美しき青きドナウ
これもさっさと書かなければいけなかったのに放置していた案件
時は相当さかのぼって1915年の冬。フランツ・ヨーゼフ1世の退位に伴い、フランツ・フェルディナント大公がオーストリア皇帝およびハンガリー王に即位した。
「この度の大戦では、多くの人々が命を落とすことになった。自分がその惨劇という火薬に着火する撃鉄にされてしまったことに、私は今も深い悲しみと憤りを覚えている。彼らの死に報いるためにも、必ずやこの国をより良いものにしていくと誓おう」
フランツ・フェルディナントは戴冠式でこのように話し、今の"妥協"の産物である二重帝国のゆがみを取り除くべく、急進的な改革を行った。
まず最初に行ったのは、男子普通選挙制の導入と連邦制の導入である。一見、諸民族との妥協をさらに進め、オーストリア帝国内部でのオーストリアの地位をさらに下げるもののように見えるが、真の狙いはハンガリーの権勢を削ぐことであった。
「マジャール人共はオーストリア人に次ぐ地位を得たというのに、様々な要求の激しさはアウスグライヒ前と大して変わらない業突く張りどもだ。それならば、ボヘミア人をはじめとする他の諸民族の地位も引き上げて、彼らの中に埋没させてしまえば、勝手につぶしあって我々への要求も減るだろう」
当然、ハンガリー議会は反対したものの、ハンガリー国民の意見は自分たちに選挙権が付与されるとあって真っ二つに割れ、国内の意思統一が図れなかったため、最初の改革は無事に行われることとなった。
さて、これでひとまずハンガリーの相対的な地位低下と、他の民族のガス抜きができたわけであるが、同じくらい大事な課題がまだそびえたっていた。戦後復興、しかも、自分達との激戦の末荒廃してしまったセルビアの分も含めた2か国分のダメージを回復させなければいけないのである。
「今の状況で各々がバラバラに経済活動をしても効率が悪い。国家による統制のもと、最大限の力が発揮できる状態に持っていかなければならない」
史実より1年余り早く商務大臣に就任したフリードリヒ・フォン・ヴィーザーは、統制経済によって各種産業を理論上最良の効率で回すことで、この困難を乗り切ろうとする。それだけでは経済が成長しないため、こちらもやはり政府主導で様々な産業を奨励したり、海外から誘致したりすることで基礎体力を向上させることを試みた。
オーストリア国内の重工業メーカーはこの恩恵を受けて大きく発展し、特にオーストリアのシュタイア社、チェコのシュコダ社、ハンガリーのガンツ社といった面々は、お互いに激しく競り合いつつ、時々うまいことお互いの得意分野(シュタイアは製造と小火器、シュコダは機械設計全般、ガンツは電装)を生かしあって他の列強にも負けない製品を送り出すようになる。
海外からの企業誘致はそこそこの成果しか出なかったが、それでもイタリアのFIATがガンツやシュタイアと組んで車体やエンジンの生産を始めたし、BASFが(半ばオーストリア政府に泣きつかれる形で)ポリエステル系FRPの製造をチェコで開始したりと、そこそこ有益な結果をもたらした。
隣国ドイツやそのさらに隣のフランスは、もともとの工業力が高いうえにオーストリアのようなごたごたも抱えていないため、史実よりも効率よく復興を果たしつつある。それゆえに大戦終結から特需の終わるまでが史実より早まってしまうということも起きており、危うく鈴木商店がこのあおりを受けるところだったというのは以前述べたとおりである。
世界が史実と思いっきり乖離しているので考察が難しい……




