鳳の見据えた空
時はさかのぼって1914年の夏、テイジンの大株主である、鈴木商店の金子直吉は、テイジン開発本部長であり、実質的なオーナーである鷹司耀子と、欧州で起こった戦争について話していた。
「欧州で戦争か……嬢ちゃんならどう読む」
「戦況はいったん大きく動くでしょう。ですが、どちらの陣営も勝ち切ることができずに膠着すると思います」
「そうだな。俺もこの戦争は長引くと読んでいる。大多数の投資家連中は『戦争はすぐに終結して、国土の荒廃によりいくつかの国の購買力が下がり、物価も下がるだろう』と言っているが、俺は逆に物価は上がると思うね」
耀子の戦況分析に対し、金子は自分の読みを披露する。彼はこの戦争に乗じて史実通り鉄や砂糖、小麦粉などを限界まで買い占め、物価が上がったタイミングで売りぬいて大儲けするつもりである。
「私も物価は上がると思います。ただ、この戦争は2年以内に終結させます。長引かせはしません」
「『しない』ではなく『しません』と来たか。するってえと、日本軍を欧州に遠征させる気か?」
「それは機密事項ですので……」
物理セキュリティはガバガバな耀子であったが、その口は結構固かった。賄賂の類は全く効かないし、親しい相手にも無関係な機密情報は絶対に話さない。しかし、今回のように自分の目標が相手に伝わるような言葉遣いをして、わざと誘導することはままあった。
「……まあ、手段はどうでもいい。耀子の嬢ちゃんの目は侮れねえものがあるし、俺は少々計画を修正したほうがよさそうだな」
「それが良いと思いますよ。私も、知り合いが一世一代の博打を打って大コケするのは見たくないですから」
「で、やっぱり鷹司の嬢ちゃんのいうとおりになったというわけか……」
社長室のフカフカした椅子に倒れこむように深く座ると、金子は深くため息をついた。耀子との意見交換後、彼はやはり値段が落ち着いているうちに軍需物資を買いあさったが、史実よりだいぶ控えめにしたのである。案の定、確かに総力戦が行われた影響で物価は高騰したが、戦争自体は2年どころか1年程度で終結し、その後も国土を荒らされたドイツ、フランスの復興需要があったものの、徐々に鉄鋼価格などが下がり始めていたのである。1915年当時にはまだ結構な量の在庫を抱えていたため、金子の手腕がなければ、危うく大赤字を出して倒産するところであった。
「……鈴木商店に多額の出資をしている台湾銀行は、何とか買い占めた物を売りぬいて一息付けた今のうちに、不採算部門の整理をしろと言っている。従業員は皆家族なんだから、そんなことはできねえ。できねえが……」
彼は机の上にある不採算部門のリストを手にし、そこにある社名を眺めた後、何やら考え事を始めた。
とりあえず鈴木商店のフラグはこれで折れたんじゃないかと思います。




