27.すれ違いイベント(3)
「根津鳥……だよな……?」
「そうですよ先輩。むしろ私以外に誰がいるんですかね?」
分かっている。頭では理解している。
距離にして数メートル離れた場所に立ち、俺たちに語り掛けているのは根津鳥だ。間違えようがない。
……しかし。しかしだ。
何だ?何でこんなに……別人に見えるんだ……?
「り、凛ちゃん?どうしてここに……?」
「私がどこにいようと自由でしょー?それとも……私がここにいて、何かまずいことでもあるの……?」
「そ、そんなことないよっ!で、でも、今日は私の家に来る約束とかもしてなかったから、どうしてかなって、思った、だけ……で……」
俺の裾を絵心がきゅっと掴んだ。まるで……何かに怯えるように。
……違う。絵心は、確かに怯えていた。こちらを無表情でジッと見つめてくる、根津鳥という女の子に対して。
……根津鳥のまとっている雰囲気が、全然違う。
わんぱくで騒がしい根津鳥なんて、見る影もなかった。少なくとも、今の彼女にはお世辞にもわんぱくだなんて言うことは出来ない。
笑っているのに無表情。いつもの口調なのに、思わず後ずさってしまうような威圧感。だが、その理由が分からない。俺たちにそんな、まるで……敵意を持っているかのように佇む根津鳥の理由が。
何だ?一体どうしたんだ……!?
余りにもいつもの根津鳥とかけ離れたその様子に、情けなくもどう声をかければいいか分からない。それは隣の絵心も同じで、それでも何か話さなければと思ったのか、たどたどしくも少し声を大きくして一つの話を出した。
「あ、あのね!凛ちゃんにお願いされてた、えと、光樹先輩が男の人を好きかもしれないって話なんだけど……あれは違くて、勘違いだって……!」
「……光樹先輩?」
「あ、ああ!そうだぞ!全く、何でそんな結論に至ったのか分からんが、そういうことだ。俺からもはっきり言っておく!」
……何か根津鳥がぼそりと呟いてたみたいだが、また変に勘違いされる前に言わせてもらおう……!
「俺は女性が好きだ!」
……俺は一体何の告白をさせられているのだろうか?後輩女子二人の前で、声高らかに『女性が好き!』って。何も知らない第三者が見たら意味分からないでしょ。
でもまあ、男好き疑惑が悪化するよかマシだと考えよう。
「……そうですか。結局、先輩もそうなんですか……っ!」
「……?俺もって……まあ……大半の男子生徒はそうなんじゃないか……?」
……んん?待って?今の根津鳥の発言だと、俺が普通に女性を恋愛対象にすることが分かってたような口ぶりじゃないか?え?じゃあ絵心に頼んだって言う、男好き疑惑はつまり何だったの?
根津鳥たちの方でも『やっぱり男好きはないでしょ~』みたいな、ほぼ自己解決がされてたってこと……?
「まあとりあえず、誤解は解けたってことでいいな?」
「ええ、ホント……あはは、バカみたいな思い違いをしてたみたいですね、私は……っ」
……何だ?さっきから何なんだ、この……よく分からない焦燥感は!?
分からない!マジで分からないが……このままだと、何かが取り返しのつかないことになりそうな気がする……!
自分でもめちゃくちゃ曖昧なことを言ってるんだが……あの根津鳥の、苦しそうな笑い方は……。
「……なあ根津鳥、何かちょっと――」
「り、凛ちゃん!私ね、凛ちゃんに聞いてほしいことがあるの!大事な話っ!」
え。
「……だいじな、はなし……?」
根津鳥がのっそりと反応する。
というか、え!?絵心さぁん!?まさかこのタイミングで話すの!?あの、君の絵とか趣味とかの話を!?あのヤバそうな根津鳥に!?
