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52.暁の未来

「……あ」


 リビングにぽっかりと開いた穴から、二つの紙飛行機が飛んできた。

 拾い上げると、一つはシャロットから俺への手紙、もう一つはユウから朝日への手紙だった。


「……おかしいな」


 思わず独り言。

 だって、朝日はユウと一緒にいるはずなのに……。


「……開けていいのかな」

「いい訳ないでしょ」


 急にリビングの扉が開いて、朝日が現れた。


「わっ! 何で……」

「書斎の本を取りに来ていたの。で、ゲートの気配を感じて……ユウから手紙?」


 朝日は俺から紙飛行機をひったくると、急いで開けた。

 だけど深刻な話ではなかったらしく、目を通したあとちょっとホッとしたように息をついた。


「……ユウ、何て?」

「ユウが読んでいた本の新刊が出てるみたいだから、ミュービュリに行ったついでに買ってきてって」

「なあんだ……。でも、何で手紙? 直接話しかければいいのに」

「通信もフェルを使うからね。……それ、シャロットの手紙でしょ? ついでにお願いしたんじゃない?」


 俺はシャロットの手紙を開いた。

 シルヴァーナ女王がすごく明るくなったこと、おかげで自分も元気が出たこと、二週間後の水祭りに来てほしいこと、などが書いてあった。


 こっちに帰って来てから、学校の登校日があった。

 今までは頭から拒絶していたから分からなかったけど、クラスの女子も前ほどは苦手でなくなっている自分に気づいた。

 やっぱり、俺は視野が狭かったから、それで勘違いをしただけなのかもしれない。


 ある程度会話をしたことがある女の子と言えば、フィラの子達とシャロットしかいない。

 フィラの子達には俺の素性を伏せていることもあって、何でも話す訳にはいかなかったから……実質、何の遠慮もなく話せる女子は、シャロットしかいなかった。

 シャロットのことを恋愛に疎いなんて他人事のように言っていたけど、実は俺も、かなりのものだと思う。


 そんなシャロットと久し振りに会ったとき、急に綺麗になってたから、だからちょっと驚いたというか……ただそれだけなんだ。

 だから、シャロットに対する気持ちは……俺の早とちりで……。


「……やっぱ、気のせいだよな……そうだよな」


 思わず呟くと、朝日が「気のせいって、何が?」と不思議そうな顔をした。


「いや、何も……」

「ふうん……ま、いいけど。そう言えばシルヴァーナ女王がミュービュリの洋服を見てみたいって言ってたし……本屋に行ってこようかな。ファッション雑誌でも買って……」

「何で、ミュービュリの洋服?」

「多分、夢でトーマくんに会うときに着たいんじゃない? 女王じゃなくて、普通の女の子になりたいんじゃないのかな」

「はー……そんなもんかな……」

「そうだ、一緒に出かけない?」

「えー……」

「……そんな顔しなくてもいいでしょ。もうすぐお昼だから、外にランチを食べに行こうと思ってたの。久々にミュービュリのご飯が食べたいしね。だから、一緒に行くなら好きなもの食べていいわよ」

「……じゃあ、行く」



 独りで街に行くときはバスに乗るけど、今日は朝日が一緒だったから車で行った。


「そう言えば……暁はどの高校に行きたいか、決まってるの?」

「まだ……」

「……悩んでるの?」

「悩んでるっていうか……こっちの世界で具体的に何になりたい、とか考えてなかったから。とにかく、ユウの本が引き継げるフェルティガエになろうってぐらいしか……。だから行ける高校に行けばいいのかな、なんて思ってたけど、それじゃ駄目……だよね」


 信号が赤に変わり、車が止まる。

 朝日は「あまりよくはないわね」と言って溜息をついた。


「私としては、暁はミュービュリにいてほしいのよね。ママもいるし……それにやっぱり暁はミュービュリで育ったから、パラリュスでずっと生きていくのは……何かしっかりとした目標がない限り、辛いんじゃないかな、と思う」

「あ……うん……まあね……。でも、ユウとヒールの家を継げるの、俺だけだし……」


 信号が青に変わる。

 朝日はちょっと笑うと

「――それは気にしなくていいわよ」

と言って車を再び走らせ始めた。


「でも……」

「やっぱりね。フィラで生まれ育った人じゃないと、本当の意味ではフィラの中心にはなれない……と思うのよね。理央も二人目が生まれて、すごく忙しそうだけど……私がしっかり仕切るから気にしないでって言ってた。暁は自由に動いている方が向いてるわよ、朝日に似てるからって」

「朝日に似てる、は心外だ」

「まーた、生意気を言う……」


 四階建ての、この辺りでは一番大きな本屋の駐車場に着く。

 朝日は車を止めると、ふっと息をついた。


「やっぱり、こっちは便利よね。……私は、ソータさんみたいにはなれないな。……どうしても、ミュービュリが恋しくなってしまう。……だから暁も、フィラのことは置いておいて……とりあえず思いついたことを何でもやってみたらいいんじゃない?」

