魂に火をつけろ
タイトルは日本特殊陶業の標語から
機械を動かすためには様々な消耗品が必要になる。この世界の日本では軍民共に機械化が進んでいるため、こうした消耗品を作る企業の業績もまた史実と比べて大きく伸びていた。先ほど挙げた例では、樺太で操業する日本シェル石油は当然として、それ以外の石油元売り各社、例えば日本石油や出光興産といった企業も史実より業績が伸びており、現在カストロール一強になっている潤滑油分野について日夜研究開発に励んでいる。
史実より数年早く設立された日本特殊陶業もまた、史実以上に業績を伸ばしている一社であった。今日ではスパークプラグのNGKとして有名であるが、本来NGKは分離独立元である日本碍子の商標である。これは、史実だと日本特殊陶業の設立に6年ほど先駆けて日本碍子からスパークプラグ「NG点火栓」を発売していたことに由来しており、おそらくヘタにブランドネームが変わって売り上げが落ちることを恐れた結果だと推測される。
「さて、3000rpmで70時間動かしたエンジンはどうかな」
「音を聞いた感じ、失火している感じはありませんでしたが」
設立当初から勢いに乗っているNTKは、テイジンからの要望で白金プラグの開発に取り組んでいた。
「……やっぱり、全く問題ないですね。大体60km/hで4000km以上走ったのと同じ負荷をかけましたが、新品同様の性能を維持しています」
「わかってはいたが、実際に目の当たりにするとすごいな。排ガスの成分を見た感じ、未燃ガスや一酸化炭素も現行の"NT"点火栓仕様より下がっているから、燃焼も確実に安定しているとみていいだろう」
電極に白金を使用した点火プラグは、酸化による劣化にも強くなるため寿命が大幅に伸びる。これに関連して中心電極径を細くすることができるため、同じ電圧でより強力な火花が飛ばせるようになる利点もあった。
「……問題は製造原価、ですよね」
「性能が3倍になっても、お値段が10倍だったらまず買ってもらえないからな……」
欠点は、とにもかくにもコストである。現代ですら、白金プラグの上位版と言えるイリジウムプラグは従来のプラグの4倍以上の値段である。しかも、このイリジウムプラグにおいてイリジウムが使われているのは電極のほんの先端部分でしかない。電極全体を白金で構成してしまったこの試作品は、従来製品であるNT点火栓の10倍以上の製造コストがかかってしまっていた。
「……そういえば、電極先端だけを白金にする方はどうなったんですか?」
「あれなあ……やっぱり熱膨張の差が原因で、白金チップが取れちまうことが分かった」
「嗚呼……まいったなあ……」
彼らの言っているように、異なる金属同士を考えなしに接合すると、点火プラグほどの高温にさらされる材料では接合部がはがれてしまうのである。史実同様のこの問題を克服するには、まだまだ時間がかかりそうであった。
「うーん、やっぱりそう簡単にはいきませんね……」
白金プラグのコスト削減は難航しそうだという報告を受けて、耀子はため息をつく。
「申し訳ありません。突き出しプラグについてはめどがつきそうですので、そこでどうにか……」
NTKの担当者は冷や汗をかきながら必死に弁解する。プラグに白金を使うというアイデアそのものは有望なのだ。ここで諦められてしまうのはまずい。彼は勝手にそう考えていた。
「それだけでも十分ありがたいですよ。やはりプラグはNG……NTKさんですね」
「あ、ありがとうございます」
「それから、成果が上がらなかったから打ち切られるかもしれないと思っているようですが、白金プラグの件はそう簡単には打ち切らないので、もっと安心して開発に取り組んでください。焦って失敗されたり、試験結果を偽装されたりなんかしたら、それこそ大惨事ですので」
先の歴史を知っているというのは何ともずるいことで、一見ダメそうなアイデアでも安心して続投させられるし、逆に史実でだめだったものへ寄り道しなくてもよい。NTKの担当者の心配は完全に杞憂だった。
「は、はあ」
「良い混合気、良い圧縮、良い点火がエンジンを調子よく回すための三要素です。他国に比べて、我が国はこの基本を達成するための技術力が不足しておりますから、あらゆる角度から追いつき、追い越すことが必要なんです。今すぐ成果が出ないからと言って、すぐに切り捨てるのは『当たり馬券しか買わない』と言ってるに等し」
