23 豪奢な馬車
「ルドルフ、この馬車はお友達に譲ってあげなさいよ」
やっぱり言い争いをしている子供は弟のルドルフだった。ルドルフが先に並んでいた馬車に、後から来た数人の貴族の令息が横入りをしようとしたらしい。
ゲームには登場しないルドルフだけど、ジーナの髪色と似たオレンジの巻き毛に、母親譲りのこげ茶色のくりっとした瞳。見た目にも親近感が湧くし、クリコット家では私を姉として懐いてくれている。この世界で出来た弟を私は好きだった。
「姉上! どうしてですか、ジミー達の言う事が正しいからですか?!」
勝ち気で意地っ張りな所は母親に似ている。でも私を見上げる瞳には困惑と絶望の色も滲んでいた。
「正しいとは思わないわ。でも事実でもあるのよ」
ルドルフには両親の様に、無理をしてまで貴族としての見栄を張るような生き方はしてほしくない。現実を受け入れて対処する強さを養ってほしい。とはいえ、まだ十歳の子供だもの、友達の前で恥をかくのは辛いだろうな。『ジミー達』は「ほら見ろ、本当なんだ」という意地悪な顔つきでルドルフを笑っている。
ジミー達が意気揚々と高い方の馬車に乗り始めた時、一台の豪奢な馬車が私達の前に停車した。車体には家門が入っており、この国では王族か高位貴族が乗るような立派な4頭立てだ。でも家門は見た事のないものだった。
扉が開き、先ほどの『いけ好かないクリストファー様』の従者が顔を出した。
「お迎えにあがりました、お乗りください」
驚きと動揺。でも多分、顔には出ていない。頭の中には疑問符がいくつも浮かんでいた。それでも私は平然としてルドルフに声を掛けた。
「さ、行くわよルドルフ」
ルドルフも一瞬はきょとんとしていたが、すぐに笑顔でいい返事を返してきた。
「はい! 姉上」
ジミー達は馬車に乗る動きを止めて、私たちと豪奢な馬車を見ている。ルドルフは少し得意そうな顔つきになった。
広い車内には、やたらとニコニコしているクリストファーが座っていた。
「やあ、また会いましたね」
「どうも…ありがとうございます。乗せて頂いて」
ルドルフは興味津々で私たちを見比べている。「姉上、こちらの方は?」
「まずは乗せてもらったお礼を言いなさい、ルドルフ」
「乗せてくれてありがとうございます」
「ジーナ嬢の弟さんだね。いい子だ、礼には及ばないよ。僕とジーナ嬢はお友達だから」
「そうなんですね!」
クリストファーはルドルフの頭を撫でながら、私にウインクしてみせた。
「あの、狩りはどうしたんです? 帰るのが早すぎませんか」
「う~ん、あのキツネ以上の獲物を捕まえられる気がしなくてね。ところであのペットのキツネはどうしました?」
「ペットのキツネ?」
「あ、あれはその…ええと、ジャンプをさせた時に足を怪我したので近くの獣医に預けて来たんです」
ルドルフが怪訝な顔をしているのを、私は必死に誤魔化した。まさかこんな所でまた会うなんて思ってもみなかったもの、アロイスはもう帰っちゃったわよ。
「それは残念ですね。もっと近くから見てみたかったのだが…ま、君と僕は友達同士だ。また会えるだろう」
狩場の森で会った時にはずっと無言で怖い顔をしていたのに、今は別人かと思えるほどにこやかに話しかけてくる。何を考えているのか分からなくて不気味だわ。
そこへ従者が不服そうな顔をしながらクリストファーに耳打ちした。
「どちらまで乗せて行けばよろしいので?」
「近くの馬車の停車場で結構です。そこで乗り換えますから」
この嫌味な従者に、降りろと言われる前にこちらから降りてやるわ。
「それはいけない。この国で初めて出来た友人を放り出せるわけがないだろう。クリコット伯爵家まで行ってくれ」
この豪奢で乗り心地のいい馬車に揺られて屋敷まで帰る事を、ルドルフは心から喜んだ。屋敷までの道中、我が弟ルドルフはずっとクリストファーとおしゃべりしていて、すっかり彼に懐いてしまったようだった。
停車場での一件などすっかり忘れて、ご機嫌に帰宅したルドルフは元気よく玄関扉を開いた。
「ただいま戻りました~」
玄関ホールには母親が心配そうな顔つきで腕を組み、右往左往していた。
「まぁっ、ルドルフ! 一人で帰って来たの? お父様は?」
「お父様とは途中ではぐれちゃいました。でも途中で姉上と会いましたよ!」
ルドルフの後から入って来た私を母は驚きの表情で出迎えた。
「ジーナと会ったの。そう…」
母は私に冷めた一瞥をくれた後、すぐにっこり笑ってルドルフに向き直った。
「お父様は一旦戻って来てから、またあなたを探しに行きましたよ、ルドルフ。お母様も心配したんですから」
「ごめんなさい、母上。それより僕、喉が渇きました」
「はいはい、ではお茶にしましょうね。ジーナ、支度をして頂戴」
ルドルフを連れ立って、母は振り返りもせずに居間へ消えて行った。このジーナの両親がなぜこんなにジーナを冷遇するのか、私にはよく分からない。
ゲームの世界に転生してジーナに憑依したけれど、それ以前のジーナの記憶がないからだ。ジーナは両親のどちらにもあまり似ていない。でも弟とは少し似ている。だから父親の方の隠し子か何かかしら、と想像はしたことがあるが、二人に確認してみる気にはなれなかった。それを知った所で冷遇されている今の状況が好転するとは思えないもの。
お茶の用意をして居間に向かうと、ルドルフは嬉々として母に狩猟大会の式典の様子を話して聞かせていた。
「それでね、王族が乗るみたいな立派な馬車が僕たちの前に停まったんだ! 中は象牙色の皮張りで、金糸の刺繡がされたクッションがいっぱい置いてあってね、乗り心地も最高なんだよ」
私が淹れた熱々のお茶を用心して一口すすり、一息つくとまたルドルフは喋り出した。
「その人は姉上のお友達なんだって。ね、姉上!」
「え、ええ。まぁそうね」
「その方のお名前は?」
母は興味を持ったようで、ルドルフの頭を撫でながら聞いた。
「クリストファー様だよ」
「家門は?」
「あれ、家門を聞くのを忘れちゃった。でも『この国に来て初めてのお友達』が姉上だって言っていたから、外国の人かな」
「そうなの…ジーナ、どなたなの?」
「すみません、私もまだ家門をお尋ねしてませんでした」
「ご友人じゃなかったの? 間の抜けた子だわね。それで、どんな感じの方なのかしら?」
それでも母の興味が失せることはなく、この後もずっとルドルフから『クリストファー様』の話を引き出していた。
一瞬、唇を舐める母の赤い舌が見えた。ずる賢く、計算高い目をして私を見ている。母が何を考えているか手に取るように分かるわね。
でも確かにルドルフの言う通り、クリストファーは外国から来た貴族なのかもしれない。考えてみたら、人に名前を訪ねておいて自分は名乗りもしなかったじゃない。思い出したらまたムカついて来たわ。
でも母には残念な事でしょうけど、私が彼に会う事はもうないでしょうね。




