47.トーマの本音(2)
それから……テスラの夜斗さんが現れたり、朝日さんが突然やってきたり、俺は念願の教師になったり……と、まぁ、いろいろなことがあったけれど……とくに事件が起こることもなく、日々は過ぎて行った。
あの水祭りから……もうすぐ、二年が経とうとしている。
シィナが使命を果たしたという知らせは、来ないまま……。
“あ、トーマさん? オレ、暁だけど……”
そんな声が携帯から聞こえてきたのは、7月下旬のある午後だった。
俺は勤務先の小学校にいた。もう夏休みに入っていたので比較的、暇だった。
「ああ、暁か。久し振りだな。どうした?」
“あのさ、今から新幹線に乗ってそっちに行くから……会ってくれない?”
「はあ? 何でまた……わざわざ?」
“オレ受験だし……いろいろ、相談があるんだ。いい?”
「いいけど……家の人の許可はちゃんと……」
“大丈夫、朝日にもばめちゃんにもちゃんと言ったから。……トーマさんって、そういうとこ本当に先生っぽいな”
「本当に教師なんだよ。……で、来るのは構わないんだが……暁が着く頃はまだ学校にいないといけないから、帰れないかもな……。とにかく、T駅に着いたら一度連絡くれ」
“わかった。じゃーねー”
元気な声がして、電話が切れた。
まったく……よく似た親子だな。
俺は帰宅時間まで学校から離れる訳にはいかないから、ユズに迎えに行ってもらうしかないな。
しかし……それにしても急だな……。
まぁ、去年の水祭りでも会ったし、テスト前になると「この問題教えて」というぶっきらぼうなFAXが届いたりして、何だかんだと交流はある訳だけど……でも、わざわざ会いに来るってのは……。
――その疑問は、ユズからの電話で解決した。
“トーマ。――シャロットが来てる”
「は?」
俺は自分の耳を疑った。
シャロットが――来てる?
「えっ……ウルスラから?」
“まぁ、そうなるよね。トーマに用事があったのはシャロットで、暁くんはシャロットを連れてきただけなんだと思うな”
「はぁ……なるほど」
“――呑気な返事だけどさ”
急にユズの口調が強いものに変わった。
“覚悟しておいた方がいいと思うよ”
「覚悟……何の?」
“シィナのこと。いい加減、はっきりさせた方がいいよ”
「……はっきりって……」
まだシィナ自身が女王としてやらないといけないことがあるのに……俺がはっきりさせる訳にはいかないだろう。
“シャロットはその辺のことを聞きにきたんだと思うよ。ちなみに、記憶が戻ってることはもう暁くんにはバレてるから……シャロットも確信してると思う”
まぁ……シャロットの感じから、そんな気はしてたよ。俺も、嘘は下手だしな。
でも……。
「そんなこと言われても……シィナは……まだ……」
思わずごにょごにょ言っていると、ユズは
“何を躊躇しているのかは知らないけど……僕は、もういいと思うよ。それじゃ”
と言い捨てて電話を切った。
何をって……そうか、そう言えばこの話を……ユズとの間でしたことはないな。
普段も考えないようにしていたし……無理ないか。
しかし……うーん……。
シャロットには誤魔化しなんて絶対に通用しないだろうな。
正直に……考えていること、話すしかないのかもしれない。
車を駐車場に止めて、ゆっくりと歩き出す。
家の前に来ると、玄関の奥の電気がついているのが見えた。
そういえば……誰かが待っている家に帰るのなんて、久し振りだ。
じいちゃんが死んでからは、ずっと独りで……。
「……」
俺は黙って玄関の戸を開けた。音に気づいた二人が中から出てきた。
「お帰りなさい、トーマ兄ちゃん」
「お帰りー」
シャロットと暁が笑顔で手を振っている。
俺はちょっと胸が熱くなったけど、どうにか堪えて
「……ただいま」
と返事をした。靴を脱いで上がる。
台所に行くと、二人が付いてきたので「とりあえず和室で待ってろ」と言って追い返した。
さて……どうしたものかな。
三人分の麦茶を用意しながら、いろいろなことが頭を駆け巡ったが――何一つ、明確にはならなかった。
とにかく、シャロットと正面から向き合ってみるしかない。
「……お待たせ」
和室に入ると、二人はテーブルの片側に並んで座っていた。麦茶を出すと、暁は「どうも」と言って受け取ったが、シャロットはじーっと俺を見上げたままだった。
「シャロット……何か見違えたな。よく似合ってる」
とりあえず言ってみる。
