価値ある製品作り
マーケティングは本当に難しいね、というお話です。
「結構人が来てるね」
「イタリアの人は、こういう小さい車が好きなんでしょうか」
耀子たちが帝国人繊のブースに近づくと、FIATほどではないにせよたくさんの見物客が集まっていた。女性の身長で遠くから車を見るのはいささか大変そうである。
帝国人造繊維 LC11S "ウィズキッド"
乗車定員:4名
車体構造:鋼製モノコック
ボディタイプ:3ドアファストバックセダン
エンジン:帝国人造繊維"B005C" ユニフロー強制掃気2ストローク水冷単気筒直打OHC
最高出力:37ps/5500rpm
最大トルク:4.9kgm/3500rpm
駆動方式:RR
変速機:前進5速後退1速 フルシンクロ
サスペンション
前:ダブルウィッシュボーン縦置きトーションバー独立懸架
後:セミトレーリングアーム横置きトーションバー独立懸架
全長:3290mm
全幅:1290mm
全高:1260mm
ホイールベース:2100mm
車両重量:490kg
ブレーキ 前:ツーリーディング 後:リーディング・トレーリング
「んー、自動車レースとかが盛んなお国柄だし……重心が低くて空気抵抗の小さそうな車はそれだけで興味を惹かれるんじゃないかな」
平べったい楔のような形をしたスーパーカーたちを思い浮かべながら、耀子は文子の疑問に適当な答えを返した。
「こんにちは大屋さん。調子はどうですか?」
「調子も何も大盛況ですよ。まあイタリア向けの輸出は結構好調でしたから、ある程度読めてましたけどね」
鈴木商店四輪営業課長の大屋晋三は、ほくほく顔で文子の呼びかけに答えた。帝国人繊営業部に出向していたこともある彼は、これまでも帝国人繊の歴代主力製品を売りさばいてきた歴戦の営業マンである。しかも語学が堪能であるというから、今回の仕事にはまさにうってつけの人材であった。
「FIATも500を作ってますし、やっぱりイタリアの人は小さい車が好きなんですかね」
「古い町が多くあり、地形も入り組んでいるので、日本と同じような狭い路地裏がたくさんあるんです。500にしろウィズキッドにしろ、そういうところで非常に取り回しやすいので重宝されているという感じですね。しかもウィズキッドは発動機の全高を低く抑えたおかげで、後部座席の後ろに荷室を設けることができていますから、地元の500ではなくこちらのウィズキッドを選んでいただける方も多いですよ。同じ理由でイギリスやオーストリアでも人気ですね」
大屋が話した通り、ウィズキッドは史実のフォルクスワーゲン Type3やルノー トゥインゴのように、エンジンをコンパクトにまとめることで、エンジンルーム直上を荷室として使えるように設計されている。実はType1も似たような構造になっているのだが、ウィズキッドはリアガラスがガラスハッチになっていて、車室外からもこの荷室にアクセスできるようになっているのが売りの1つだった。後年、FIATもラゲッジスペースの重要性を認識し、500のステーションワゴンモデル「ジャルディニエラ」を追加している。
「逆に、フランスでは苦戦しているんでしたっけ」
耀子も話に混ざる。
「そうですね。あそこはやっぱりシトロエン3CVが強いです。あちらの方が絶対的な車内容積が大きい分積載力がありますし、何よりサスペンションが非常にしなやかですからね。ウィズキッドも悪路には強い方ですが、向こうの方がストロークがおおきくてバネレートも柔らかいですし、バネ上重量も勝っていますから……」
「エンジンは非力だけど、最高速を犠牲にしてローギアにしているからパワーはあまり変わらないし、農産物を載せている車はそもそも大きな横Gがかかるような運転をしない……ウィズキッドとは想定する使い方があまりかみ合ってないわね」
ウィズキッドは「日本の道路を軽快に走り抜けるファミリーカー」という想定で開発を行った。曲がりくねった峠道から、4車線以上ある幹線道路までを余裕をもって走り抜け、4人家族とその荷物を載せて旅行に出かけられる走行性能と積載量を満たすように設計されている。
「ウィズキッドは3CVよりも幅広い速度域で使われる前提で開発しましたから、より『走り』を重視することが求められました。それと同時に、狭い道でも取り回せて、車重も500kg以下に抑える必要があったので、小さな車体にする必要もあったわけです」
「そうなると必然的にトーションバーの長さは制限されるし、ある程度のバネレートも必要なわけで、3CVのようにふわっふわなものにするのは無理だったのよね……」
荷物は荷物であり、生卵のような壊れやすいものは想定していなかった。そのため、ラゲッジスペースが全くない500や、ボンネットの中ぐらいしか置き場所がないT47ほどではないが、ウィズキッドも、フランス人から見ればあまり魅力的な車ではなかったと言える。今回出展している大衆車の中で屋根の高さが最も低いことも、居住性を重視するフランス人やアメリカ人には不評だった。
「同時に、燃料タンクの容量も少なく抑えざるを得なかった感じですか?」
「そうですね。無給油で300km走れたら御の字って感じだったかと」
「なるほど……ドイツのお客様は航続距離に懸念を示されることが多いのです。国土が東西に広く、アウトバーンのおかげで自動車でも長距離移動がしやすいからでしょうね」
これはType1やT47、それにアメリカ車の車格が大きくなってしまった原因でもある。劇的に燃費を良くする方法が存在しない以上、航続距離とは燃料タンクの容量であり、燃料タンクの容量を稼ぐには車体を大きくするしかないのだ。なので実際、ダイムラーベンツとタトラのエンジニアたちは、自分たちの想定よりはるかに小さい大衆車を送り出してきたFIATと帝国人繊に当初驚愕し、その後、この2車種が航続距離については割り切っていることを知って安心したという。
「これ以上航続距離を増やそうとしたら、安全性を犠牲にして燃料タンクを大きくするか、エンジンの燃費を良くするしかないかな……」
「万人に対して価値ある製品作りって、難しいんですね……」
「私もよく分かったよ……」
前世から温めてきた「りそうのくるま」を実現させた耀子であったが、こうして改めて他国大衆車の現物を見て、理想と現実の落差を実感することになった。
いつも感想ありがとうございます。昨今のコロナ禍の影響か、いろんなものが後ろに延び延びになっていますが、何とか生きています。というか今回のコロナ本当にヤバイですね。見知った人が次々感染していて恐ろしいです。皆様もお気を付けて……




