新しい衣装
屋敷に入ると使用人を通じてお母様に呼ばれた。
お兄様は部屋で着替える為に別れ、ケイトと共にお母様のお部屋に向かう。
扉をノックして中に入ると、いつも通り華やかな化粧を施した笑顔の母がお出迎えしてくれた。
「アイリーン、よく来たわ」
「何かご用でしょうか?」
「ええ、これを見て頂戴。素敵でしょう?」
部屋をよく見ると、いつもは無い大きな箱がいくつも積み重なっていた。
その一つをお母様が開けた。
「わあ、素敵!」
箱の中にはアレンの衣装一式が入っていた。
社交界から距離を置くと両親に説明した次の日に採寸していたのだ。
お母様曰く、同じ服はパーティに着て行けないから思い切って新調しようとの事だった。
その服が今日届いたのだ。
「着てみなさい。ピッタリだとは思うけれど、万が一があるかもしれないわ」
「はい! 今着てもいいですか?」
「母の目の前で着てみなさい」
部屋には使用人を含め女性しか居なかったので、お言葉に甘えて着替え始める。
一応折りたたみ式の仕切りを出してくれた。
アレンの衣装を着こんで、鏡の前に立った。
「アイリーン、終わったかしら?」
「はい、今お見せします」
仕切りから外に出た。
お母様はニコニコと笑った。
「よく似合っているわ。サイズも丁度良さそうね」
「ありがとうございます」
「ふふ、息子が二人になった気分だわ」
お母様に頼まれて、別の衣装も着る事になった。
「女には見えないですか?」
「そうね、言われなければ気が付かないと思うわ」
今までに自分が女である事に気が付かれた事は不思議と無い。
お兄様の弟として見てくれている。
「どうしてクライド様は気が付いたのだろう……?」
アレンが私だとすぐに見抜いたのは後にも先にもクライド様だけだ。
私とクライド様の今までの関係は、希薄と言って良い。
すれ違ったら軽く挨拶する程度。
何故ならクライド様は女嫌いで有名だったから。こちらから関係を持とうなどとは思った事さえなかった。
「その衣装も素敵ね! ここの仕立て屋に頼んで正解だったわ」
数着程着て、お母様は満足そうに微笑んだ。
笑うと少女のようなお人だ。
隣国の貴族として生まれ、とてもモテたそうだが……たまたま国を訪れていたお父様に心を奪われこの国まで付いて来たそうだ。
若い時の父は……お兄様のように優しくてかっこよかったらしい。
「お母様、まだ箱があるみたいですけど」
箱に衣装をしまっている際、開けていない箱が数箱ある事に気が付いた。
アレンの衣装が入っていた箱よりも大きい。
お母様は微笑んで、大きな箱を開けて見せてくれた。
「まあ、素敵なドレスですわ」
持ち上げてデザインを観察する。
真っ赤な色で非常に派手だ。
歳を召したお母様にはキツイ気がするが……
「お母様のものですか?」
「いいえ」
お母様は私からドレスを受け取って、私の体に合わせた。
「あなたのよ、アイリーン」
「え……? でも、私は……」
私はもう女性として社交界には戻れない。
ドレスを貰っても、着て行く場が無いのに……
「分かっているわ。使わない事ぐらい」
「どうして、ですか」
お母様は笑った。
お兄様みたいに、寂しそうに。
「あなたは女の子ですから。着飾ってあげたかったの」
「お母様……」
「ごめんなさい、アイリーン……あなたを修道院へ見送る事しか出来ないなんて……何も出来ない母親でごめんなさい……」
お母様の閉じた瞼から涙が落ちるのを見た。
「お母様は悪くありません」
「アイリーン……」
「悪いのは私を痛めつけた人間です。ドレスありがとうございます。着てみますね」
仕切りの裏に引っ込んで、赤のドレスを見つめた。
悪いのはあの四人だ。他は誰も悪くない。そう思っているのに、ふとした時。
騙された自分も悪いのではないのか、そう思う時もある。
「お綺麗ですわ」
赤のドレスに袖を通すとケイトが嬉しそうに言った。
お母様に姿を見せると、笑顔を見せてくれた。
