はコリウス教に関する物だった。コリウス教総本山で長らく司教を務めた方が書いた物だ。
それは驚く内容だった。特に神聖力を悪用した聖女に関する部分は事実かと疑ってしまう様な話だ。
(神聖力を逆流させる?)
神聖力を使って人を癒すときは、回復を願いながら自分の内にある暖かい光を相手に流すイメージで行う。逆流という事は流さないで吸い込むのだろうか?
漠然と考え込みながら教会の裏手に来ていた私は、馬小屋に繋がれている一頭の牡馬の首を無意識にさすっていた。
ふと気づくととても体が軽くなっている。年のせいであちこちが痛み、指の関節炎のせいで杖を握るのも辛かったのが嘘のように楽だ。
だが牡馬の様子がおかしい。息が荒く、立っていられない様子で足を折り、座り込んでしまった。まさかこれが逆流なのだろうか? いつもより足取りも軽く自室に戻った私は、最後まで本を読むことにした。
それから少しずつ実験を繰り返した。力加減を誤ってヤギ一頭を死なせてしまった時は、曲がっていた腰までが真っすぐに戻り、体は十才以上は若返った気がした。
「十才どころじゃないかもしれないわ……」
この本が私の所に巡って来た理由を考えた。あのヘレルという青年が何を思い、こんな聖女の話が載った本を寄こしたのかは分からない。あの青年に他意はなく、ただコリウス教についての本だから私に贈っただけかもしれない。
でも神聖力にこんな使い方があるのなら、私は自分の人生でずっと考えまいとしてきた事にもう一度向き合えるのだわ。
それは復讐だ。
聖女が復讐などという気持ちを抱くのは良くない事だと、ずっと自分に言い聞かせて来た。でもこの本が私の手元にやって来たのが、運命でなければ何だと言うのだろう。
それからは慎重に行動した。まず自分の死を、川に落ちて事故死したように偽装し、私の事を誰も知らない町へと旅立った。
初めて人から生命力を奪ったのは、その旅の途中でだった。私の乗った旅の馬車が盗賊に襲われ、同乗のほとんどの人が殺された。私は連れ去られたが隙を狙い、見張りの男の生命力を大量に奪って逃げおおせた。その後、私は三十代ほどまで若返ったから、多分あの見張りは死んだだろう。
そうやって私は復讐の機会を待った。辺鄙な場所にある教会に身を寄せ、充分時間を置き、その間ラスブルグにどうやって復讐するかを幾つも考え抜いた。
ラスブルグの新しい王に子供が生まれた事を知った時、私はラスブルグへ赴き、すぐさま呪詛を行った。復讐の為に神聖力の使い方を試行錯誤した成果を試す時が来たのだ。
私の力は神聖力に起因するものなので何でも出来る訳ではないが、コリウス神の御使いの鷹が獲物とするキツネに変身してしまうという呪いを付与できた。
第二王子が生まれてからは様子を見ていたが、人間的に弱いこのジェリコ王子を堕落させ、ラスブルグの国力が弱まった所へ戦争を仕掛け滅ぼす計略を進めた。
そのためにアテート公爵家と手を組んだ。アテート公爵は好戦的で貪欲な男だ。彼が皇家を陰から動かせばラスブルグに戦争を仕掛ける事も容易だろう。あくまでアテート家を後援すると見せかけて、自分の復讐は気取られない様に動く。
ラスブルグに留学してランディスの名を見つけた時に私は確信した。神は私の復讐を望んでおられると! このランディスは私の家族を殺した男の子孫だったのだ。
何もかもうまく行っていた。計画通りに行動しながら、ランディス家への復讐をどうするかも同時に考えていた。
だが思わぬ障害になったのがジーナだった。
第一王子のアロイスと私を近づけようとしたり、旧校舎でリスから生命力を奪っている所にニアミスしたりと、調理中に寄って来るハエのようにイライラさせられた。
ランディス家の妹の方を襲わせた時もそうだった。聖女のロザリオに関心を寄せているレニーの妹を、誘拐して殺すという計画を台無しにされたのだ。
私の神聖力はロザリオが近くにある時ほど大きく働く。だから寄贈と言う形でシュタイアータから持ち出したが、出来れば身近に置いておきたかった。そこでならず者を雇いロザリオを盗ませた。同時にレニーの妹を偶然拉致したように見せかけて殺めるというシナリオだった。レニーの妹は巻き添えで殺されたと思わせる為だ。聖女を虐殺した子孫の娘が、聖女になりたかったなどと、笑わせる。
私が巻き込まれるとは思わなかったが、火事を起こしたのも計画の内だった。それがジーナの働きで妹は助け出され、ロザリオも奪い返されてしまった。
ランディス家を滅ぼすのは心に決めた事だ。だがジーナはジェリコとの婚約破棄辺りから、私への態度を改めた。ジーナを害するつもりはなかったが、あの本、ヘレルが私に贈った本と同じ物を手にした事もあって、彼女も排除せざるを得ないと決めた。
その上、ジーナは私が雇ったならず者達を始末しに留置所へ行った所も見ていたらしい。もう迷ってはいられない。都合よく、ジーナはレニーを好きなようだった。私はレニーにジーナへの愛と狂気を吹き込む。レニー・ランディスは自らの手で愛する者の命を奪い、それを嘆いて破滅するのよ。もちろん、ランディス一家を巻き込んでね。




