閑話18:とある家庭教師
長く歴史を刻むイスカリオン帝国。
その次代皇帝となるべく生まれた皇子の家庭教師となれば、大抜擢だ。
継嗣である兄のいる子爵家に生まれた俺からすれば、知り合いが皇帝になったからこそ得られた幸運だった。
「先生はこれができますか?」
その皇子が子爵家子息でしかない俺に丁寧に聞いた。
目の前には三つ真っ直ぐに並んだ火の玉。
初級魔法で魔法を生業にする者からすれば児戯だ。
だが問題は、三つの魔法が干渉し合わないギリギリの距離を保って安定して並べられていることだろう。
話には聞いていたが、これを子供にさせようと考えた者はよほどの物好きか、生徒の扱いが上手かったのか。
大人でもこんな地味で制御にばかり神経を使う技術学びたくはない。
苦労がわかるからこそ嫌気がさす。
「すぐには無理です。ですが、練習をすればできるようになるでしょう」
だが、この幸運を逃さないためにも俺はやらなければいけない。
俺の返答に皇子は満足した様子で小さく頷くと、火の玉を消した。
前任の家庭教師は、この技術習得を馬鹿にして皇子の不興を買ったと聞いている。
そして皇子がこの魔法に固執するのは、暗殺者に襲われた際、第一皇子がこの制御力をもって初級魔法で助けたかららしい。
「兄上はもっといっぱいを操っていたんです。そうしてあんな危ない状況で僕たちを庇ってくれた。僕も次は、兄上のように助けられる人間になりたい」
「皇子殿下。もう二度と、そのような凶事あってはならないのです」
「そうですね。けれど備えることは無駄じゃない。僕でもできることを少しでもしたい」
この皇子は将来が約束されている。
なのにずいぶんと自己評価が低いように感じられた。
その理由が兄上とやらなのだろう。
俺に聞こえる第一皇子の噂は散々だ。
弟皇子を虐める、帝位を狙うと悪辣な内容もあれば、愚鈍だとか錬金術に傾倒する金満主義だとも聞こえる。
だがこうして実態を知る皇子は心底敬愛しているらしい。
中には弟皇子を暗殺しようとして宮殿の端に閉じ込められてるなんてのもあったが、さすがにそれは嘘だろう。
ただ状況を見るに問題のある人物であることは確かだ。
目立たず悪評に隠れて魔法の制御を練り上げているなんて、いったい何を目指しているのか。
疑えばきりがないし、悪い方向には簡単に想像がつく。
そうでなくてもこれだけの悪評がある中で暮らし続けていたことを思えば、相当忍耐強いか、ひねくれた人間性があるんだろう。
「失礼いたします」
俺は家庭教師の仕事を終えて皇子と別れると、指示された宮殿の一室へと向かった。
「初仕事はどうだったかね?」
待ち受けているのは一見地味な服装の六十がらみの貴族。
けれどよく見れば精緻に織り込まれた一枚布をぜいたくに使った服を纏う。
この国最大の貴族派閥を率いるルカイオス公爵だ。
「は、皇子殿下からは次も家庭教師として通うことを許されました」
「それは重畳。ずいぶんとこちらが紹介する教師に警戒をしてしまっていたからな。陛下の学友という触れ込みが良かったか」
俺は貴族子弟としてルキウサリア王国の学園に在籍していた。
同じクラスに今は皇帝となった男がいたのは、当時は知らない幸運だ。
昔はケイと愛称で呼びもしたが、今では目の前にして顔を上げることにも許可が必要な立場になるなんてな。
後を継げない者同士、将来どうしようかと話し合ったこともあった。
そして卒業後あいつは軍に、俺は魔法研究に進んだ。
それ以来会うことも数える程度で、覚えていてくれたことは素直に嬉しい。
だが、あいつは気楽すぎる。
学生の時と変わらないままだ。
「良く目を光らせておくことだ」
「はい」
俺たちはどうあっても貴族の家のしがらみがまとわりつく。
皇帝は運よくそこから抜け出せたから、面倒さを忘れたのかもしれない。
いや、あいつの性格からして信頼してくれたと思えなくもないが、残念ながら俺はそれには応えられない。
「君は息抜きだ。ほどほどに肯定することで機嫌を取るように」