「山階さぁん!真空管を使った火花点火装置ができましたよぉ!」
耀子がNTKの担当者を落ち着かせようとしているところに、やたら興奮した様子の東京電気の技術者たちがなだれ込んできた。しかし、どうやら取り込み中だったとわかると冷静さを取り戻し、
「……おじゃまでしたか?」
と、気まずそうに言った。
「……いえ、これはこれで悪くない展開です。ちょうど、いろんな角度から技術開発をすることをお話しているところでしたから。NTKの担当者さんにも東京電気さんの試作品を見ていただきましょう」
「ええ……まあいいですけど……」
NTKと東京電気の担当者間に面識はない。そして、東京電気の担当者はピンと来たようだが、NTKの担当者はなぜ自分まで付き合わされているのかさっぱりわからないようだ。
そうこうしている間に、耀子がどこか楽しそうにカーテンを閉め切り、部屋を暗くして、東京電気の担当者たちはデモ装置の設置を終えた。
「えーそれでは真空管を使った新型火花点火装置の発表を始めさせていただきます」
「!?」
ここでようやくNTKの担当者も自分がなぜ残らされたのか気づく。自分たちが点火プラグの担当なら、彼らはその手前の点火系そのものの改良を依頼されていたのだ。しかし、真空管を使うと何故火花がよくなるのだろうか。
「これまでの点火装置では単純な接点の断続によって点火時期を制御しておりました。この方式は単純明快ではあるものの、接点が焼けてしまう宿命から逃れられないため、大電流を点火プラグに流すことができません。その結果、どうしても火花が弱々しくなってしまいます」
そう言うと、片側のプラグ──偶然にもNT点火栓であった──からチリチリと火花が飛ぶ。NTKの担当者からすれば、ちゃんと新品使ってくれているんだなあぐらいの感想しかなかった。
「そこで東京電気では──正確にはテイジン様からの御依頼なんですが──物理接点の代わりに真空管をつかってスイッチングすることにしました。その結果、物理接点の抵抗がなくなり、大電流を流せるようになったため、このように強力な火花を飛ばすことができるようになりました」
もう片方のプラグからジリジリと火花が飛ぶ。普段から点火プラグを見慣れているNTKの担当者はもちろん、電気系は素人な耀子からしても、ポイント式の点火装置より強力な火花が飛ばせていることは明らかであった。
「今後の展望といたしましては、自動車や飛行機に問題なく搭載できるようにするため、振動に強い真空管と振動を真空管に伝えにくいソケットの開発に取り組む予定です」
以上です、と担当者が発表を終えると、ギャラリーの二人は自然と拍手をしていた。裏では手すきの東京電気社員たちが、部屋のカーテンを開けていっている。
「……すごいですね。まさか真空管がこんなことに使えるなんて」
「私達も依頼が来たときはピンときませんでしたが、意外と簡単にうまくいってしまいまして……」
両社の担当者は感心した様子で感想を口にしたが、耀子にとってはセミトランジスタ式点火装置のトランジスタ部分を真空管で代替しただけの事である。前世で愛車だったシュタイアー=プフ650TRのポイントをフルトラに交換してもらったところ、中高速域のトルクが明確に向上しており、電子制御のありがたさを体感していた経験が役に立った。
「……山階さんは、どうして、真空管が使えると思ったんですか?」
「まあ、言葉にするとなんてことないんですが……」
内心どうやってごまかそうかと焦りながら、耀子は何とかいい話にもっていこうと言葉を紡ぐ。
「常にいろんなものを見聞して、絶対に無くさないように頭に放り込んでいくんです。そして、暇があったらその雑多な知識同士を組み合わせ続けて、あれでもないこれでもないとやっていると、そのうちすっと組み合うものが出来上がるんですよ。今回も、そんな感じだっただけです」
少し恥ずかしそうに語る彼女の顔を、窓から差した西日が朱く照らしていた。
ポイント式→フルトラ式の点火装置換装はマジで絶大な効果があります。
同様に、通常プラグ→イリジウムプラグもちゃんと体感できる程度の効果がありますので、旧車に乗っている方にはお勧めです(いないだろそんな奴