「……うん」


 今いちモヤモヤしたままだったけど、俺はとりあえず頷いた。


 本屋に入ると、入口のドアの脇に一枚の写真が飾られていた。

 どこかはわからないけど……砂漠の真ん中で、独りの少女が空を見上げて佇んでいる。

 人が風景に完全に溶け込んでいる――大きな広がりを感じる写真で、俺は妙に惹きつけられた。


「……どうしたの?」


 そのまま店内に入ろうした朝日が、立ち止まったままの俺に気づいて戻って来た。


「写真? ……あ、四階催事場で写真展を開催って書いてあるわよ」


 朝日が指差した方を見ると「藤沢憲一・写真展」と書いてある。


「……行ってみたら? 私も本を買ったら、四階に行くから」

「……うん」


 一階で朝日と別れ、俺はエスカレーターで四階に上がった。

 四階は半分が専門書で、もう半分が催事場になっている。

 何人かはいたけど、静かに本を探している人ばかりで、辺りはシン……と静まり返っていた。

 どうやら無料のようだったので、俺はそのまま写真展の会場に入った。ちょうど五人ぐらいの団体が出て行くのとすれ違った。


 中に入ると、今の団体が最後の客だったらしく、他には誰もいなかった。

 ……いや、一人いる。会場の隅を掃除しているオジさんだ。

 俺はオジさんに何となく会釈をすると、ゆっくりと見て回った。


 一階のチラシに載っていた写真は、実際には他のより二回りほど大きいサイズで、奥の一番目立つ場所に飾られていた。

 少女の表情もわかる。

 ……遠い、空のさらに向こう、宇宙の果てまで見通すような瞳。

 俺はふと、シャロットのことを思い出した。


 ――私ね、パラリュスの……本音を言えば、パラリュスだけでなくて、ミュービュリもなんだけど……とにかく、世界中を廻りたいの。いろいろなものを見て回りたい。


 そっか……シャロットが見てみたいのって、こういうのなのかな。


 他にも海から上がって来た少年、どこかアジア系の市場の子供たちなど……いろいろな写真が飾ってあった。

 どの写真も、この風景の奥を感じさせるもので……俺がこの景色の中に入れたらどんなにいいだろう、と思わずにはいられなかった。

 シャロットがこの場にいたら、きっと共感してくれるに違いない。


「――写真に興味があるのかい?」


 急に声を掛けられて振り返ると、さっき掃除をしていたオジさんだった。

 眼鏡をかけた、やや背が低目の少しふくよかな――四十近くの人だ。

 初対面なのに……何だか話しやすい雰囲気がある。


「あ……はい」


 咄嗟にそう答えたあと、一度もカメラなんて持ったことがないことを思い出した。


「あ……えっと、実は、写真を撮ったことはないんですけど……やってみたい、と思いました。どの風景も……この中に入りたいなって……」

「中に、入る……?」


 オジさんが不思議そうな顔をする。

 そして俺をじっと見ると

「なかなかいいことを言うね。……君、向いてるかもしれない」

と言って微笑んだ。


「僕は……風景があっての人間、というポリシーなんだけど……君なら撮ってみたいね」

「……え……」


 写真とオジさんを見比べる。


「……これ、オジさんの写真展なんですか?」

「そうだよ。藤沢憲一といいます。よろしくね」

「あ……上条暁です」


 俺は慌てて頭を下げた。

 てっきり掃除のオジさんだと思ってたから、ちょっと驚きだ。


「写真家……ってことですよね。世界中を旅してるんですか?」

「そうだよ。僕は婿養子でね、女房がしっかりしてるんだ。私が稼ぐから、あなたは好きなことを好きなだけ思い切りやりなさい、って言ってくれてる」

「へえ……」


 でも、いいな……。

 そうだ……将来の目標、旅人。これいいかも。

 ……いや、駄目か。


「ケンちゃん、いるー?」


 急に、女の人の元気な声が聞こえた。

 催事場に現れたその人を見て、俺は思わず「ゲッ」と言ってしまった。

 なぜなら――あの、ド根性のあるスカウトの女の人だったからだ。

 でも……何て名前だったっけ?


「あれ、君! また会えたね!」

「何で、あんたがここに……」

「年上の人にあんた、はないわね。名刺を渡したでしょ? 私は、北見涼子。涼子さんと呼びなさい」


 ……名前を呼ぶような間柄になる気は、全くないけど。


「あー、この子か。涼子がどうしても事務所に入れたいって言ってた……」

「そう。……ケンちゃん、知り合い?」

「いや、たまたま……とても真剣に写真を見てくれてたから、声をかけたんだが」

「ナイスよ、ケンちゃん」


 二人のやりとりを聞きながら、俺はさっきのオジさ……藤沢さんの言葉を思い出した。

 ひょっとして……ひょっとしなくても、この二人が夫婦ってことなのか?


