薔薇の花束
アレンとして社交界に出るのはもう何度目になるだろうか。
男装をして戻ってくる際はとても不安だった。
誰かに女だとばれて、家族に迷惑がかからないかと。
しかし、杞憂だった。
クライド様以外には女だと見抜かれなかった上、クライド様は復讐の片棒を担いで下さった。
「アレン君」
声をかけられて視線を向ける。
「こんばんは、イネイン様」
かつての復讐相手の婚約者だった。
すでにイネイン様は新しい恋を始めている。心底羨ましい。
「聞いたよ、国に帰るって」
「ええ、元より期間限定でしたから」
「そうか……寂しくなるな」
アレンは今日を最後に社交界から……いや、世界から消える。
元々他国の人間の設定だった為、居なくなるのは簡単だ。
ヴィクトルが戻って来る前に終わらせられたのが幸いだ。
「アルフレッドは寂しがっていないかい?」
「兄上ですか? そうですね他国に帰りますから……なかなか会えなくなりますね」
「クライド様も寂しがりそうだな」
アレンはクライド様にべったりだった。
最後の挨拶回りをしていると、必ず一度はクライド様の話題になる。
「らしくもなく、寂しそうでした」
と言って笑うと、イネイン様も笑った。
「それは一度見てみたいものだな」
寂しがるクライド様……なかなかにレアだ。
話題がアレンからクライド様に移った。
「クライド様……今日から社交界に復帰だろ?」
「そう言う噂ですね」
「傷の具合はどの程度か知っているか?」
「そこまで深くないと聞いています」
社交界ではあの事件以来、クライド様の事で話題が持ちきりだ。
私もこんな立場で無かったら気になって仕方なかっただろう。
なにせ殺傷沙汰になったのだから。
「クライド様が刺された時、近くに居たんだろ?」
「ええ……ボクは何もできませんでした。一瞬の事でしたので……」
「早く元気なお姿が見たいんだが……まだ来ていないな」
パーティはすでに終盤に差し掛かっている。
計画では今日からクライド様は復帰するはずだが……何かあったのだろうか?
「じゃあなアレン。向こうでも達者でな」
「はい、イネイン様もお元気で」
イネイン様と別れ、溜息を吐いた。
クライド様、どうなさったのだろう?
少しだけ不安になって来た。
パーティはもう終盤だ。
その時、ざわ、と会場が騒然とした。
「……?」
ざわめく周りの人に習い、同じ方向に視線を向ける。
今来たのだろう。入り口から会場に一人の人間が入場した。
人々のざわめきが止まらない。
その人はクライド様で間違いは無かった。
けれど何か大きなものを抱えていた。
腕を怪我しているのにあんなに大きなものを持って大丈夫なのだろうか?
心配になって近付くと、クライド様が持っているものの正体が分かった。
花だ。それも沢山の花。
真っ赤な薔薇の……百本はありそうな花束。
何故そんなものを? 誰かに愛の告白でもする気なのだろうか?
他の参加者もそう考えているらしく、会場は静まり返り皆クライド様の動向を注視している。
私も様子を見る為に立ち止まった。
「あ、アレン!」
花束に視界を遮られている中、クライド様は私を見つけた。
呼ばれたので近付いて行く。
「クライド様、その花束はどうなさったのです?」
「ああ、これね。はい」
バサッ、と少々乱暴に花束を渡された。
腕の中の赤薔薇とクライド様の顔を何度も見比べる。
「は? えっ? ……んん?」
いくら考えても答えが出で来ず、頭が混乱し始める。
こう言った場で薔薇をプレゼントすると言う事は愛の告白と言う意味で。
特に100本薔薇をプレゼントすると言う事は婚約の申し出をしているようなものだ。
「それさ、渡してくれる?」
「……はい?」
クライド様は良く通る良い声で、未だに静まり返る会場中に聞こえるように話す。
「お姉さんに。アイリーンに渡してね」
笑顔のクライド様とは逆に、私は本当に間抜けな顔をしていただろう。
「わ、わた……あっ、姉上にですか!?」
「うん。お姉さんにね」
「どうしてこんな……」
この状況、クライド様が私に愛の告白をしているようにしか見えない。
周りの参加者たちもそう思ったのだろう。動揺のようなざわめきが広がっている。
「どうしてって? 決まってるだろう?」
悪戯をする子供のような表情を一瞬だけした後、笑顔を私に向ける。
「狙ってるんだ。君からもよろしく言っておいてよ」
顔が熱い。絶対赤くなってる。心臓の動きも速い。
演技? 私が社交界に戻って来やすくするための事前準備?
そうとしか考えられない。
「姉上、きっとびっくりして腰ぬけちゃいますよ」
「そしたら看病に行こうかな」
「は……はは……病状が悪化しそうです」
にこにこと誰もが振り向く素敵な笑顔で笑い続けるクライド様。
腰は抜けなかったが思わずへたり込みそうになった。
看病はやめて下さい。
会場中の人間の視線が刺さる。
その中にお兄様を見つけた。
お兄様は心配そうに私を見ていたが、目が合うと視線を逸らせた。
……お兄様?