鏡に映った自分を観察するように見る。
化粧をしていない為、アレンが女装しているようにしか見えなかった。
「久しぶりにお化粧したら?」
「……そうですね」
お母様直伝の化粧を久々に施すと、私が戻って来た気分になる。
最近ずっとアレンを演じていて無理をしていたのかもしれない。
化粧が終わって鏡で見た自分を見た瞬間、安心した。
私はやっぱり女なのだ、と。
最後に短い髪に触れた。
この髪が長かったら完璧なのに。
「髪も飾りましょう? きっと綺麗だわ」
「いえ、それは……」
「短くても飾る事は出来るわ。お母様に任せて」
微笑むお母様に断る理由が見つからず、お願いする事になった。
嬉々としてアクセサリーを選び始めるお母様の姿に、口角を上げた。
髪は軽く編み込んで、大きな花の飾りピンで留めた。
耳には大粒のルビーがはめ込まれたイヤリングを付けた。
「さあ出来たわ。とっても綺麗よ」
まだ髪が長かった頃、こうして社交界に出席するたびに着飾っていた。
もうすることは無いと思っていた。
「素敵ですわ。お嬢様」
「ありがとう、ケイト」
私はあの時よりも綺麗になっていた。
恐らく、気のせいでは無い。
「お兄様に見せてきます」
「そうなさい。驚くわ」
笑顔のお母様に見送られて部屋を出た。
鏡に映る自分を見て、思ったのだ。
クライド様はどう思って下さるだろうか、と。
綺麗だと、美しいと、言って下さるだろうか。
「馬鹿らしい」
思わず一人呟いた。
クライド様は女嫌いだ。
女の姿のまま近付こうものならば拒否されるだろう。
溜息が勝手に漏れた。
自覚しなければならないようだ。
お兄様、私はもう恋をしているみたいです。
「お兄様」
お兄様は自室に居た。
既に着替えを済ませており、椅子に座り紙の束を読んでいた。
私の姿を認識したお兄様は驚いた表情で立ち上がった。
「アイリーン、なのか?」
「私以外に居ますか?」
「ああ、いや……その、驚いて」
「綺麗ですか?」
その場で一度回転してみた。
遠心力でドレスがふわりと広がる。
「昔より綺麗になった気がするよ」
「そうですか? 嬉しいです」
「もう一度、アイリーンの美しい姿が見れて良かった」
お兄様の手が私の両手を取った。
「もう二度と見られないかと思っていた……」
私もそう思っていた。
二度と余所行きのドレスなんて着られないって。
寂しそうな表情のお兄様と目が合って、微笑んだ。
「ねえお兄様」
「なんだい?」
「踊って下さいます?」
社交界ではアレンとして令嬢相手に踊ったけれど、女として踊ったのは随分と昔の事のように感じる。
「ここでかい?」
「どこでもいいの。昔をほんの少し思い出したいだけ」
「……分かった」
お兄様の手を取って、促されるままに踊り始める。
音楽は無いけれど寂しくは無い。
最後にお兄様と踊れるなんて私は運が良い。
「ありがとう、お兄様。我が儘を聞いて下さって」
たった数分。けれど私には十分だった。
「もっと我が儘を言っても良いんだぞ?」
「これ以上はバチが当たります」
お兄様は仕事の途中だったのだろう。
邪魔をしたくない。
「楽しかったです。お仕事頑張ってください」
「ああ」
「では失礼いたします」
お兄様に背を向けて歩き始める。
ケイトが扉を開けてくれた。
お礼を言いながら部屋の外に出ようとした時、
「アイリーン」
お兄様に声を掛けられて、振り返った。
「なんでしょう?」
「また、綺麗な姿を見せに来てくれ」
「気に入りましたか?」
「そうだな……側に置いておきたいと思うくらいには」
修道院に行かせたくないのだろうか。
お兄様の気持ちは痛いほど理解しているつもりだ。
だから私はあえて笑った。
「キャロル様に言いつけますから」
少しだけおどけて言って、お兄様の部屋を出た。
私はここには居られない。そのうち居場所が無くなる。
お兄様の負担にはなりたくない。
早く全てを終わらせたい。そうすれば全ての人が前を向ける、そんな気がした。




