ジムニー・ショック
モンテカルロ市街地に入ってからはまさに消化試合であった。
「これ、英語ではウィニングランって呼ぶんでしたっけ?」
「たぶんそう、ですかね。まあ、こっちは凱旋したくてゆっくり走っているわけではないんですが」
結局、アルプス山脈の峠道区間で30分以上のリードタイムを稼いだテイジンチームは、最後のモンテカルロ市街地コースをまるで観光でもするかのようにのんびりと流していた。
「我々が目指すべきはあくまで完走ですからね。……峠ではついつい熱くなってしまいましたが、タイムを意識して攻めたら、それだけ事故の確率も上がります」
街道上で手を振ったりきょとんとしたりしているモナコ国民に手を振り返しながら文子が話す。
「そういうことです。レース後に抗議されそうですが……あ、次の交差点を左です……"安全はすべてに優先する"んですから、このくらい我慢してもらいましょう」
全開走行は部品の寿命を縮め、故障の確率を上げる。別に1位を取りたいわけではない彼らにとって、タイムはさして重要なことではない。"rally"とは「呼び集める、結集する」こと。すなわち目的地にたどり着くことが重視されているのだ。
結局、安全運転のおかげで特に故障することもなく、テイジンチームは見事に1位入線を果たした。文子と要蔵はゴールで待っていた監督の滋野をはじめとするスタッフに出迎えられ、全員で万歳三唱する。
「良くやったな要蔵!」
「まさか1位になるなんてな」
「皆さんの整備のおかげです。道中で重篤な故障が発生していたら、アルプス山脈で猛追しても1位をとれたかどうか……それに」
要蔵は後ろで滋野に通訳されながらマスコミのインタビューに答えている文子に目を向ける。
「文子さんも、完璧な走りを見せてくれましたからね。何度ペースノートのミスや、路面の変化に対応していただいたか……」
彼女とは実に濃厚な2年間を過ごすことになった。千坂文子は地頭がよく何でも吸収し、度胸があり、器用な娘である。鷹司耀子に付き添って大学に行っていたからか、分野は偏っているものの、教養もあった。惹かれない方が難しいだろう。
「それでは改めて、本日はお疲れさまでした」
「ありがとうございました」
記者たちは文子たちをねぎらった後、今度は要蔵へインタビューをしに行った。文子とは違い、彼はフランス語の心得がある。周りにも先輩たちが要るし、大丈夫だろう。翌日の朝刊には、きっと自分たちのラリー優勝が掲載されるはずだ。
「文子さん、そんなにうれしそうではないですね」
「え?いえ、そんなことはないです。実感がわかないだけで……」
文子は滋野の問いかけに対して首を振る。どうにも勝ったという実感がないのだ。
「そうだね。コ・ドライバーの要蔵君はもちろん、整備チームのみんなに……自分で言うのもなんだが、チーム全体を取りまとめ、外部との交渉も担当した私も含めて、皆で得た勝利だ」
「そうですね。私だけではこの舞台に立つこともできませんでしたし」
「とはいえ、主役は間違いなく君だ。もう少し嬉しそうにしていないと、よそのチームにも、それから要蔵君にも失礼だぞ」
「……!わかりました。ありがとうございます」
その後、物言いがつくこともなく文子は無事に表彰台に上がり、その後のパーティでテイジンチーム各員はここぞとばかりにジムニーを売り込んで、日本に凱旋帰国したのであった。
後日、三共内燃機品川工場が正式に稼働を始めた。おそらく日本国内では初めて建築当初から流れ作業を前提とした設備レイアウトを持ち、当時としては極めて高い製造効率で次々とSJ11Wジムニーをラインオフさせていったが、最長1年待ちの大規模バックオーダーを抱えることになった。
それはラリー・モンテカルロで獲得した「真冬のアルプスをものともしない」という評判のおかげであり、シンプルにジムニーでないとまともに走れない地域の人々はもちろん、日本の新興財閥が開発した車両の秘密を暴こうとするライバルメーカーもまた、ジムニーを欲しがったのである。
「……つまり、この車両にはそこまで革新的な技術は盛り込まれていないと?」
「はい、そういうことになります」
1919年に一応フォード社の社長に就任したエドセル・フォードは、ジムニーの分解調査結果を持ってきた部下とそのようなやり取りをした。
「ジムニーの素晴らしい──ええ、悔しいですが、四輪車一と言っていいでしょう──走破性の多くは、四輪駆動システムと大きなサスペンションストロークからもたらされています。ただ、その源となっているメカニズムはいずれも既知の物で、四輪駆動システムは1902年にオランダで開発されたものと似ていますし、サスペンション形式も四輪独立懸架ではありますが、板バネとウィッシュボーンを用いた常識的なものです」
「つまり、注目されていなかった既存の技術をうまく組み合わせて、最も効果的な場で売り込みを行えるマシンを作り上げた、ということだね。我々はまんまと一杯食わされたというわけだ」
エドセルが報告書を読みながら唸る。この車両の企画者と設計者は、世界の道路事情と自動車がなかなか普及しない理由を的確に把握し、それに真っ向から答える車を作ってきているといってよい。並大抵の悪路はものともしないし、流れ作業によって効率よく製造されるため価格も割安だ。いささか車体が小さすぎてアメリカ人には車内が狭すぎるのが欠点だが、それすら欧州や日本の狭くて入り組んだ市街地では有効に働くだろう。
「四輪駆動はコストと重量ばかりかかってさほど有効なものではないと眼中にもありませんでしたが、今回の一件で目が覚めました」
「T型の一件からもわかる通り、今の我が社に一番足りないのは柔軟な発想だ。何とかしてヘンリーを説得しないとな……」
以後、装軌車両ほどではないものの、駆動輪を増やせば走破性を大きく向上させられることが認知され、軍用、民間問わず、四輪駆動を採用する車両が史実より増えることになった。




