強張った顔
その日は部屋を整理して、荷物が無くなった部屋で一人ベッドで寝転がっていた。
無理に目的を見つけ行動していただけに、やる事が無くなると途端に無気力になった。
復讐をしていた頃は、曲がりなりにも楽しかった。
「お嬢様!」
遠くでケイトが切迫した声で私を呼ぶ。
重たい体をゆっくりと起こす。
ぼんやりする頭を軽く叩いてからベッドから出る。
「ケイト? どうし……」
部屋の扉を開けると目の前に長身の男が現れて思わず身構えた。
「……アイリーン」
良く知った声が私の名前を呼んで、恐る恐る見上げ、息を飲んだ。
「クライド様……」
顔に影がかかっていて、誰なのか分からなかった。
あれから数か月が経って、クライド様は黒い髪を短く切っていた。
好青年感が増した姿に目が離せなかった。
「髪、切ったんですね」
「……長いと印象が悪いって言われて、さ」
「よくお似合いですよ」
微笑むとクライド様も戸惑うように微笑み返した。
「どうしてこちらに?」
ブラニング家に用があるとは思えない。
ただでさえお忙しい方なのに……昼間からこんな場所に居ていいのだろうか。
「君と話がしたくて、今日しか時間が取れなかったんだ……急でごめんね」
「いえ……」
話がしたいと言われ、別れ際に自分が何をしたのか思い出して俯いた。
は……恥ずかしい!
忙しい合間を縫ってわざわざ告白の返事を?
いや! 待って! 心の準備が! 間に合ってないから!
今になって心臓がバクバクと激しく脈打ちだす。
そう言えばさっきまでベッドに寝転んでいた。
寝癖ついてないだろうか!? 服に変な皺ついてないだろうか!?
「ねえ、どこで話したらいいかな」
硬直したまま動かない私に気を使ってか、クライド様は隣に声をかけた。
隣にはケイトが居た。全く気が付かなかった。
「ご案内いたします!」
そう宣言した後、ケイトが私に耳打ちをする。
な、なに……?
「髪、跳ねてますよ」
心の中で絶叫した。
跪いて床を全力で殴りたかった。
そもそも跳ねやすい髪質なの! と言い訳をしたい気分だ。
私は自室に引っ込んで勢いよく扉を閉めた。
「……僕、アイリーンに嫌われてるのかな」
「いいえ、ただ照れているだけですよ」
ふふ、と続けて笑うケイト。
全部聞こえてるから! 嫌いになってないから! 照れてないからあぁああ!
待たせてはいけないと跳ねた髪を整えて、服もちゃんとした物に着替えた。
クライド様は何を語る為にわざわざ当家に来たのだろうか。
やっぱり、こっ……告白の……?
「お嬢様?」
「ぎゃあ!」
「……そんな悲鳴、久しぶりに聞きました」
「昔は悲鳴あげてたみたいな言い方やめて!」
「あげてたではないですか」
ケイトが本当に嬉しそうに微笑んだ。
昔の私はとても明るくて、感情表現が豊かだった。
髪を切られる前までの話だ。
部屋に入って来たケイトが私の姿を見て、
「着替えたのですね」
「変かしら?」
「いいえ、先程の服装より百倍マシです」
「ウッ」
確かに、さっきの恰好は酷過ぎた。
完全な家着。クライド様が来るなんて想像できただろうか? 絶対に無理だ。
「クライド様を応接間にご案内いたしました」
「分かったわ、ありがとう」
少々気が重いが会わない訳にはいかず応接間に向かう。
久々に会ったクライド様は相変わらず本から出てきたような風貌だった。
本当に理想の貴公子だわ……猫みたいに笑わなければの話だけれど。
もう会えないと思っていたから、どう接していいのか分からない。
告白までしちゃったし! こんな事ならするんじゃなかった!
応接間の扉を少しだけ開けて中の様子を覗き見る。
「……何してるの?」
クライド様と完全に目が合って、自分がどれだけ馬鹿な事をしたのか思い知る。
平静が保てない!
「失礼します!」
「うん、どうぞ?」
部屋に入って扉を閉めた。
力が入りすぎて勢いよく閉めてしまい、クライド様が眉を下げた。
嫌っている訳では……!
