上々の面構え!
お待たせしてすみません
「40!そのあと右松!」
「ヨーソロ!」
ぎりぎりまでアクセルをべた踏みした後、文子はフルブレーキングから右に勢いよくステアリングを切る。車体に備わる4本の日本輪業製オフロード用バイアスタイヤ「箱根八里」はしっかりと地面をとらえ、彼女たちの思うとおりに車体を旋回させていく。
「うわーはやいはやい。文子さんと要蔵さん無茶苦茶仕上がってるじゃないですかー」
滋野のナビを受けながらついていくのがやっとな耀子であるが、楽しそうに車を操っている。
「二人とも熱心に練習していますからね。本番はまだ1年以上先なのですが。30、左梅」
ラリー・モンテカルロは史実より4年早い1920年から再開されることが発表された。欧州の戦争が早期に終結したため、耀子の予想通り再開も早まったのである。これを受けてテイジンはこれに全社を挙げて参戦することを発表、同時にジムニーを公開し、ラリー・モンテカルロを完走した暁には市販すると宣伝した。
「ヨーソロ!……弊社が参戦すると発表したことで、ライバルたちも相応の準備をしてくることが予想されます。スタッフを一から育成しないといけない私たちの場合、時間はあればあるほどありがたいのですよ」
文子たちスタッフの育成はもちろん、鈴木商店のゴム部門が独立した日本輪業との自動車用タイヤ開発、日本ペイント製造との自動車用塗料の開発(耀子としては早く電着塗装を実用化したい)、三共内燃機工場での製造ライン新設といった課題が積み重なっており、時間的余裕はないのである。
「ルールも以前と変わりましたしね。200」
テイジンが参戦したことで、これまでの「ヨーロッパの各都市からばらばらにモナコを目指す」方式が改められ、「フランス-パリ~モナコ-モンテカルロ間のタイムを競う」競技に変わることになった。もし今までの方式の場合、日本は東京あたりからモナコを目指すことになり、あまりにも不公平かつ時間がかかりすぎるというのが理由であった。勿論、このルール変更はテイジンだけでなく、スポンサードしているイギリス系企業も1枚かんでいるほか、別口でドイツチームからもルールを変更するよう要望が出されている。というのも、彼らは前回のラリー・モンテカルロで、ベルリンからモナコに向けて出発し、パリから出発したチームより先着したのにも拘わらず優勝できなかったからだ。
「ヨーソロ……私はちょっと警備上の都合で行けないから、チームの取りまとめをよろしく頼みますよ、滋野さん」
「右竹、そのあと左竹……承りました、鷹司さん」
2台のジムニーが駆け抜けていく田舎道の脇では、地元住民や、テイジンのマシンを一目見ようと上京してきた物好きたちが歓声を上げている。それは、彼らが「テイジンがまた外国相手にやってくれるぞ」という期待をしていることの証でもあった。




