1937年の密談
1937年1月1日。世間では今日一日くらい堅苦しいことは抜きにして新年を祝うものであるが、山階侯爵家では違うらしい。
「毎年思ってるけど、お父様たち、新年すら仕事の話をするんだな」
「そらそうだろ。信輔伯父様、今『研究会』の会長なんだからさ。政党の党首みたいなもんだぜ?」
ぞろぞろと書斎に引っ込んでいく自分たちの親を見ながら信輔の長男、平通が言うと、耀子の長男である耀之がさも当然とでも言いたげな態度をとった。
「とはいっても、せっかくの元旦なんだからさ、もうちょっとゆっくり休んだ方がいいんじゃないか?」
「俺たちの親ぐらい地位が高くなると、何をやるにも注目が集まって動きづらくなるんだよ。だから、集まって話をするのが自然な機会を逃さずに、情報共有の場として活用するのが良いんだってさ。休む時は各々で勝手に休むんだと」
半ば呆れたような口調で耀之が解説する。平通を下に見ているのではなく、大人のしがらみみたいなものをばかばかしく思っているのだ。
「へぇ、耀之は詳しいな」
「母さんがいつも愚痴ってるからな。いやでも覚えるよ」
その割にはやけに楽しそうである。大変だとは言いつつ、なんだかんだ好きでやっているのだろう。付き合わされている信輔伯父さんには同情を禁じ得ない。
「そんなことより、蒸気機関車と、最近流行りの気動車の違いについて教えてくれよ。いや、ざっくりとはわかってるんだけどさ」
「俺も専門じゃないけど、まあ知ってる範囲でな」
だいぶ後のある日、天皇に振り子式台車の仕組みについて聞かれた平通は、正しくわかりやすい完璧な回答をして周囲の人間を感心させている。耀之と言う工学分野に明るい親友がいたことが大きく影響したのは、言うまでもないだろう。
鷹司本家邸書斎。少々狭苦しいが、だれにも邪魔されない場所に、信輔・信煕・耀子兄妹と、武彦・芳麿兄弟が集まっていた。
「皆様知ってのとおり、アメリカに魔王が降臨しました……」
「たぶん未来の人間しかわからないネタだな? 通じないからちゃんと教えてくれ」
わざと仰々しく耀子が言うと、信煕が突っ込みを入れる。
「えーとですね、史実で日米が開戦した時の米大統領が昨年大統領選を制したフランクリン・デラノ・ルーズベルトでして、口さがない人々が彼の事を『魔王』だの『恐怖の大魔王』だのと呼んでいたのです。冗談が混ざっていると思いますけどね」
「実際のところは?」
芳麿が尋ねた。
「中国とアカを贔屓しすぎていますが、愚かではありません。油断ならない相手、とみるのが一番バランスがとれているかと」
「中国とアカを贔屓しているのは嫌な予感がするなあ。スペイン内戦で共和派に肩入れしたりしない?」
「史実のスペイン内戦に対しては武器輸出を禁じて中立に回りました。今の共和派はコミュニストとアナーキストですっかり真っ赤なので、さすがに露骨な支援は議会と国民に反対されるでしょう」
信輔が懸念を表明するものの、耀子はそれを打ち消す。
「それよりも支那だな。芳麿からも聞いたが、清よりも中華民国とつながりのある大統領なんだろ?」
「うん。早くも蒋介石の妻である宋美齢夫人などが、支援を求めてアメリカに飛んでいるらしいよ」
「一方の清は、まだアメリカが権益を持っている満鉄に並行する鉄道路線を伸ばしはじめて、満鉄の顰蹙を買っているらしいな」
武彦の指摘に対して、信輔と信煕が補足した。経緯は全く違うものの、この世界でも満鉄平行線問題が発生しており、満鉄の権益を持つ国──つまりこの世界線ではアメリカ──と清(満州)の関係を悪化させている。
「アメリカの影響力が良くも悪くも減少して、自分たちの力で国を守らないといけなくなったとはいえ、もう少しやり方を考えないといけませんでしたね」
ルーズベルトには当選前から中華民国の要人が何度も接触していることを、清側もつかんでいるはずである。そんなときにわざわざ関係を悪化させるようなことをしたら、それを口実に中華民国側へ靡かれてしまうに違いなかった。
「それでいいと考えているんじゃないかな……去年から我が国に留学する清国軍人が大幅に増えているんですよね?」
「そう聞いている。清としては、世界恐慌で逃げていったアメリカより、買い支えた日本の方が信用できると思っているんだろうな」
芳麿の問いに信煕がうなずく。
「そして日本もそれに乗らざるを得ない。なぜなら沿海州と朝鮮があるし、満州自身も食糧の輸入源として重要だから、ですね」
沿海州も朝鮮も、ロシア戦争の結果、いやいやながら日本に併合した地域である。本当は他国に管理してもらいたいのだが、沿海州は持っておかないと日本海の通行の安全が確保できないし、朝鮮に至っては勝手に密書外交をして外患誘致を行った前科があるため、属国化では生ぬるいことがわかってしまっていた。
「そうだ。たとえアメリカを刺激するとしても、我が国はアメリカから日本へ軸足を移そうとする清を拒むことは難しい」
「朝鮮や沿海州が敵の手に落ちれば、次に狙われるのは日本本土だもんね。それらに隣接している清との関係は、良好に保っておかないといけない……」
信煕の言葉に信輔が続き、そして頭を抱える。
「一時的にアメリカとの関係を維持するなら、清を見捨ててアメリカと一緒に中華民国に肩入れし、中国大陸を統一させるのがいいんだろうけど……」
「そんなことしたら大きくなった中華民国が何をするかわからない。無理な各軍閥の統合によって各地の行政が混乱しているらしいから、共産党と内戦を始めて負ける可能性すらある。そんなことになったら……」
「……考えたくもないね」
つまり、すり寄ってくる清を追い払うというオプションはないということだ。強大な中国が日本の脅威となることは、過去の歴史から証明されている。同盟相手の「分割して統治せよ」という言葉の重みを改めて実感する5人だった。
中途半端ですが、時間切れなのでここで区切ります。




