38 二人きりのランチ
レニーが私を時計塔へ連れて行ってくれた日から、私たちは二人でランチを取るようになった。
でもそれは食堂で二人ではなく、時計塔の日と同じようにランチボックスを持って人目に付かない場所で食べるのだ。
「今日もランチを用意してくれたの? なんだか申し訳ないわ、レニー」
「これ位ぜんぜん平気だから気にしないで」
「でも食堂で食べてもいいのよ、食堂のランチは学費の中に入ってるんだし」
「僕はジーナと二人きりがいいな、ジーナだってそうだろう?」
そう問われたら『もちろんよ』と答えるしかない。私だってレニーと二人きりは嫌じゃない。ただ照屋さんのはずのレニーの、直接的ではっきりした愛情表現に戸惑っているだけだ。
それからは毎日二人だけのランチになった。
二人でいる時のレニーはとても優しかったから、私はパン屋でクリストファーとレニーが起こしたひと悶着のことも忘れかけていた。
一週間ほど経ったある日のことだった。お天気が良く、外でランチをするには少し暑いくらいの陽気だった。
いつもはあまり生徒の往来がない旧校舎近くのベンチでお昼をとっていたのだが、今日はそこは日当たりが良過ぎて別の場所に移動した。
騎士科の訓練場に近いその場所には、ちょうどいい木陰のベンチがある。そこで食べ始めた時だった。
「レニー、こんな所にいたのか! 最近ずっと食堂にはいないし、探してたんだよ」
「デイビッド、何か用事でも?」
「何か、じゃないよ。お前、教会に全然来ないじゃないか。聖騎士の試験はもうすぐなんだぞ、今が一番大事な……あれ、クリコット令嬢、かな?」
レニーの隣に座る私に、今気づいたかのようにデイビッドが視線を向ける。
「君たちが付き合ってるって噂は本当だったんだ! へえ~意外だな、君は……」
デイビッドのおしゃべりをレニーは遮った。
「用事がないなら食事の邪魔をしないでくれ」
「随分な言い方だな、俺は修練に来ないお前を心配して言ってるのに」
「分かったよ、確かに試験はもうすぐだ、しっかりしないとな」
デイビッドの眉間から皺が消え、笑顔が戻った。
「ああ、じゃあ俺は行くよ。お邪魔しました、クリコット令嬢」
「いえ、お気になさらず……」
デイビッドの姿が遠くなると、仕切り直し、といった体でレニーは笑顔を向けた。でも私はデイビッドが言っていた事が気になった。
「教会へは行ってないの?」
「行く気がしないんだ、でもジーナには関係ないことだから」
聖騎士になるためにあんなに一生懸命に勉強してたのに、今になって気持ちが変わったの? それに私には関係ないって。
確かに私には関係ないかもしれない。でもそんな風に突き放されると悲しい気持ちになる。いえ、考えてみるとクリストファーの件以来、レニーは私がバイトの日は必ずパン屋まで送り迎えをしている。そんな事に時間を割いているから教会に行くことが出来ないんじゃ?
「ねえ、ベーカリーに送り迎えは必要ないわ。その時間を教会での修練に充てて、ね?」
「ジーナがパン屋を辞めるなら時間が取れるかもしれない」
「そんなっ……クリストファーはきっともう来ないわ。教室でだって、私と話もしないでしょ?」
でもレニーは冷たい大理石の像の様に頑な表情だった。
「私が信用できない、のね」
「ジーナには悪い虫が付きやすいんだ。だからこうやって俺が遠ざけてるんじゃないか」
そうなんだ、私と二人だけでランチを取るのもそういう理由からだったんだ。
私は分からなくなってしまった。レニーが私を信用していないのははっきりした。クリストファーの誘いには乗らないとあれほど言ってもだめなんだ。アカデミーでも、私は徹底的にクリストファーを無視している。言ってもダメ、行動してみせてもダメ。私はどうしたらいいの?
レニーは本当に私の事が好きなのかしら。最近のレニーの態度は好きとは違う物の様に思えてならない。
「ジーナは何も心配しなくていいんだ、このままでいいんだよ。さ、授業が始まる、教室に戻ろう」
ところが教室に入る前に、私たちは呼び止められた。担任のコーレル先生だった。
「ランディス君、少し話があるので次の授業はお休みしてください。次は自習にしてありますから、授業に遅れが出る事はありません。クリコット君も一緒に」
コーレル先生にはわずかに緊張の様子が見られた。何でもない風を装っているが顔が強張っている。
まずはレニーがコーレル先生の部屋に案内された。私には別室で話が聞きたいと言われ、入った部屋にはハーリン先生が待っていた。
ハーリン先生にはコーレル先生のような緊張は見られなかった。満面の笑み、とはいかないまでも表情は柔らかだった。
「これから少しプライベートに立ち入った質問をします。理由はきちんと話しますから安心してください」
ドキッとした。ハーリン先生を見るとなぜかアロイスを連想したからだった。プライベートでアロイスの事を質問されるのかと、私の想像は明後日の方向に飛んだ。
「クリコットさんはランディス君と婚約していたりしますか?」
「えっ、いえ。婚約はしていません」
本当にプライベートだわ、それに私はアロイスじゃなくレニーの事を質問されて驚いてしまった。
「そうですか。でもお付き合いはある、と?」
「はい」
ハーリン先生もわたしがジェリコに婚約破棄されてからまだ一年も経っていないのに、と思っているのだろうか……。
「なぜこんなことを聞かれるのか不審に思うでしょう。実はランディス君の事でちょっと問題が起きたんです」
「問題、ですか?」
「君のクラスのブルックス君がお休みしているのは知ってますね? 先ほどブルックス男爵が見えられて、その理由と対処を求められたんです」
「はい……」
嫌な予感がする。レニーがコーレル先生の部屋に入って行く背中が思い浮かんできた。
「ブルックス男爵によると、ご子息はランディス君に暴力を振るわれて大けがをしたとの事なんです」
ああ、嫌な予感は当たるものなんだ。私が呼ばれたのにも理由があるんだわ。暴力、大けが……パン屋でクリストファーに向けられたレニーの憎悪が思い出される。
ハーリン先生は私が何か言うかと、一旦口を閉じたが、私は言葉を発する事が出来なかった。
「倒れていたブルックス君を、迎えに来た男爵家の御者が発見し自宅まで連れ帰ったそうです。ブルックス君は意識が戻った後も誰にやられたのか言い渋っていたらしいのです」
ブルックスはレニーの報復を恐れて何も言えなかったそうだ。それでも父親の心配に負けて、とうとう昨日何があったかを話した。
「彼によると、ランディス君はブルックス君に、クリコットさんにちょっかいを出したから、という理由で暴行を振るって来たと話したそうなんです。それであなたもお呼びしたのです」
「ええっ!」
ブルックスとは当番になった時によく話すようになった程度だった。彼はクリストファーみたいにデートに誘って来たわけでもない。
「心当たりはありますか?」
「いえ、ちょっかいなんて。当番でペアにはなりましたけど、それだけです」
「残念ですが、そうなるとランディス君の行動はかなり理不尽なものだと言わざるを得ないですね」
「ハーリン先生、ブルックスさんのケガはひどいんでしょうか?」
「広範囲に打撲と左腕の骨折です」
私は思わず息をのんだ。そしてブルックスが私を名前呼びすることに不快な様子を見せていたレニーの事を思いだした。まさか、そんな事でブルックスに暴力を?
「何か思い出しましたか?」
「い、いえ。レニーがどうしてそんな事をしたのか……分かりません」
思い当たるのはあの時のことしかない。でもそれを告げ口するような真似は出来なかった。