「ねえアレン」
お兄様から視線をクライド様に戻す。
「少し話をしよう」
「はい」
「できればアイリーンの話がしたいな」
こんな人目に付く場所で、クライド様は何を考えているのだろうか。
薔薇の花束を持ったまま二人で休憩室に入った。
入ってすぐ私は怒りのような感情が湧いてくる。
「何を考えてらっしゃるのですか」
計画では穏便に荒波を立てないように、私がクライド様の恋人であると主張するのは最小限にしようと決めていたのに。
「あれから一人で考えた結果だよ」
「考えた結果が薔薇ですか? どうして」
私はクライド様には幸せになって欲しいと思っている。
いずれ恋人を作り結婚してほしい。私の代わりに幸せになって欲しい。
昔恋人がいたなどと言われて欲しくない。
クライド様の幸せの邪魔になるような事はしたくなかったのに。
「……どうして泣くの」
「泣いてないです!」
「好きでもない男の告白は聞くに堪えなかった?」
頭に血がのぼる。
「好きでないはずが……」
言いかけてギリギリで止まる。
私は今、何を言おうとした?
好きでないはずがないです! と言いきろうとしていなかったか?
「好きでないはずが…… 続きは?」
続きを求められて赤くなったり青くなったり。
相当モゴモゴした後、震えながら答える。
「クライド様に告白されて嫌な気持ちになる人は居ません」
「君はどう言う気持ちになったの?」
「わ、たしはー……計画の上ですから! 何とも思いません!」
嘘だ。滅茶苦茶嬉しいし動揺している。
復讐の為だと分かっているのに。女心は複雑だ。
「白薔薇の方が良かった?」
「そう言う問題ではありません!」
「う~ん……ごめんね?」
怒っている事が伝わったのかクライド様は眉を下げた。
「こんなものを贈ったら、婚約も視野に入れていると思われてしまいます」
昔から男性から女性に薔薇を贈ると言うのは愛の告白をする際にもちいられる。
薔薇の本数が100本になると婚約や結婚を申し込むと言っているようなものだ。
昔からの風習で、すでに廃れている。律儀に守っているのは王家ぐらいだろう。
私はこの風習に少なからず憧れはあったが。
「そのぐらい思わせておいた方が簡単に釣れると思って」
「それは、そうかもしれませんけど……でも」
ヴィクトルは婚約者が居る令嬢にも簡単に手を出す。
クライド様に親しければ親しいほど声をかけてくる可能性が高くなるだろう。
「私とは違いクライド様には未来があります。復讐の為に何もかも投げ捨てないで下さい」
私には幸せな未来は無い。行く末は決まっている。
「君にだって未来はあるだろう?」
「幸せにはなれません」
「幸福か否かは自分の気持ち一つで変わるものだよ。自分で決める事だ」
「………」
「僕は今幸せだよ。君と一緒に復讐と言う楽しい事ができて」
今まで悲惨な目に合って来たクライド様が柔らかく微笑んだ。
そんな優しい表情も出来るのだと、目が離せなくなる。
「アイリーン……薔薇は迷惑だった?」
手元の薔薇を抱え直した。
顔が赤くなる。
「嬉しいです……でも、100本は変に勘繰られてしまいます」
「ああ、大丈夫。それね99本しかないから」
「えっ?」
「婚約の時に100本薔薇をあげるなんて風習、何時から始まったのかな?」
「99……?」
だからこれは婚約の申し出では無いと言いたいのか。
……そう言われてほっとしている自分が居る。
「100本が良かった?」
「いえ! 99本の方が良いです……」
大切にしますと言い微笑む。
クライド様の贈り物は何でも嬉しい。
その後、私のこれからの動きについて話し合い薔薇を持って先に休憩室を出た。
*****
帰宅し、薔薇の数を念のため数えた。
本当に99本だった。
安心したような、少し残念なような……
「花瓶お持ちしました」
「ありがとう、ケイト」
花瓶にはすでに水が入っている。
これだけの本数なので、適当に刺していく。
「赤は愛の色ですね~。とっても素敵です」
「ケイトは赤が好きなのね」
「薔薇では赤が一番ですね」
棘に気を付けながら最後の一本を刺し終えた。
これだけの数になると100でも99でも変わらない気がする。
そう言えばケイトは花が好きだ。花言葉も詳しい。
「100本の薔薇……女性の憧れですね」
「そうね。でもこれは99本しかないのよ」
「ええっ、そうなのですか!?」
ケイトが99本の薔薇を見つめる。
「99本……? う~ん……」
「どうしたの、ケイト」
「お嬢様、あの……99本の薔薇の花言葉をご存知ですか?」
「意味があるの?」
「ええ、確か……」
・永遠の愛。
・ずっと好きだった。
・ずっと一緒に居よう。
「……は?」
「クライド様はどの意味でお嬢様に薔薇を99本も送ったのでしょう?」
贈られた薔薇を見た。とても良い匂いがした。
「……気が付かれなかったのではないかしら」
「クライド様も花に御詳しいのでしょう? そんな事ありえない気がいたします」
それもそうだ。クライド様に限ってそんな事はあり得ない。
ぼおっと薔薇を見つめる。
これを受け取った私はどうすればいいの?
「お休みなさいませ、お嬢様」
「お休みケイト」
その夜は変に目が冴えてしまって寝付けなかった。
99本の意味をきちんと聞こう。
でないと体が火照って眠れなくなるから。