「絵心!?今話すのか……!?」
「私、もう逃げたくないんです!次があるなんて思ってたら私はきっと、ずっと逃げちゃうから……だから……光樹先輩が勇気をくれたから……凛ちゃんにちゃんと話して、聞いてほしいの!!」
最後の一言は根津鳥に向けた言葉だった。
俺から見ても、彼女が震えているのが分かる。怖いのだろう。色々なことを考えてしまうのだろう。それでも根津鳥から目を逸らさず、まっすぐに見つめる絵心。
俺はその小さな覚悟がとても格好の良い、綺麗なものだと思った。
……うん思ったよ!?思ったけど、今じゃなくてもいいんじゃないかなぁ!?
別に俺、『根津鳥にすぐ話せ!はよ!はよ!!』みたいなアドバイスはしてなかったと記憶してるんですが……!?
「あの、凛ちゃんはもう知ってるかもしれないけど……男の人が、その……男の人とそういう、恋愛とかするのが好きで、絵……とかもやってて。でも、ずっと隠してたの。私でも、普通の趣味じゃないと思うし……受け入れてもらえないと思って。嫌われると思って……!」
「……っ」
「だけど、凛ちゃんは友達だから……大切な、たった一人の友達だから……!私を受け入れてほしいっ。一緒に共有したいのっ!!」
「……!?」
「だから凛ちゃん!改めて……私と、友達になってくれますか……っ?」
まるで見計らったかのように、強い風が吹いて、絵心の告白を彼方に届けていく。
それでも、聞こえたはずだ。根津鳥に、絵心の声が。
絵心は頭を下げたまま、上げない。震えながら根津鳥の審判を待っている。
根津鳥もまた、俯いている。そして、その小さなこぶしをぎゅっと握りしめていて……
――ぱっと、ほどけた。
「……そっか……そっかぁ……あはは……凄い告白されちゃったなぁ、私……」
「り、凛ちゃん……」
「――ふざけてるの?」
空気が、凍った。
「私がもう知ってた……?知らなかったよ、知る訳ないじゃんっ!ねぇいつからなの!?だってそんな雰囲気、ずっと一緒にいたのに一度も……っ!!先輩だって……!!」
「りん、ちゃん……?」
「……いや、違うか……言わなかった私がバカなだけ……それで今更私が怒るなんて資格はない……でも、それでも……そんな告白、酷すぎるよっ!!」
「え、あ」
「……友達になってくれるかって、聞いたね……」
……ヤバい。ヤバい、これはヤバい。
何がヤバいって、それは……
根津鳥が、涙を流している
「ごめんなさい。受け入れられないです……もう二度と、私に関わらないでっ!!」
「根津鳥っ!!」
根津鳥は、そのまま走り去ってしまった……。
……違う!呑気に現状を語っている場合じゃないだろ俺!
「……あ、あ……」
「絵心……?おい、しっかりしろ絵心!」
「せん、ぱい……?わたし、りんちゃんに……きらわれて……ぜっこう、で……?」
「落ち着け!大丈夫だ、落ち着いて考えろ!お前の趣味が根津鳥の好まないところだったとしてもだ。泣いて走り去る程だと思うか!?」
正直、俺も怒涛の展開過ぎて頭の整理も考えもまとまってはいない。だが皮肉なことに、俺よりも動揺が激しく、もはや放心状態の絵心が隣にいたことが反射的に俺を動かした。
確かに絵心の趣味は万人受けしないだろう。気味が悪いと思う人もいるだろう。根津鳥なら受け入れてくれるだろうと、彼女のこともろくに理解していない俺が絵心をたきつけたのは、軽率な行動だったと今更ながらに後悔している。
しかし、しかしだ。
それはあんな……哀しみや失望、そして……怒りで彼女の顔を塗りつぶしてしまうような、彼女に涙を流させる要因に成りえるのか?
……考えにくいだろ、それは!
