まるい・ちいさい・とてもかるい
思いのたけをぶつけました
6/13 あまりにもタイトルがひどかったので変更
史実より経済が成長しているとはいえ、日本の一般大衆でも買えるような自動車を作るのは難しい。
「乗り物を運転できる国民を増やすことは、陸軍の機械化を目指すうえでも大いに役立ちます。軍で教育しなくても、トラックを運転できるとなれば、担当者の負担が減るでしょう?」
そのために耀子はありとあらゆる手段を講じてこの問題に取り組むことにした。まずは軽自動車制度を制定し、間接的に負担を軽減する手段に出る。陸軍にも大衆車普及の利点を宣伝し、支持を取り付けることも忘れない。
「富裕層が乗る豪華な自動車とは別に、中流家庭が乗る安価で取り回しの良い自動車を普及させるのが狙いです。鉄道よりも道路の方が維持管理は容易ですから、国内のインフラ整備にも貢献するかと」
貴族院の方でも、信輔と最近貴族院議員になった芳麿が、微力ながら工作を実施した。また、鈴木商店の系列や、帝国人繊と関係の良い三菱系にも働きかけて、ロビー活動を実施する。
「車重500kg以下は厳守せよ、発動機の変更は認められないって、そういうことだったんですね」
「軽自動車規格で出せなかったら、今までやってきた工作がパーになってしまうもの。国民の負担を考えても、あの2つは譲れないのよね」
とはいえ、まずはクルマが出来上がることが重要だ。政治的な根回しもほどほどに、耀子はちょくちょく四輪技術開発部設計課を訪れて、進捗を確認している。帝国人造繊維開発の大衆車「LC11S」は、以下のような仕様を要求されていた。
・全長は3.3m以下であること
・全幅は1.3m以下であること
・車重は500kg以下であること(必達)
・発動機は帝国人繊B005系を使用すること(必達)
・大人4人を乗せて以下のことができること
・不整地を60km/hで2時間巡航する
・箱根の山を越えられる
・120km/h以上の速度が出せる
・200L以上の荷室容積を確保すること
・かわいらしく流麗な、飽きの来ない外観とすること
・内装は質素で構わないが、速度計、回転計、燃料計、水温計の装備は必須とする
「とはいえ進捗は順調です。航空技術からの応援もあって、モノコックボディはちゃんと物になりそうですし、発動機も二輪車の方で実績がありますから問題は起きないでしょう」
「まーそうなることを祈ってるわ。まだ量産開始まで結構時間があるけど、お客様に早くお届けできるに越したことはないしね」
「そうなんですよね……最近、何か見落としてないか不安で仕方ないです」
はたして、俊三の嫌な予感は的中してしまうことになる。
「ごひゃく……さんじっきろ……」
「重いわねえ……」
「重いですねえ……」
一次試作車を載せた重量計の数字は、確かに530kgを示していた。規定より30kgも重いのである。
「製造バラツキも考えると、あと40kgは減らしたいかな」
「ははは、またクレイモデルを削る日々が始まりそうですね」
耀子の発言に蒔田鉄司が苦笑する。一方俊三はまだ重量オーバーの衝撃から立ち直れないでいた。
「……」
「さて俊三君。今回の敗因は何かな?」
「……重量管理に、失敗したこと、です」
絞り出すように俊三が答える。
「そうだね。計算できる要素には限界があるから、どうしても誤差が出る。自動車には数万もの部品があるから、この誤差が積もりに積もって30kgもの重さになってしまったわけだ」
「すみません……」
「全く謝る必要はないよ。この時代じゃしょうがないんだから」
前世の経験も踏まえつつ、耀子は俊三を慰めた。
「というわけで、ここからは部品のクレイモデルを削って重量を減らしていく作業になるぞ。たった1gの削減量でも、1000部品削れば1kgだ。航空技術の連中も、よくやってるらしいぞ」
「生産の方でも、もう少し軽く作れねえかやってみる。お互い頑張ろう」
「あと、もうちょっと部品を樹脂化してもいいと思うよ。他所じゃできないけど、うちはそのあたり強いんだからさ」
「……ありがとうございます。私も頑張って重量を削減しますので、皆さんよろしくお願いします」
