奴隷落ちした経緯
暴力表現、残酷表現などがあります。
苦手な方はご注意。
風の冷たさに驚いて目を覚ます。
地面が激しく揺れている。
何事かと思い辺りを見回すと、ここが馬車の中である事に気が付いた。
馬車を操る男に声をかけようと口を開く。
「―――――っ!」
声が出ない。
何故かまともな服も着ていない。
寒い。もうすぐ冬がやって来るのか馬車の隙間から冷たい風が入る。
寒さが痛い。どうしてこんな……
ジャラッ
乱暴な運転に太い鎖が音をたてた。
鎖は運転する男が持っていた。
鎖の先には何が……ゆっくりと視線を辿る。
「っ!?」
何故かオレは首輪をしていた。
鎖は首輪に繋がっていた。
冷えた鎖を手に取る。
外そうともがくが、頑丈な作りで外れる事は無かった。
「ん? なんだぁ?」
ジャラジャラと音をたてていた鎖に気が付き、馬車を止め男が立ち上がる。
助けてくれ、これを外してくれ!
「逃げようとしてんじゃねえ!」
頭を掴まれ、そのまま床に叩きつけられた。
脳震盪から目の前がぶれる。
「おおっと、折角大金で買った顔の良い奴隷が台無しだ」
「ひゅー……ひゅー……」
「もう死にかけてんのか? 随分弱っちいなあ。冬越せんのか?」
「……」
「まあいいや。死んだら新しいのを買えばいいし……」
男は無精ひげをぞりぞりと撫でた。
その様子を見て、忘れていた出来事を思い出す。
オレが奴隷になった決定的な出来事を……
*****
「ごめんなさい、ヴィクトル様……匿ってあげたいけど」
不本意そうに令嬢が悲しそうな表情をする。
こうして追い出されるのは何度目になるだろうか。
オレはある令嬢に牢から出され、屋敷で匿われていたが、一緒に居られなくなったと追い出された。
そこから居場所を転々と変えていった。
今度こそ大丈夫だと思っていたのだが。
「何故共に居られないんだ。理由を教えてくれないか」
「だって……フローレンス家を敵に回したくないし……」
言ってからハッと口をつぐむ令嬢。
今まで原因がはっきりとしなかったが……そうか、やはりあいつか。
オレがこんな惨めな生活を強いられているのは、クライド・フローレンスが原因だ。
奴がオレを陥れた。
女を餌にしオレを釣り、牢に入れた。絶対に許されない。
「これ、少ないけど……これで勘弁して」
僅かな金品を渡され、勢いよく玄関の扉が閉まる。
二度と関わるなと言う事か。
「クソ」
その場に唾を吐き、足早に立ち去る。
今まで散々遊んできた女に捨てられるなんてプライドが許さない。
いつかは仕返しをしなければ……そう、復讐だ。
オレを蔑ろにしたクライド・フローレンス、それから女ども。
ここから這い上がってやる。
オレはここで終わる人間では無い。
前から目を付けていた発展途上の国へ行く事を決めた。
学の無い人間相手に商売をし財を築く。
簡単な事だ。権力と財力を持ってこの国へ戻って来るだけだ。
オレを惨めにさせた報いを与えてやる。
そこからはめまぐるしかった。
他国へ渡り、持っている金品を元手に投資を始めた。
それなりに順調だったと思う。
安い宿に泊まる必要が無くなり、引き払おうと思っていた矢先。
冬を告げる冷たい風と共に奴がやって来た。
夜、狭い部屋の扉がノックされる。
机に置いてある蝋燭の明かりを頼りに扉の鍵を開ける。
「?」
開けてすぐに違和感を覚えた。
この国に来てから、誰かが訪ねて来る事など一度も無かった。
投資相手が訪ねて来る事も無い。
ギィ……
立てつけの悪い扉が音をたてて少しだけ開く。
僅かな隙間からは暗闇だけがこちらを覗いている。
「誰だ」
………返事は無く、声が吸い込まれていった。
悪戯か? こんな夜中に……全く。
眉を寄せながら扉を閉め、鍵を掛ける。
その時、冷たい風が背中に当たった。
慌てて振り向くと、カギが開いたままの窓から男が一人部屋の中に入って来る最中だった。
「なっ!?」
ここは二階だぞ!? どうやってここに。
窓の向こうにロープの様な物が見えた。
男はフードをかぶっていてどんな人物なのか見当もつかない。
慣れた様子で部屋に侵入する男に恐怖を覚え、扉の鍵を開けようとする。
「ぎゃっ」
髪を掴まれて床に引き倒された。
男の手にはナイフが握られている。
「ま、待て! 何が目的だ、お前は誰だ!」
男に馬乗りされ、混乱しながらも時間を稼ぐためなんとか声を出す。
「金が目的なら持って行け、その鞄の中に……」
この国の治安の悪さは十分理解していた。
実際何度も危ない目に合った。
だから、金さえ渡せば命は見逃してもらえる事を知っていた。
だが男はオレの申し出を鼻で笑った。
