不穏な正月-2
物理書籍の予約注文、絶賛受付中です。
詳細は活動報告をご覧ください
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3053369/
「もうめんどくさいので、いったん航空派と大砲派の争いは棚上げにしましょう。戦艦も空母も、もはや主力艦であることに異論はないでしょうから、同じ枠に放り込みませんか」
「戦艦を重視するか空母を重視するかは各々の国で勝手に決めてくれ、ということか」
史実のワシントン海軍軍縮条約では、空母は別枠で保有数が決められていた。これではアメリカに低い保有トン数を主張されかねないため、戦艦と空母を同じ枠で管理することを提案したのである。
「こうすれば航空派と大砲派の殴り合いが各国内で起こることになります。みんな苦しめってやつです」
「本当に苦しんでくれるかはわからないけどね」
「アメリカは大砲派がまだ多数派のようだし、イギリスは戦艦も空母もどちらも整備できる保有トン数を確保できそうだしな」
史実の軍縮条約では、イギリスとアメリカの保有トン数は同一にされていた。しかし、この世界では史実程イギリスが凋落しておらず、逆にアメリカはその実力を世界に示していない。さらに日本は史実よりも武功を立てていることから、各国の力関係はイギリス>アメリカ≧日本といった具合であった。当然、保有枠の大きさもこの力関係に従う公算が大きい。
「それから補助艦の保有枠も制限しましょう。どうせ主力艦を規制したら、補助艦……特に水雷戦隊で取り返そうとするのは目に見えてますから」
「それはイギリスの反発を招かないか? 広大な植民地を抱えている彼らにとって、補助艦、というより巡洋艦はいくらあっても足りないだろう」
日の沈まない帝国の名は伊達ではなく、この時代のイギリスは世界の海に植民地がある。こうした植民地の警備のため、イギリス海軍では航続距離と居住性に優れた軍艦の需要が高く、その要求仕様に合致するのが小型の巡洋艦なのだ。
「それこそイギリスと共謀して、彼らの希望が通るように会議を誘導すればいいのではないですか? 補助艦の建艦規制が必要なことそのものは、あの国も理解してくれると思いますが」
兄の懸念に対して、弟が提案を行う。
「それもそうだな」
「ところで、そもそも今我が国が保有している主力艦の総トン数っていくらでしたっけ」
最初にやるべきだったと思いつつ耀子が発言した。
「えーと……38万トン弱だったな。金剛型4隻、鳳翔型2隻、翔鶴型4隻、蒼龍型1隻、加賀型1隻だ」
「其処に建造中の物を足すとどうなりますか?」
「土佐と飛龍だから……43200と36500を足して……45.5万トンというところだな」
武彦が日本の主力艦の総トン数を概算する。
「あれ、思ったより少ない……日露戦争に間に合わなかった前弩級戦艦とか、河内型とかはどうしたんでしたっけ」
「あいつらは旧式化が著しく、使い道もないということで、ロシア戦争後にアルゼンチンに売却した。新聞にも出ていたはずだが」
耀子にしては珍しいな、と言いたそうな調子で武彦が答えた。
「あーそういえばそんなの見た気がする」
「ここ最近ずっと前線で仕事をしていたからね、耀子は」
そう言って芳麿が耀子を抱き寄せる。思えばここ最近ずっと前線、つまり技術者としての仕事に出ずっぱりで、経営者として落ち着いて会社や社会を眺める時間が取れていなかった。耀子自身の案件はひと段落ついているし、中間管理職も育ってきている。しばらくは前線から離れたほうが良さそうだ。
「2年くらい国産大衆車案件に張り付いてましたから……」
耀子はそう言うと、うっとりした表情で芳麿に身を預ける。
「事情は分かったが、そういうのは後にしてくれ」
そう言う武彦も、後で佐紀子といちゃつくことを画策していた。兄弟そろって愛妻家らしい。
「はーい……というわけで、どちらにせよ、日本は頑張っても40万トンを超えるのが精いっぱい、という状態なわけですね」
「史実の建造枠はいくらだったんだ? 主力艦は対米6割と聞いているが」
気を取り直して、史実の状況を武彦が聞く。