「オジ……藤沢さん、この人が奥さん?」

「そうだよ。イイ女だろう?」

「……ぶふっ……」


 俺は思わず吹き出した。


「笑うことはないでしょ、失礼ね。これでも元モデルよ」

「違う、そうじゃなくて……言いそう……私に任せとけってすごく言いそう……妙に納得……」


 こんな夫婦もいるんだ……何だかメチャクチャ面白い。

 女の人は、憮然としながら笑い続ける俺を指差した。


「ちょっとケンちゃん、この少年に何を言ったのよ」

「涼子のおかげで旅ができるって話。……写真家に興味があるみたいだったから」

「……ふうん、そうなの」


 涼子さんはまだ笑い続ける俺をじっと見ると

「じゃあ、ケンちゃんを貸してあげる代わりにウチの事務所に来てよ」

と言ってにっこり笑った。


「ぐっ……何……」


 思わずむせる。

 どういう理屈なんだ……呆れて声も出ない。


「ケンちゃん、こう見えて本物よ。ケンちゃんに撮って欲しいって人はたくさんいるけど、この人は人間を撮るより世界を撮りたい人だから、なかなかうんと言わないの。でも、そんな本物の写真家のケンちゃんの一番弟子にしてあげる。その代わり、ウチの事務所に……」

「何でそれを本人じゃなくあんた……」

「何?」

「あ……えーと……涼子さんが言うんだよ」


 ギロリと睨まれたので、慌てて訂正する。


「え、だってケンちゃんから話しかけたんでしょ? 気に入ったのよね?」

「まあ、ね……。何だか、彷徨っている感じがしてね」


 藤沢さんの言葉に、俺はドキッとした。

 どういう意味か聞こうとした、そのとき――。


「暁? どうしたの?」


 紙袋を抱えた朝日が現れた。


「あ、朝日……」

「あ……ひょっとして、お姉さまですか?」


 涼子さんはポケットからスチャッと名刺を取り出すと、ツカツカと早足で朝日に歩み寄り、ビシッと両手で朝日の前に名刺を差し出した。


「わたくし、ステラポリーの北見涼子と申します」

「あ、はあ……」


 勢いに負けた朝日がよく分からないうちに名刺を受け取る。

 ……朝日が押されるなんて、かなり珍しい。


「弟さんを、是非、うちの事務所に……」


 弟じゃないんだけどな、と言おうとすると、藤沢さんが

「涼子、違うよ。……多分、お母さまじゃないかな」

と言った。


 涼子さんは「えっ!」と驚いて俺と朝日を見比べた。

 俺は驚いて、藤沢さんをまじまじと見つめた。

 朝日もかなり驚いたようで「確かに、そうですが……」と独り言のように呟いた。


 初対面で俺と朝日が親子だと言い切った人は、今までにいない。

 朝日は童顔で若く見えるし、16で俺を生んだので……実際に若いからだ。


「え、何で……」


 思わず聞くと、藤沢さんは

「んー……何となく?」

とのんびりと言って、ニコッと笑った。


「えーと……暁くんだっけ。涼子の言い方が気に入らなかったかもしれないけど……僕も君には興味があるよ。よかったら、前向きに考えてみてね」

「……はい……」


 俺は返事をすると、藤沢さんと涼子さんにお辞儀をして、まだびっくりしたままの朝日の腕を引いてその場を離れた。


「えー……何? 何者? まさかフェルティガエじゃないわよね?」

「朝日、パラリュスに染まりすぎ……写真家だよ。さっきの女の人の旦那さん」

「凄いわね。……えっと……どういうこと? 暁、モデルをやるの?」

「いや、俺が興味を持ったのは写真の方なんだけど……んー……」


 藤沢さんは何だか凄い人だ。あの人からいろいろな話を聞きたい。

 ……でも……。


「悩んでるの? スゴい進歩ね」


 朝日がちょっと驚いた様子で俺を見た。


「いや、あの写真家の藤沢さんにはいろいろ教わりたいけど、そのためには涼子さんの事務所に入らないといけないって言うからさ……」

「入ったらいいじゃない。せっかく興味を持てるものが見つかったのに……。えっ、ひょっとして悪徳事務所とか!?」

「いや、それはない。前に名刺を貰ったときに、一応調べたんだ。大きくはないけど、ちゃんとした事務所だった」

「名刺も貰ったんだ……珍しいわね」

「ものすごいガッツで追いかけてくるからさ……誰かさんを思い出して」

「またそんな生意気を言って……」


 喋っている間に、駐車場に着いた。

 朝日は車に乗り込むと

「私のモットーは知ってる?」

と聞いてきた。


「……何だっけ?」

「やらないよりはやって後悔しよう、よ」

「……朝日らしいね」

「ちなみに、やった結果として後悔したこと、殆どないわよ」

「……だろうね」


 再び車が走り出す。

 流れていく景色を見ながら、俺はぼんやりと……さっきの砂漠の写真を思い返していた。

 真ん中に立つ少女の姿が……シャロットに変わる。


 ウルスラ王宮から出ることができないシャロットに、いろんな景色を見せてやれるのは……俺しかいない。

 もともと、風景の中に溶け込んで色々なことを感じる時間は好きだった。

 藤沢さんも言っていたし……俺に、向いているかもしれない。


 いつか、シャロットが世界を旅をしたいと言ったとき……連れて行くのは、きっと俺だろうから。




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