こんな車両は初めて
今話に関係する行き場を失った設定資料を活動報告に掲載しています。
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物好きな方はどうぞ。
騎兵科から主に聞かれた不満は火力と装甲の不足である。
「40mm機関砲では堅固な野戦築城を吹き飛ばすのが困難である」
「近距離だと自身の砲にすら抗堪できるか怪しいのは心もとない」
貧弱な港湾設備でも揚陸できるようにするため、乾燥重量5t未満となるように設計された豆戦車には過大な要求である。彼らもそのあたりはさすがにわきまえていて、最初と最後に
「こいつがあるのとないのとでは、雲泥の差があるんだけども」
と付け足すのではあったが。
「まあ、毘式機関砲の火力不足については欧州派遣軍からも戦訓として挙がってきているからな。彼らの不満ももっともだろうよ」
「鷹司殿もわかりますか。私も日本軍と言えどもっと強力な車両を持たないといけないと思っているんです」
騎兵科から上がってきた不満を分析しながら、原は信煕に十年式より強力な戦闘車の必要性を説く。
「日本は島国だから、アジアの国だから、貧弱なインフラの中で使える車両でないといけないと言います。間違ってはいませんが、正しくもありません。重装甲、大火力を持つ車両は、それだけ強力な機材の揚陸を敵方に強制します。強力な装甲戦闘車両を持つことは、それだけで抑止力になるのです」
「……耀子に何か吹き込まれたか?」
信煕は訝しげな表情で原に聞いた。それに対して原はきょとんとした顔で否定する。
「いえ……?」
「となると、自分で考えたのか……耀子もそうだが原君、君も大概恐ろしい奴だな」
十年式軽戦闘車の設計中に耀子との問答の中で出てきた話題を思い返して、信煕はため息をついた。
「えっと、鷹司殿、話が見えませんが……」
「耀子……山階さんがこの前お前と全く同じ話を俺にしてきたんだ。あの末恐ろしい妹と同じ発想に至れるお前を見ていると、こいつはどこまで伸びていくんだと思ってな」
「は、はあ……」
史実で「日本戦車の父」と呼ばれた原の明晰な頭脳はこの世界でも同様であるし、何なら日本軍に装甲戦闘車両の運用ノウハウがたまっている分、史実より冴えわたっているとすら言えるだろう。
「まあそれはともかく、君達の言うとおりに、実は上により強力な車両の開発を提案している。そのうち、開発命令が下るだろう……頼りにしてるぞ、原君」
信煕の言う通り、日本陸軍はより強力な戦車を開発することを決定。1923年の春には以下の車両が制式化された。
陸軍技術本部 十二年式中戦闘車 1型
全長4.9m
全幅2.5m
全高2.4m
戦闘重量:14.2t(乙)
乗員数:4名(運転手、車長兼無線手、砲手、装填手)
主砲:十二年式車載砲(甲)、八四式車載砲(乙)
十二年式車載砲
口径:75mm
砲身長:3.4m(45口径)
砲口初速:750m/s
装甲貫通力
破甲榴弾:84mm/90°@100m、73mm/90°@500m
九一式徹甲弾:101mm/90°@100m、92mm/90°@500m
八四式車載砲
口径:75mm
砲身長:2.3m(31口径)
砲口初速:510m/s
装甲貫通力
破甲榴弾:66mm/90°@100m、59mm/90°@500m
九一式徹甲弾:70mm/90°@100m、63mm/90°@500m
装甲
砲塔正面:75mm
砲塔側面:25~40mm
砲塔天蓋:10mm
砲塔背面:25mm
車体正面
上部:25mm30°
下部:25mm35°
車体側面:25mm90°
車体背面:10mm90°
車体上面:10mm
車体下面:10mm
エンジン:帝国人造繊維"A080C" 強制掃気2ストローク強制空冷水平対向8気筒
最高出力:240hp/3000rpm
最大トルク:70.4kgm/1400rpm
最高速度:42km/h
甲型に限って言えば、1920年代前半にIV号戦車F2型と同等の総合力を持つ戦車を開発したことになる。乙型ですら、史実の一式中戦車といい勝負ができるだろう。
なぜ完全下位互換の乙型が製造されたかと言えば、大量にだぶついた三八式野砲を活用するためだ。一次大戦まで、日本軍は75mm級の野砲を使用していた。ところが、欧州列強との大戦争を経験した結果、戦訓として砲火力の不足があげられ、解決策として野砲の口径を一挙に105mm級まで拡大し、75mmは野戦両用砲とすることになった(甲型が装備する十二年式車載砲は、この思想のもとに作られた八年式野戦両用砲をベースにしている)。このため、初速が遅く、対空射撃に向かない三八式野砲が大量に行き場を失ったのである。
これらはチベット陸軍に安値で売却され、それでも貴重な砲火力として最初は喜ばれていた。しかし、人口の問題で軍拡に限界のあるチベット陸軍では次第に引き取れなくなり、突撃車や輸送車、挙句の果てにはトラック仕様のジムニーに載せて自走化するなど、様々な活用法が試されていたのである。乙型の設定があるのも、その流れからくるコスト低減努力の一環であった。
「いや凄いな鷹司、こいつがあれば日本陸軍は無敵だろ!」
「上機嫌なところ申し訳ないが櫛淵、そいつはしばらくお預けだ」
ニコニコしながら試作車から降りてきた櫛淵は、信煕からそう告げられて面食らう。
「え、どういうことだ?」
「単純に高価なんだよ。こいつ1両で八年式戦闘機1個分隊を揃えておつりがくるぞ」
「戦車、どうしても鉄の塊みたいな構造にせざるを得ませんからね。重いものはそれだけの資源を使っているというわけで、必然的に材料費が上がってしまうんです」
もちろん、耀子たちも最大限の原価削減努力はしている。エンジンは既存の物の拡大版で、イシゴニスレイアウトとすることによりパワートレインを最大限小型化しているし、装甲板の表面硬化処理も史実の浸炭焼き入れではなく低コストで量産に向いた高周波焼き入れに代えている。車体形状もほぼ直線で構成され、複雑な加工が要らないように配慮されており、このクラス・時代の戦車としては驚異的なレベルのコストダウンが行われていた。
ただ、それはより軽量で絶対的な価格を安くできる十年式軽戦闘車も同じことであり、日本国内だけでなく友好国からも注文が来ていることもあって、十二年式中戦闘車を生産するためのあらゆるリソースが日本には不足していたのである。
(これでも史実とは比べ物にならないくらい状況はいいんだけどなあ)
働いても働いても楽にならないなあと思いながら、耀子は自分の手のひらをじっと見つめていた。
はたらけど はたらけどなお わがくらし らくにならざり ぢっとてをみる
Q:関東大震災の時の耀子さん妊娠してなかった?
A:あの時でもまだ出勤可能なぐらいだったので、このときはまだギリギリ妊娠していないか、外見に変化がないくらいの週齢だったということです




