風を切り裂く楔
例のあれを投入します。
大衆車として発売されたウィズキッドは、安価な庶民の足として人気を博し、現在も安定した売れ行きを見せている。
一方、内外装を高級化した豪華版グレード「スーパーデラックス」や、排気チャンバーを取り付けてブースト圧を増やし、エンジンを高出力化したスポーツグレード「SS」などを追加したものの、車種としてより高級な車を求める声が華族層から上がっていた。
「まあ確かに、軽と超高級車しかラインナップがないちゅうのも、どうかと思うけんなあ」
「今はウィズキッドより大きなモノコック車に対応できるラインが存在してますし、登録車の生産に乗り出してもよいかと」
くろがね重工業社長鈴木道雄と、四輪技術部長の蒔田鉄司がそんな話をする。
「だけんど、今から登録車市場に進出して勝つ見込みはあるんけ?」
軽量化要求の厳しい軽自動車と比較して、登録車、つまり軽ではない一般の乗用車はまだ製品化が容易である。日本全体の経済力が上がっていることもあり、他業種大手の新規参入も多く、日本産業のダットサンや三菱のコルトなどが、すでに一定の成功を収めていた。さらに輸入車としてダイムラーのType1やタトラのT47、第1回ローマモーターショー後に登場したナッフィールドのミニなどもライバルとして立ちはだかるため、いかにくろがね重工業、いや帝国人繊グループと言えど、慎重に参入しなければ痛い目を見ることは火を見るより明らかだった。
「すでにジムニーは弊社の登録車として確固たる支持を築いていますし、キャリイもエルフより取り回しやすい小型トラックとしてご愛用いただいておりますが……」
「どっちも仕事の車だに、登録車が欲しいって言っとる連中とは客層が違うら。何か他社に負けない強烈な個性の車を作る企画が出てきたら、こっち持ってくるだね」
そんな調子で、これまでくろがね重工業が一般大衆向け登録車は販売してこなかった。そう、耀子たちが全日本自動車競走選手権大会で活躍するまでは。
「道雄さん、耀子さんたちがやらかしてくれたおかげで、ウィズキッドのレース車を売らないのかとの問い合わせが殺到しています。ここはのっかるべきでしょう」
「……まあ、一部のマニアが買っていくだけだら。あんま凝ったことはせんでな」
道雄から言質を取った蒔田は、ウィズキッド・インディを手直しし、安全に公道を走行できる仕様に仕立て直した車を開発することにした。
「……で、私が呼ばれたってわけ」
「誰に話しかけてるんですか?」
急に静岡に呼びつけられた耀子はそんな一言を虚空に向けて発し、横にいた文子が突っ込みを入れる。
「くろがね重工業艦隊の旗艦となる、象徴的な車です。ぜひ山階さんにデザインしていただきたく」
「ちょうどいい案があるよ。気に入ったら使ってちょうだいな」
そういうと耀子は紙に車の絵を描き始める。
(鉛筆に迷いがない……本当に腹案を用意していたらしい。でもなぜ? こうなることを予期していたのか?)
空気の壁に打ち込む楔のように、直線的で、扁平で、エッジの効いたボディラインを、さらさらと耀子が描き進めていく様子に、蒔田は感心した。
(耀子さん、こんなデザインもかけるんだ……私ももっと引き出しを増やさなければ)
いつもの女性的な丸みを帯びたデザインではなく、今はまだ生まれてすらいないジョルジェット・ジウジアーロの影響を強く受けた男性的なスーパーカー。そんなデザインが描き出されていく様子を見て、佐々木達三も身を引き締める。
そうして耀子が描き上げたのが、史実のSS20セルボの大きさに引き伸ばした、フロンテクーペであった。
「こいつはすごい……」
「こんな車見たことがない……」
耀子の絵を見て蒔田と佐々木は思わず嘆息する。
「どうかな。せめてウィズキッドとプラットフォームは共通になるように、ホイールベースには気を付けたつもりなんだけど」
「そんな配慮までしていただけたんですね。ありがとうございます、こちらでいかせてください」
「凄く刺激的な、独創性のあるデザインだと思います。完敗です」
デザインさえ決まれば、あとはいかにウィズキッドから変更を加えずに生産できるようにするか、設計が頭をひねる番である。耀子が配慮したように床周りは大部分の板金を流用し、サイドシルなどが新作となった。上部構造は当然すべて作り直しだが、それでもできる限りの部品を既存車から流用して作られたのが以下の車である。
帝国人造繊維 SS11R "セルボ"
乗車定員:5名
車体構造:鋼製モノコック
ボディタイプ:2ドアファストバックセダン
エンジン:くろがね重工業 "B015C" ユニフロー掃気2ストローク水冷直列3気筒直打OHC
最高出力:102hp/5000rpm
最大トルク:14.7kgm/3000rpm
駆動方式:RR
サスペンション
前:ダブルウィッシュボーン縦置きトーションバー独立懸架
後:セミトレーリングアーム横置きトーションバー独立懸架
全長:3490mm
全幅:1490mm
全高:1260mm
ホイールベース:2100mm
車両重量:600kg
ブレーキ
前:ベンチレーテッド・ディスク
後:リーディング・トレーリング
「かっこいいなあ」
「かっこいいですね」
完成した試作車を見て関係者が口々に感想を述べる。
「この子が、くろがねの911と呼ばれる日が来ると良いなあ」
耀子がポツリとこぼした通り、この世界のセルボは、現代にいたるまでウェッジシェイプのRRスポーツカーという個性を保持したまま、世代を重ねて、マニアに愛されているのだった。その販売台数は決して多くはないが、この車にあこがれて入社してくる若者たちが、今日のくろがね重工業を作り上げているのである。
セルボ、フロンテクーペからの伝統を崩さなければ、今も国産軽スーパーカーとして、唯一無二の個性を発揮できただろうになあ。
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