立ち直った俊三が皆に頭を下げる。
「……しかし、重量はあれとしても、いい仕事をしたんじゃない?私は一生乗っていたいよ?これ」
そういって耀子は試作車を眺める。佐々木達三がデザインした其れは、仕様書の通り「かわいらしく流麗な、飽きがこない外観」を見事に体現していた。
史実を知るものが見れば、K111 スバル360とLC10 フロンテを足して2で割って少し大きくしたような、あるいはフィアット アバルト 750GT ザガートをチョロQにしたような見た目だと評するだろうか。
「耀子さんはこういうの好きですもんね」
ねっとりとした生暖かい笑みを浮かべている耀子に、一応創業時からの付き合いと言えなくもない道雄が苦笑しながらそう言った。
大粒の丸型ヘッドライトと丸みを帯びたグリルレスのフロント周りは愛嬌たっぷりで、ともすれば駐車場で見かけるたびにときめいてしまいそうである。ルーフからCピラーにかけての流れるようなラインはいかにもスピードが出せそうな美しいファストバックスタイルであり、どの角度から見てもスキが無い。
「図面を描いている間は本当に良いものを作れているのか不安でしたけど、こうしてものが出来上がってくると達成感ありますね」
「製造業の醍醐味がこれだ。ものを作る楽しさとはこういうことだ。俺たちはこれのために働いているといっても過言じゃない」
俊三の言葉に蒔田が何度もうなずく。
「こんな素晴らしい車が日本中の道路で走るようになったら、きっとみんな幸せな気持ちになると思います。それを目指して、まずは軽量化を頑張りましょう」
気持ち悪いくらいベタ褒めする耀子にその場の人々は少々困惑していたが、何はともあれあと40kgの軽量化が必要なのは変わらない。品質確認もそこそこに、各々は自分の持ち場へと戻っていった。
ところ変わってこちらはイタリア。ちょうどトポリーノのフルモデルチェンジを考えていたフィアット社は、世界的な大衆車開発競争に便乗することにした。主導的な役割を担うのは若き天才ダンテ・ジアコーサと、その上司のアントニオ・フェッシアである。
「日本の帝国人造繊維には『小少軽短美』というスローガンがあるらしい。物を安く作るためには、機能美を損なわない範囲で、小さく、少なく、軽く、短く設計するのが肝要との事だ」
機械設計だけでなく、エクステリアデザインまで引き受けることになったジアコーサは、粘土の塊の前で腕を組んで瞑想していた。
「二人乗りの自動車を四人乗りの自動車の半額で作ることはできない。だから、新型500は四人乗りにする必要がある」
旧型500は二人乗りにしてしまったため、荷室に強引に人を載せることが横行していた。このため、「過積載」によってリアの板バネが折れる事故が相次ぎ、設計変更を余儀なくされた苦い思い出がある。
「そうなると、4人の大人をぎりぎりの空間に押し込むには……」
そうしてダンテが粘土をこねまわして何日もたったころ、彼はいつの間にか自分の目の前に丸っこくてかわいらしい自動車の模型が出来上がっていることに気が付いた。
「あれ、俺こんなの作ったかな……?」
別に妖精さんがやってくれたわけでもなく、正真正銘彼の仕事である。あまりにも仕事に熱中していて、半ば気を失っていたのだ。
「おーいダンテ、大丈夫か?」
「ああ、フェッシアさん」
そんなダンテを心配してか、アントニオが部屋に入ってくる。
「おお……これはなかなかいい感じじゃないか?」
「なんか、いつの間にかできてました」
「いつの間にってお前なあ……」
他人事のようなコメントをしたダンテにアントニオは呆れた。
「でもこれ結構いい線行ってると思うんですよね。薄い鋼板でも剛性が保てそうな曲面で構成されてますし、ちゃんと大人四人が乗れそうですよ」
「……たしかにそうだな。これをもうちょっとブラッシュアップしたら持ってきてくれ。多分みんなこれで行くと言ってくれると思う」
「わかりました」