ウルスラではいつも服も髪も適当だから……実際、白いワンピース姿のシャロットはとても綺麗だった。お世辞抜きで。
「バメチャン……えっと、アキラのおばあちゃんに貰ったんだ。それはいいんだけどさ」
シャロットはそう言うと、真っ直ぐに俺を見た。
「トーマ兄ちゃんは……記憶、もう戻ってるよね」
さすがシャロット。正面から来たか。
「……そうだな」
「シルヴァーナ様のこと、どう思ってる?」
「――好きだよ」
俺の答えに……シャロットはちょっと驚いたような顔をした。
俺が躊躇したり誤魔化したりするんだろう、と思っていたのかもしれない。
「……え……」
「シャロットがわざわざ来てくれたんだから……正直に言うよ」
「……」
「多分……他の人間を好きになることは――もう、ないかな」
「……そ……」
「でも……シィナに伝えることは……できないな、まだ」
「どうして……!」
「……」
「どうして言えないの。言ったからって……責任取れなんて、言わないよ。オレも……シルヴァーナ様も。別にトーマ兄ちゃんにウルスラに移住しろ、ずっと傍にいろって言ってる訳じゃ……」
「ああ……うん。確かに……移住は、今のところ無理だけど……」
「気持ちを伝えるだけでいいんだよ。多分、それだけで……シルヴァーナ様、救われると思うんだ」
「いや……今の時点では……逆に、迷惑な気がするんだが……」
「何で!」
シャロットがドンとテーブルを叩いた。
コップが倒れそうになり、隣の暁が慌ててシャロットの分のコップも手に取った。
そしてそのまま、黙って麦茶を飲んでいる。
どうやら暁は、だんまりを決め込んでいるらしい。
しかし……暁の前でしていい話なのかな、これは……。
そう思ってチラリと暁を見ると、俺の視線を感じた暁が
「えっと……オレ、出ていようか?」
と、ちょっと困ったような顔で言った。
「……そうしてくれるか」
「わかった」
暁は頷くと、両手にコップを持ったまますっと立ち上がり、和室を出て行った。
「――何で、迷惑?」
暁が出て行くのを見届けると、シャロットが怖い顔をして言った。
「女王の使命……果たさないと、駄目だろ」
「シルヴァーナ様は十分に使命を果たしてる。民に愛され、絶対的な存在として……」
「……そうじゃなくてさ」
「じゃあ、何!?」
シャロットは両手でバンッとテーブルを叩くと、俺に掴みかかるぐらいの勢いで身を乗り出した。
「使命、使命って……。シルヴァーナ様は、女の子なんだよ。とてつもなく凄い力を持ってるけど……心は本当に普通の、淋しがり屋の女の子なんだ」
「――知ってる」
本当のシィナは、感受性が豊かで、よく泣く、甘えたがりの……ちょっとしたことですぐに揺らいでしまう、気弱な女の子だ。
だから、俺は――女王としてそれは駄目だろう、と……。
俺が手を差し伸べることは、女王としてのシィナにとって邪魔になるだろう、と……そう思ったんだ。
「わかってるんなら……トーマ兄ちゃんは……トーマ兄ちゃんだけは、シルヴァーナ様を一人の女の子として扱ってくれなきゃ。――女王として、なんて考えなくていいんだよ!」
「……!」
考えていたことを見透かされた気がして、俺は思わず言葉に詰まった。
「周りはみんな、シルヴァーナ様を女王としてしか扱わない。実際そうなんだから、仕方ないよね。ウルスラではそうなんだもん。でも……それじゃ、シルヴァーナ様の孤独は救われない。オレやコレットじゃ……どうしようもないんだ!」
シャロットは半泣きになりながら、叫んだ。
言いたいことはわかる。
確かに……俺は、女王としてのシィナのことばかり考えていたかもしれない。
だって、それほど……シィナは凄かったから。俺の個人的な気持ちで、その聖なる領域を侵してはいけないと……。
いや……それだけじゃないな。俺は、臆病になっていたのかもしれない。
いざ、俺が自分の気持ちを正直に言ったところで……女王であるシィナには、拒絶されるんじゃないかって……。
――俺も、よくそう言われたな。ソータは水那の保護者みたいだって……。
不意に、父さんが言っていたことを思い出した。
父さんもそうだったんだろうか。
自分の感情は押さえて――保護者のように守ってやれば、せめて拒絶されることはないんじゃないかって。……そう思ってたのかな。
もっと早く――ちゃんと、気持ちを伝えればよかった。
そう後悔しながら……父さんは二十年以上、旅を続けている。
じゃあ……このままだと、俺もそうなるのか? もっと早く言えばよかったって?