「目的が金ならお前を襲ったりしないだろ」
男の声に思考が止まった。
「そ、その声……まさか……」
「覚えてたのか? ……気持ち悪い」
男がフードを取った。
予想通りの人物が、オレが思い浮かべた笑顔のまま現れる。
「アルフレッド……っ」
アルフレッド・ブラニング。赤茶の髪に茶色の瞳。
社交界では『太陽の貴公子』などと呼ばれていた。
ぞわ、と鳥肌が立つ。
アルフレッドは確かに笑っていた。
けれど目が笑ってはいなかった。
「っ、離せ……ウグッ!」
喉を掴まれ床に押さえつけられる。
呼吸が……苦しい……
何度も腕を叩いた。
もう限界だ、死ぬ……と思った所で腕が緩み肺に空気が行き渡り始める。
「ゴッ、ゴホッ! ゴホゴホゴホ、ゲホッ!!」
「あーあ、危うく殺しそうになっちまった」
「ゲホゲホ! な、なにが……ゴホッ、ゴホッ!」
目が合った。
アルフレッドは感情の篭らない目のまま笑い続けている。
「何故おまえが、こんなっ」
「お前が憎くて仕方ないよ。大切に大切に育ててきたたった一人の妹を、あんなふうにしやがって」
髪を掴まれ、強引に頭を持ち上げられる。
髪が何本か切れた音が妙に耳に残る。
「アイリーンを殴ったそうじゃないか」
「――――がっ! やめ」
腹に何度かアルフレッドの拳がめり込む。
痛い! こんな暴力に耐えられるはずもない。
抵抗は無意味で逆に強く殴られた。
アルフレッドの拳が的確にオレの急所を捉える。
学生時代を思い出す。
アルフレッドが武芸に秀でていた様子は無かった。
剣の腕に関しては俺の方が優秀だったはずなのに……
「お前は、誰だ……! っ! アルフレッドがこんなこと……」
俺が知っているアルフレッドと言う男は、少なくとも暴力をふるうような人間では無かった。
いつも太陽のような笑顔を浮かべている優男。
目障りな存在、だたそれだけだった。
「能力がある人間ほど実力を隠すものさ」
「何を」
「ブラニング家の裏家業を知らないようだな」
「ひっ!」
「当家は元々、暗殺を生業としていてね」
「あん、さつ、だと?」
「王家からたまに依頼が来るほど有名なのさ、知らなかったのか?」
ブラニング家が暗殺家業をしていた……?
知らない、そんな事……知る訳がない。
人に暴力をふるう事に躊躇が無い事だけは理解できた。
続けざまに殴られ、痛みで感覚が麻痺して来た頃、アルフレッドが語りだした。
「どうして俺が妹を大切にしているか知っているか?」
「……かひゅ、ゴホッ」
「一族の教えみたいなものなんだが」
子供は二人産み育て、男児は暗殺者として育て次代の当主とし、女児には何も知らせずに嫁に出せ。と言うものだ。
もしブラニング家の裏家業が露見して一族を淘汰される日が来たとしても、嫁に出した女児が居れば血は繋がる、一族はついえない。
ブラニング家はこれを徹底し、アルフレッドを暗殺者に、アイリーンは家業の事は何も知らずに育った。
「暗殺一家として名が通ってしまっていたから、父上に婚約者が出来なくて……結局他国から母を娶ったからな」
「ばかな……そんな……」
「俺は幸せ者だ。全てを理解してくれる存在と巡り合えて……」
「っ、何を、」
アルフレッドがナイフを取出し、オレに向ける。
「ぎゃ、あ」
髪を無理に引っ張られ、悲鳴を上げる。
アルフレッドがゆっくりとオレの髪を切った。
「早く帰ってキャロルを抱きしめてやらないとな」
「なにが、もくてき……」
「目的? う~ん。キャロルより大切な妹を傷物にされた仕返しだろうか」
アルフレッドは切ったオレの髪を適当に投げ捨てる。
金髪が蝋燭に照らされてキラキラと輝く。
「たのむ……みのがしてくれ」
「どうしよっかなあ」
「有り金全部持って行っていい! 頼む……!」
「金じゃないんだよ。この感情は、金じゃおさまらない」
アルフレッドの笑みが深まる。
体が無意識に震える。勝てない、殺される。
「それに、お前を不幸にしろって依頼を受けてるし」
「ま、さか」
「見逃せないかなあ。俺も個人的な恨みがあったし、金は要らないって言ったのになあ……まあ、あの人はそう言う性分か」
「クライド・フローレンス……!」
「アイリーンはこれ以上ない家に嫁いだよ。王家はちょっと情勢が不安定だしなあ……フローレンス家に嫁げたのはお前のお陰かな」
ナイフが喉に当たる。
呼吸すらまともに出来ない状況で、震えながら相手を見る。
「腹いせに喉潰すけどいいよな? 色々話してあげたし、余所に話されると問題があるし」
「やめろ! やめてくれ!」
「じゃあなヴィクトル」
刃が喉を裂く。
太陽のように笑い続ける男が満足そうに頷いたのを最後に、意識が塗り潰された。




