小さな車
自分は参加していませんが、今日はコミケなので、更新時間をずらしました。
懐かしい響きですね。またあそこに行くことはあるのでしょうか。
大屋を接客に戻した耀子は、入れ替わりにジムニーの時からの主力設計士である蒔田哲司のもとへ行く。
「蒔田さん、お疲れ様です」
「ああ耀子さん……」
耀子の呼びかけに、少々お疲れの御様子で蒔田が答えた。
「……大変そうですね」
「さっきからひっきりなしに取材を申し込まれて、耀子さんが話しかけてくれたおかげでやっと途切れたところなんですよ……こんなことなら俊三君もつれてくればよかった……」
もう勘弁してくれと言わんばかりの態度を示す蒔田。社長と部下がこうしたフランクなやり取りをできるのも、帝国人繊の特徴の一つと言える。まあ、社員の中には耀子がまだ未成年だったころに入社した者も居るので、そう言った事情も込みでの文化と言えるのだが。
「うーん……そういえば蒔田さん、カーオブザイヤー選考のための試乗会は行きましたか?」
「いえ、あれは耀子さんみたいなもっと偉い人の行くやつだと思ってましたけど……」
耀子からの問いに、蒔田は戸惑いつつ答えた。
「あれは出展側の人間だったら参加できる催しですよ。この場は私が代わりますから、社外の車に乗って気分をリフレッシュしてきてください」
「え、良いんですか?」
蒔田が目を丸くする。先ほどの台詞のように、自分が試乗評価を行うことを考えていなかったようだ。
「良いの良いの。文子さん、私たちの分の衣装もあったはずよね?奥で着替えましょう」
「はいはいわかりました……そういうわけですので蒔田さん、しばらく向こうで楽しんできてください」
「は、はあ……」
そういうと耀子たちは一旦ブースの奥へと引っ込み、裏方の人間に言ってコンパニオン用の衣装を受け取る。この手の展示会では目を引く服装の女性が商品の説明をしていたなあと、耀子が用意させたものだ。と言っても、現代のレースクイーンのように露出が大きいものは耀子も世間も好まないし、そもそも海外のイベントで洋装しても目立たないということで、緋袴と帝国人繊のロゴが刺繍された小袖──いわゆる巫女装束ベースのデザインである。
「うわあ、文子さんすっごい似合う……ナンパには気をつけてね」
やはり普段から鍛えている人間は違うのだろう。この手の衣装を着た時の雰囲気が自分とは違うと耀子は思った。
「耀子さんもよくお似合いですよ」
本心なのか社交辞令なのか、文子もそんな言葉を耀子に返す。
「そうだといいなあ……」
耀子も今年で34歳。そろそろ35歳になる。つまるところ"おばさん"になりつつあるわけで、自分でも鏡を見ると「老けたなあ」と思うお年頃だ。3度の妊娠を経てお腹もたるんでしまっているし、身体能力や妊孕性も明らかに下がっている自覚がある。
「耀子さんは昔から変わりませんから」
「実態はともかく、そう言ってもらえるのがもううれしい年齢になっちゃったね」
文子の返しに対して、耀子はそう言って苦笑した。
与太話もそこそこに、耀子はウィズキッド、文子はせっかくなので一応展示しているジムニーの横にたつことにした。このタイミングで蒔田はブースを離れ、試乗会に参加している。
「すみません、この車のエンジン開発に関わっていた方はいらっしゃいますか?」
「一応、私ですかね」
イタリア語で話しかけられた耀子は、通訳を介してやりとりした。
「え、女性のあなたが?……ということは、貴女が山階耀子さんでしょうか」
「そうです」
この人は何が言いたいのだろう……と思いながら耀子は返事をする。
「なんと……それはそれは失礼しました。私はFIATのダンテ・ジアコーサと申します。この度はふがいない我が社に代わり、素晴らしいエンジンを用意してくださって誠にありがとうございました」
「……!さ、サインください!」
「や、山階さん!?」
目の前の相手があこがれのジアコーサであるとわかったとたん、耀子の理性は異次元に吹っ飛んでいった。若いころの写真を見たことがなかったため、話しかけられただけではわからなかったようである。唐突にサインをねだりだした社長に、通訳は思わず聞き返した。
「あそこのかわいいかわいいFIAT500をつくりあげたあのジアコーサですよ!?これが冷静でいられますか!?」
「山階さん、落ち着いてください。なんとなく興奮されている理由はわかりましたが、何にサインしてもらう気ですか?」
「こんなこともあろうかと色紙は持ってきているんです!通訳さん、状況を説明しておいてください!」
言うが早いか、耀子は奥へと引っ込み、自分の荷物から色紙を掴んで戻ってきた。
「これにお願いします!」
「はあ……」
ジアコーサは戸惑いつつも耀子から渡された色紙にサインをする。
「ありがとうございます!これで一つ、いい思い出ができました!」
「よ、喜んでもらって何よりです……」
耀子の勢いに気圧されるジアコーサだったが、とりあえず、彼女が自分の設計した製品をとても気に入っているということは理解したらしい。
「……大変失礼いたしました。それで、あのエンジンについて何を聞きたかったのですか?」
ひとしきり暴れた後冷静になった耀子は、ジアコーサに詫びて話を引き戻した。
「いえ、同じエンジンを積んでいる御社のウィズキッドが、どのように設計されているのかを見つつ、エンジンを融通していただいたお礼を言いに行こうかと思った次第で」
「なるほどそういうことでしたか。この車には自分の思いがいっぱい詰まっていますので、もしよろしければご説明させていただいてもよろしいですか?」
「ぜひお願いします」
そして耀子はウィズキッドの設計コンセプトから詳細検討まで、陸軍とトーションバーの関係のような機密に触れないようにしつつ解説を行う。
「計器類はちゃんとしたのを積んでいますね」
「ここをけちると車のコンディションを見誤って壊しやすくなってしまいますので」
「インパネは全部樹脂なんですか」
「うちの強みですからね。軽量化のためにも鉄板にするわけにはいきませんでした」
「ドアやフード類の外板も全部樹脂?」
「これも重量削減のためです」
「うちの500と幅はほぼ一緒ですが、全長が少し長いですね」
「後部座席の居住性と、荷室容積を重視したためです」
「リアエンジンなのに荷室……? ああ、エンジンルームの高さを抑えることで、上を荷室として活用できるようにしているんですか」
「このレイアウト、気に入ってるんですよ。御社でもぜひ」
二人がワイワイやっていると、会話内容をメモしたり、二人の様子を写真に撮る者たちが現れた。どうやら耀子がみずから車両解説をしているのが周りに知られたらしく、その様子を取材しようと雑誌や新聞の記者が集まってきたらしい。
「あ、そこのカメラマンさん、後で私と彼の映っている写真焼き増ししてうちまで送ってください」
ちゃっかり推しとのツーショットを要求する耀子だった。
書いていると耀子が動き回るので、どんどん長くなっていきますね……