「英米の建造枠が50万トンだったので、日本は戦艦が30万トンでした。空母は別口で、詳細な数字は覚えていませんが、あの時のアメリカの空母はラングレーとレキシントン級2隻だったような……」
「待て、レキシントンが空母? ……いや、後にしよう。また話が脱線する。仮にレキシントン級が排水量そのままで空母化されたとすると、アメリカの建造枠が10万トンぐらい。日本の建造枠は6万トンだったと予想できるな」
なぜ武彦が動揺したかというと、この世界ではワシントン海軍軍縮条約がなかったため、レキシントン級が六隻とも巡洋戦艦として就役しているからである。ついでに言うなら、コロラド級も4隻揃っているし、サウスダコタ級は現在せっせと建造している最中だ。アメリカの誇大妄想的な建艦計画「ダニエルズ・プラン」を止める者は、議会しかいなかったわけである。そして、そのツケとして維持費がアメリカの財政を圧迫しており、半ば音を上げるような形で軍縮条約を提唱した、というのが今回のアメリカなのだった。
ちなみに、実際のアメリカの建造枠は13万5000トンなので、武彦の推測よりも多かったりする。
「日本としては自国建造枠が36万トン以上で、アメリカの建造枠を60万トン以下にすれば史実以上の成果を得られた、と言えるでしょうね」
「そんな日本はすでにぎりぎりまで主力艦を削っていて、せめて40万トンは確保したいところ、という感じでしょうか。そうなると、アメリカの建造枠は60万トンまでみとめることになるかもしれませんね」
「対米6割6分か。史実よりは良いが、軍令部が許容するだろうか……」
史実の軍令部があれだけこだわっていたということは、何かしら理論があってこの数字に拘泥したのだろう。今の武彦たちがいる世界線でもそれは変わらない可能性が高いと彼は判断した。
「日英同盟で妥協します? 現在は攻守同盟ですが、アメリカを敵対対象から除外するとか、明治時代の規定まで戻すとか……」
「それはどうだろう……イギリスとの協調路線によってアメリカに対抗するというのが、耀子さんの考えだと思っていたけど」
耀子の発言に芳麿が異議を唱える。
「それはそうなんですが、軍令部の主張を無理やり抑え込んでしまうと、史実では色々暴発されてしまっているんですよね。抗議のために自殺をする人が出たりとか、統帥権干犯問題とか……」
「統帥権干犯問題……?えーと、まさか、天皇陛下に無断で軍の削減を決めるのは、憲法に書かれている陛下の統帥権を犯す行為だと言った人がいるの?」
「そんなことを言ったら、何をやるにしてもいちいち陛下にお伺いを立てることになる。それでは軍としてまともな動きが取れなくなると思うんだが」
耀子の発言に山階兄弟が驚く。
「いたんですよ……立憲政友会の鳩山一郎と犬養毅です。彼らとしては単に政権与党を攻撃する口実に使っただけのつもりなんでしょうけど……彼らが統帥権干犯論を持ち出したのを契機に、軍は議会の言うことを聞かなくなってしまいました。特に鳩山は孫の一人もまた本当にロクでもないやつで……」
「どうどう、落ち着いて、落ち着いて耀子。鳩山さんのお孫さんに恨みがあるのはわかったけど、それは今回関係ないから、ね」
耀子の前世の愚痴演説会になりそうだったため、間髪入れずに芳麿が止めた。
「それに、統帥権の問題はたまたま鳩山さんと犬養さんが言い出しただけで、本質的には大日本帝国憲法の問題だろう。信輔さんから陛下に根回ししてもらって、改正の勅命を出していただく方がいいだろうな」
「後で信輔さんにも話をしておかないといけませんね……」
予想外の方向に飛び火したことに山階兄弟は苦笑する。
「それでしたら、内閣総理大臣の権限も強化しておかないといけないと思います。大臣の席が空席になるせいで、組閣できないことがあまりにも頻発しすぎています。政情が不安定になれば、この先もっと増えますよ」
耀子はついでとばかりに内閣制度にもメスを入れることを主張した。山階侯爵家での密談は、予想外の方向に話題が転がっていく……。
カバーや本文内のデザインが続々上がってきています。明治大正の雰囲気を感じさせるよさげなものになっておりますので、期待して待っていてください。