俺には考えも及ばない、トラウマ的な何かが彼女にはあったのか……?なんて考えが浮かんでは消える。そして結局、俺は安直な答えを導き出した。
「根津鳥は、何か勘違いをしている……!」
「……かん、ちがい……?」
「そうであってほしいと俺が思っているのも否定できないが……さっきの会話はどうにも……それに根津鳥の様子は一番最初、俺たちに声をかけた時からおかしかった。だから、何か……」
『光樹っ!!』
『おーい!皆田くん!』
「へ?誰……って、紬!?三木先輩も、どうしてここに……!?」
「凜を追ってきたんだけどっ……それより凜の大声が聞こえたけど、何があったのっ……?」
ここに来て新たな登場人物。それも二人。走ってきたのか呼吸は荒く、汗がじっとりと彼女たちの肌を伝っていた。
ちょっと待ってくれ。もう俺の脳内ぐちゃぐちゃなんですけど……っ!
息を切らしているところ申し訳ないが、早急な説明を求める。
「えっとねっ、生徒会っ、みんなでっ、でもっ、凛ちゃん、走るぅっ……」
「三木先輩、私が話すので休んでて下さい……そう、いつも通り私たちは生徒会室にいたの。そしたら先生が来てさ。私を含めて、そこにいた生徒会メンバー全員に用件があるから来るように言われたんだ……凜を除いて」
「……根津鳥を除いて?いや待て。それ以前に紬は生徒会メンバーじゃないだろ。何でさも当然のように呼ばれたんだ?」
「知らない。とにかく呼ばれたから生徒会室から出たのよ。凜以外はね」
……よく分からない。結局どうして、この二人がここに来たんだ?
「ここからよ。で、用事は大したこともなくて私たちはすぐに生徒会室に戻ったんだけど……そしたら、凜が生徒会用のパソコンの前でボーっとしてたのよ。それで……凄く様子がおかしくて」
「様子がおかしい?」
「ブツブツ何か呟いてたし、顔面蒼白って感じで……心配になって声を掛けたら、焦ったようにパソコンをいじって閉じて……急用が出来たって走って帰ったわ」
そして心配になり、追いかけてきたら凜の大声……絵心を拒絶したあの声が聞こえて、そこにいた俺たちに会った……と。
「それでそっちは何があったの?あの子があんな大声上げるなんて……それに何処行っちゃったのよ?」
「……説明が難しいんだが、簡単に話すと……」
根津鳥が突然ここに来た時には、既に様子がおかしかったこと。
だがそれを尋ねる前に、絵心が二人の友人関係に関わる、とある告白をしたこと。
そしてその告白を受けた根津鳥の様子がさらに一変し……絶縁宣言をして、泣いて走り去ってしまったこと……。
あの告白については絵心のプライバシーに関わるため、言葉を濁して伝える。
しかしそれは、根津鳥を泣かし、絶縁宣言をさせる程の告白ではなかったはずだと自分の意見を付け足した。
「現状把握は出来たが……結局何一つ分からないか……」
「う~……凛ちゃん、全然連絡つかないよ……」
「どうするの?私としては、今の凜を放っておきたくないわ。様子がおかしいってレベルじゃないもの……」
紬が不安そうに俺の顔を覗き込んでくる。
彼女の意見には俺も賛成だ。結局何が根津鳥をああも追い詰めてしまっているのかは分からないが……だからこそ、今の暴走気味の彼女を放っておくべきではないだろう。
それに、何と言うか……嫌な予感がするんだよな……まるであの恋愛ゲームをやっている時のような、得体の知れない、心にのしかかるような嫌な感じが。
だから今すぐにでも根津鳥を見つけ出したい。
三木先輩と紬と、俺と……そして。
「絵心。気持ちの整理がつかないのは分かる。正直、俺も何が何だかだ。だけど……根津鳥は、泣いていた。そうだな?」
未だ地面にへたりと座り込んだままの彼女の小さい身体がびくりと震える。
「だけどきっとそれは、絵心のせいじゃない。お前の決心を中途半端に煽った俺の責任だ。だから……絵心に手伝ってほしい。もう一度だけ、根津鳥と話すことを。二人を友達にすることを」