「はい」
皇子の祖父にあたるルカイオス公爵は、噂では孫の皇子を可愛がっていると聞く。
だが、今こうしていると手玉に取っているというほうが合う指示を下していた。
いや、可愛くはあるだろう。
自分の権勢を高めてくれる存在だ。
だからこそ、第一皇子という長子が目障りなのもわかるし、警戒もするだろう。
「将来の与党となる家の者を排除するとは、全く」
公爵が窓の外を眺めてぼやきを零す。
安定的な国家運営には派閥の力が有用だ。
皇子の周囲には今の内から派閥を形成するための人物が配置されるのも、理解できる措置だった。
だというのに俺の前任者を皮切りに、皇子が家庭教師や側に仕える者を選り好むようになったとか。
だから俺は嫌われないように、そして皇子が嫌う一因だろう公爵との繋がりも公にはしないように言い含められて、この職を得ている。
相手はもちろん皇子を含む、皇帝一家だ。
「他の者たちをこれ以上遠ざけないために、諌められるよう立ち位置をよくよく計れ」
「はい」
声をかけられた、大抜擢だ、子爵子息で継嗣でもない俺には幸運だった。
ルカイオス公爵にこうして直接仕事を回してもらえたのだから。
「まだ早いだろうが、少しは腹芸というものを教えたほうが良いだろうか?」
真剣に検討するルカイオス公爵のその姿は、孫の行く末を確かに案じている。
同時に将来の皇帝として育てようという意欲も感じられた。
嫌う者を遠ざける、用いないなんて、それでは偏りができる。
六種族と数々の国が形成する、このイスカリオン帝国を指導する者として褒められた行いではない。
それを矯正しようとするルカイオス公爵は、やはり孫である皇子を思っているのだろう。
「それとなく人間関係における忍耐や社交上の人の使い方を示唆する必要があるか。ある程度気に入られたなら君に任せよう」
「はい」
これは決して皇子に悪いことではない。
何より皇子が誇る兄のためにも今のままではいけないのだ。
第一皇子はもはや宮殿にはいない。
解決の見込みもない辺境の、取るに足らない僻地に送り込まれた。
軍を率いて近衛もつけて、恰好だけは立派だが、政治的にはそんなところに追いやられて捨てられたも同然だ。
この結果は皇子が第一皇子に傾倒したからだろう。
だから無理矢理引き離された。
仲が良かったからこそ、不幸な結果を招いている。
そういう立場にいることを、皇子は幼さゆえに理解せず、そして判断を誤ったのが今だ。
「帝室の過去の事例を挙げるほうがわかりやすかろう。交渉事が巧みだった皇帝の例を上げて資料にして渡すように」
室内にいたルカイオス公爵の部下が一歩前に出た。
「これからはこの者に頼りなさい。報告もこの者を通すように」
「はい」
俺は公爵の部下と互いに顔を確認し合う。
用が済めば公爵は退室する。
俺は軽く公爵の部下と打ち合わせて、最後に部屋に一人残った。
「…………ふぅ」
宮仕えなんて慣れない。
だがやっていくことで俺の家族、そして親や兄に恩恵がある。
将来も、安泰にできるまたとない機会だ。
俺は無闇に考えすぎることをやめて、部屋を出る。
すると小さな影が廊下の向こうで動いた。
同じ顔をした双子の皇子が、じっと俺を見据えている。
「これは、どうも…………」
いたたまれず声をかけると、双子の皇子たちは何も言わずその場を去った。
子供にしては物静かだが、これが皇子というものだろうか。
正直他の皇子のことまで気にしてはいられない。
これからだ。
これから、俺は、皇帝の味方のふりをする。
「だが、敵にはならない」
それがせめてもの友情への答えだった。
公爵派閥を突っぱねるほど高潔でもなく、立ち向かえるほど無謀でもない。
それでも皇帝となったかつての友へ応えるために、ただ一つ俺が取れる選択。
俺はそう自分に言い聞かせて、無駄に天井の高い宮殿を歩き始めた。
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