完成したクレイモデルは設計チームの心をつかみ、皆がダンテを激賞した。それはそうだろう。彼がデザインしたものは、史実で50年以上にわたって世界中の人々に愛される名車「500」そっくりだったのだから。日本でも、某怪盗の愛車と言えばほとんどの人が外見を思い浮かべることができるだろう。
「さあ、後はこいつをちゃんと走れる車にするだけだ。みんな、頼むぞ」
その後の設計も、できる限りコストを抑えつつ、最低限の性能は確保する方向で行われた。その方針には基本的にダンテも同意するところであったが、彼にも譲れないものは存在する。
「何だそのふざけたエンジンは!物を売るってレベルじゃねーぞ!」
ダンテは激怒した。必ずや邪知暴虐の利益最優先主義者共を打ち倒さねばならぬと誓った。ダンテには経営がわからぬ。ダンテは、一介の設計士である。図面を描き、粘土と遊んで暮らしてきた。だが、コストカットを優先するあまり客をなめたような仕様にされることに関しては、人一倍敏感であった。
「こうしないとイタリアの大衆が買える値段にならないって……」
「買ったところでまともに走れなかったら意味ないだろ!」
500を最高の大衆車に仕上げると息巻いていたダンテは、それはもう怒り狂っている。「ふざけたエンジン」とは、史実同様の空冷二気筒OHVエンジンだ。構造が単純で修理しやすいことしか取り柄がなく、振動と騒音が激しいうえに馬力がないという三重苦を抱えている。
「何とかこのエンジンにすることを受け入れてくれないか?後で別のエンジンを積んだ高級仕様を追加してもいいから……」
「それじゃ意味ないだろ!もっとまともなエンジンを最初から積ませろ!」
これまた史実通り激しく抵抗するダンテをどうしようかとフィアットが悩んでいると、帝国人繊からエンジンを共有しないかという提案が持ち掛けられた。フィアットはエンジンの開発費を抑えられ、帝国人繊はエンジンの量産効果を高めることができるWin-Winな取引である。
「今度は単気筒エンジンだと!?人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
「いや、このエンジンはすごいぞ。君だって実際に見てみれば納得するさ」
そういわれてしぶしぶダンテは、帝国人繊の試供品エンジンを見に行った。
「……」
「どうだ。コスト的には君の言う『ふざけたエンジン』とほぼ同等で、倍以上の出力があり、振動は4気筒エンジンに肉薄しているだろう?」
帝国人繊が大衆車用エンジンに選択し、フィアットにも提供したのは、10年以上前にバイク用エンジンとして開発されたB005系エンジンの最新版「B005C」である。
確かにこのエンジンはユニフロー式2ストローク単気筒である。しかし、B005系エンジンの初期型を搭載した三共内燃機のバイク「GT500」の初代で振動による苦情が出たため、2本のバランサーシャフトを装備することで直列4気筒エンジンに肉薄する回転バランスを手に入れることができた。2ストであるため1回転に1回の爆発は確保されており、トルク変動も4スト2気筒と同等である。
「これなら……まあ……」
「よしよし分かった。このエンジンを使おう。な?」
史実よりはるかにましな選択肢を提示されたことで、何とかダンテが折れてくれたため、500の開発は再開され、フィアットは帝国人繊からの提案に合意した。晩年のダンテは、日本の自動車雑誌のインタビューに際し
「日本の皆さんがあの車を今でも愛してくれていることには本当に感謝している。それもこれも、及第点のエンジンを提供してくれた帝国人繊のおかげだ」
と語っている。
実はダンテのファンであり、彼らが「チンク」を開発してくるだろうと読んでいた耀子は、間違いなくエンジンの選定で揉めるだろうと考えていた。そのため、自社製エンジンを売り込むことでフィアットとエンジンを共通化し、量産効果を高めてコストを削減することを思いついたのである。
ちなみに史実のジアコーサはチンクについて「あのエンジンを許したことだけは悔いが残る」というコメントをしたようです。ただ、あのエンジンだからこそ、繰り返し修理することで長く乗り続けることができたという面もあるようで、人によって評価が分かれるエンジンだと思います。