「な、何用でこちらに?」
「君と話がしたくて……いけなかった?」
「そっ、そ、そそそーっ!」
「そそそ?」
「そっ……! そんなことないです!」
口が上手く回らない。
そ、しか言えてないじゃないか自分。落ち着け。
着席したのち、ケイトが紅茶を持ってきた。
ケイトにお礼を言いながら爽やかに微笑むクライド様に、胸がドキドキする。
いつもの企み笑顔はどこへいったのだろう。
ケイトが気を使って部屋を出て行った。
二人きりになり、少ししてクライド様が口を開く。
「君の部屋、物がほとんど無かったけど」
「少しずつ整理してるんです。修道院へは持って行けませんから」
「………」
申し訳なさそうな顔をしてクライド様は黙った。
そんな顔が見たい訳ではないのに。
言葉に詰まって目の前に置かれた紅茶を見つめた。
「……今日は色々話したい事があって」
「はい、何でしょう?」
「ヴィクトルの事なんだけど」
紅茶からクライド様へ視線を移す。
「牢屋から逃げ出したとは聞いていますが」
「うん……その後、どうなったか知りたくない?」
「知っているのですか?」
「まあ、ね」
普通に微笑むクライド様によると、諜報に長けた人間でヴィクトルを監視していたらしい。
牢から逃げ出した瞬間も、その後の足取りも手に取るように分かるそうだ。
「知りたい?」
「教えてください」
「分かった……まあ、言ってしまうとヴィクトルは色んな所を転々としたんだ」
そもそもヴィクトルは牢から逃げたと言うよりは、牢から出されたと言う方が正しい。
ヴィクトルに傾倒していた令嬢が独断で牢から出し、そのまま一緒に住み始めたそうだ。
クライド様がそれを許すはずもなく、罪人を匿う事もまた罪、とフローレンス家から何度も手紙を送ると令嬢はヴィクトルを追い出したそうだ。
ヴィクトルは牢を抜け出した事によりさらに重い罪になっていた。
令嬢はフローレンス家に知られている以上、火の粉が自分にも飛んでくる事を恐れたのだった。
そこからはヴィクトル派の令嬢の元を転々とするが、その度にクライド様が手紙を送るとあっさりヴィクトルは捨てられた。
ヴィクトルは罪を犯し貴族ではなくなった。
令嬢達はしたたかだ。顔だけしか魅力の無い男と全てを共にしようとは思わなかったのだろう。
結局ヴィクトルは散々遊んできた彼女らに捨てられたのだ。
「最後にはこの国を出て行ったよ」
「他国へ行ったのですか?」
「そう。この国では僕の目があるから、どうしようも出来ないと思ったのかもね」
この国は、出国する際は簡単だが入国は厳しい。
犯罪者として扱われているヴィクトルが再びこの国へ戻って来る事など、不可能だろう。
「他国へ出た後、どうなりましたか」
「う~ん……行った先の国が治安が悪いから、監視を解いたんだ」
「……そうですか」
「あの国で幸せになんかなれっこないよ。貴族の坊ちゃんなんか、カモられて終わり」
そう言ってクライド様は三日月を一瞬だけ作った。
妙な懐かしさに安心して微笑んだ。
この辺りで治安の悪い国と言えば……
「未だ奴隷制度が残る、あの国ですか?」
「良く知ってるね、そうあの国だよ」
よりにもよってあの国か……カモられて奴隷落ちしそうだ。
監視を解くのも無理はない。
ヴィクトルはもう這い上がってこられないだろう。
「少しは溜飲が下がったかい?」
「はい……心置きなく修道院へ行けそうです」
一度だけ髪に触れた。
伸びたとは言えまだまだ短い。
化粧をしていない今では男の子に見えるだろう。
「………」
修道院、と言うたびにクライド様の表情が曇る。
暗い表情を見ていたくなくて良く考えずに話し出す。
「でもお父様は行くにはまだ早いって仰るんです」
「……そう」
「はい、お兄様の結婚が決まったから早く出て行きたいんですけ、ど……」
クライド様の表情がさらに暗くなってしまった。
この話題は駄目だったか。
他に何を聞く? 思いつくのは告白の事だけで、ますます言葉に詰まる。
私から聞けるわけないでしょ!
「アイリーン」
暗い表情のままクライド様が私の名を呼んだ。
その表情は私の精神に直接来る。
ずっとそばに居たい、慰めたいって思ってしまう。
行動に移したくて脳内でじたばた暴れていると、クライド様が語りだす。
「どうして君は髪を切られなくちゃいけなかったんだと思う?」
脳内で暴れていた私が一瞬で消えた。
「……ただの遊びだと言われました」
「そうだね……そう言うしかなかったんだよ」
「どう言う事です?」
ヴィクトルが私の髪を切ったのは、ただの遊びでは無かった?
確かに私はヴィクトルの好みとは真逆の女だったけど……
「君に言えない理由があったんだ。言えば君を社交界から追い出した意味が無くなるから……」
「クライド様は理由をご存じなのですか」
クライド様は強張った顔で頷いた。
ここまで強張った顔のクライド様は初めて見る。
話したくない話題なのだろうか。
「君が髪を切られたのは……」
クライド様は視線を私から逸らす。
「……僕が、原因だ……」