いや、でも……シィナの場合は違う。
女王として――絶対に果たさないといけない使命がある。
やっぱり……それは、俺やシィナの気持ちなんかより優先すべきことのはずだ。
それがどんなに――俺たちにとって、残酷なことでも。
「……トーマ兄ちゃん! 聞いてるの!?」
「聞いてるよ」
「だから、ちゃんと……」
「駄目だ。シィナの使命は、まだ終わってない」
「え……」
「――結契の儀。女王の使命だろ」
思い切って言うと――シャロットが大きく目を見開いた。
「……知ってる……の……」
「……ああ」
俺が頷くと、シャロットはぐっと喉を詰まらせた。
「……そもそも、スミレさん……ああ、ユズの母親な。スミレさんが儀式の末に男であるユズを生んだから、揉めたんじゃなかったか。前の動乱は……これが発端だろ」
「……うん……」
「女王の重要な儀式だろ。……どう考えても……これが終わらないと、駄目だろ。俺なんかに構ってる場合じゃないだろ」
「っ……!」
シャロットはバッと立ち上がると、俺のすぐそばに来て――思いっきり俺に平手打ちを食らわせた。
「ってー! 何を……」
「そこまで知ってて、黙ってたの!?」
「何が……」
「儀式は、女王の最初の使命だ。当然、シルヴァーナ様も儀式に臨んだ!」
「え……」
それは……俺がまだ記憶を失っていた頃――5年も前ってことか……?
「――でも、駄目だったんだ!」
シャロットは俺に掴みかかると、ボロボロ涙をこぼした。
「闇の影響で、子供が生めないの。そういう……身体なんだって。治療師に診てもらったし、アサヒさんにも調べてもらったけど……もう、無理なんだ!」
「え……」
子供が――生めない?
――女王として……私には使命がある。だから……もう、戻れない。
俺の記憶を奪う直前……シィナは凛とした佇まいで、そう言っていた。
いろいろなこと――全てを捨てて、シィナは女王として頑張ろうとしていた。
俺はそれを邪魔したくなかったから……なのに……。
恐らく女王として一番重要な使命であろう、それを果たせないとわかったとき――シィナはどんな気持ちだったんだ?
「だから、それはオレが代わりにするの。オレがもう一人の女王として、使命を果たすんだ。だから……トーマ兄ちゃんが……」
「いや……え……でも……」
頭の整理がつかない。
シィナは女王で、でも後継者を残すことはできなくて、だからシャロットが代わりに儀式に臨んで……シィナの孤独を救う?
「ちょっと、待ってくれ……」
思わずシャロットを引き離す。
考えていたことの主軸が打ち砕かれて……俺は混乱してしまった。
俺はいったい……どうすればいいんだ?
「――トーマ兄ちゃん……そこまで気持ち、ないんだ」
俺の言動をどう勘違いしたのか、シャロットが血走った眼で俺を睨みつけた。
「アサヒさんに言われたけど、全然わかんなかった。シルヴァーナ様の事情を背負う覚悟がないと、駄目だって。かえって傷つけるからって」
「いや……」
「そういうことなんだ。シルヴァーナ様は……自分の孤独に巻き込んでしまうって。トーマ兄ちゃんに他に好きな人ができたらどうするのって聞いたけど……きっとトーマにとってはその方が幸せね、って。……淋しそうに笑うんだ。ねぇ……子供ってそんなに大事? それは、シルヴァーナ様より大事なこと?」
「だから……」
ちょっと待て、と言おうとした瞬間、シャロットがバッと立ち上がった。
「もういい! トーマ兄ちゃんの意気地なし!」
シャロットはそう怒鳴ると、和室から出て行った。
「待て、シャロット!」
「えっ、えっ、何!?」
気になって聞き耳を立てていたらしい暁が、顔を覗かせる。
その横を通り過ぎて、俺は急いで追いかけた。
「シャロット!」
玄関から裸足のまま飛び出すシャロットの背中が見えて……俺は慌てて駆け出した。
家のすぐ前は、道路だ。バス路線にもなっているし、この時間帯は帰宅ラッシュだからこんな田舎道でも交通量はある。
急に飛び出したら……。
「――シャロット!」
シャロットの細い腕を掴んで引き戻す。
そしてすぐ傍には――一台の車が迫っていた。
「――トーマさん!」
暁のひどく慌てた声が――耳に残った。




