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34.ユウの覚悟(2)

「……あ、ユウ先生!」


 部屋に入ってきた俺を見て、シャロットがちょっと慌てたように書庫から出てきた。

 シャロットはウルスラで唯一の浄化者だ。

 ただ、ずっと放っておかれていたため、あまりちゃんとしたフェルティガの教育は受けていなかった。

 だから時折ウルスラに訪れて、俺が教えている。


 浄化者としてのシャロットはあまり大きな力を持っていないが、もう一つの「視る力」の方はかなり強かった。

 今は修業のため、と言って使うことを禁じているが、うっかりすれば俺の状態なんてすぐに見抜いてしまう。

 頭の回転も速いし、暁と同じまだ12歳……もうすぐ13歳か。

 ……なのに、全く気が抜けない相手だった。


「お久しぶりです。お仕事、大丈夫なんですか?」

「夜斗が復帰したからね。もう指導の仕事に戻って……ん?」


 普段はなるべくフェルティガを使わないよう、意識的に閉じているけれど……それでも、何だか異様な気配がする。


「――シャロット……書庫に何を隠してるの?」

「えっ……」


 シャロットがひきつったような笑顔を見せた。

 こういうボロを出すとは珍しい。よほど慌てていたようだ。


「えーっと……」

「誤魔化しても駄目」

「あ、ちょっと、待っ……」


 シャロットの制止を待たずに書庫を覗こうとした瞬間、気配が消えた。


「……あれ?」


 扉を開けて覗いたが……何もない。


「……ね、何でもないでしょう?」

「いや……違う」


 俺はじっくりと考え込んだ。


 さっきの気配……どこかで……。

 ふと、フィラの雪景色とソータさんの顔、ミュービュリの雪景色を思い出した。


「――そうか。次元の穴だ」

「うっ……」


 シャロットは小さく呻くと、決まり悪そうにそっぽを向いた。


「……何をしようとしてるの?」

「なんにも……」

「なんにもってことはないよね。勝手に開いたんなら、もっと驚くはずだしね」

「……」

「シャロット。ちゃんと教えて。……危険なんだよ」

「危険なことは何もしてないです。ただ……ネイア様のお話で……神器とフェルティガの干渉で穴が開いたっていうから……」

「で?」

「私……神剣(みつるぎ)を拾ってから、ずっと書庫のあの場所に無造作に置いてたの。だから……ひょっとして干渉すれば穴が開くのかな……という……実験……」

「……」


 何て恐ろしい……。


「で? 開けてどうするの。ミュービュリに行きたかったの?」

「別にそう言う訳では……ミズナさんを助けなきゃいけないし……」

「どこに出るかもわからないんだよ?」

「……でも……私、視れるから。どこに繋がってるか……」

「……」


 本当に恐ろしいな……。

 つまり、シャロットは修業がてら――穴が開くかもしれない場所にフェルティガの干渉をし続けていた訳だ。

 もう書庫の古文書を調べる必要はないのに……この部屋に居続けた理由がわかったよ。

 そして恐らく、さっき書庫の穴が開いて……どこに繋がっているのかを視ていたんだろう。

 まったく……。フェルティガを勝手に使うなって言っておいたのに……。


「でも、ミュービュリに行ったところで帰れないでしょ、シャロットは。まだゲートの開き方も知らないし……」

「それは、あ……」


 何か言いかけて、シャロットは慌てて自分の口を塞いだ。

 ……そうとう平常心を失っているようだ。普段のシャロットからは考えられない。


「あ?」

「……何でもないです」


 どうやらシャロットは、まだまだ隠し事をしているようだった。


 いや……でも、待てよ?

 次元の穴からなら……今の俺でもミュービュリに行ける。出る場所にもよるけど……。

 瑠衣子さんには……会って、話をしておいた方がいいかもしれない。

 朝日が気づいたとき、きっと頼れるのは瑠衣子さんしかいないから。

 俺も……彼女にはちゃんと挨拶しておきたいし……。

 フィラの次元の穴は、あの姉妹が終始見張っているから、勝手に使う訳にはいかない。

 朝日に内緒で、という訳にはいかないだろう。

 でも……ウルスラなら……?


「――あのね、シャロット。……俺は、怒ってる訳じゃないんだよ」


 俺はシャロットをじっと見つめると、深い溜息をついてみせた。


「え……」


 シャロットがちょっと驚いたように俺を見た。


「朝日は時々来てくれるけど……暁にはね。なかなか会えないし。年に一回……かな。だから……会いに行きたいんだよね、本当は」

「ユウ先生……」

「でもゲートは……俺もかなり限界が近い。迂闊に使う訳にはいかないから……。もし、次元の穴が開くなら……行けるかなって」

「……そうですよね……」


 俺はシャロットをちらりと見た。


「でも……今度は戻れないからね。どっちみち……駄目なんだよね……あーあ……」

「……」

「……」


 通じただろうか……。

 ちょっと不安を感じながらシャロットを盗み見ると、シャロットはじーっと俺の顔を見つめていた。

 そして俺と目が合うと、

「ユウ先生、アキラより演技が下手です」

とズバッと言い切った。

 俺は思わず、ひっくり返りそうになった。


「えっ……なっ……」

「でも……騙されてあげます。嘘をついてる訳じゃなさそうだし」


 シャロットがにっこり笑う。

 この子は本当に……何と言うか……。


「ユウ先生、このこと……怒らない? 誰にも……アサヒさんにも内緒にできます?」

「……まあ、危険じゃないなら……」

「危険かどうかはユウ先生が判断して下さい。どっちみち、今は単なる実験で……使おうとした訳じゃないんです」


 そう言うと、シャロットは何やら紙の束を持ってきた。

 見ると、シャロットの字で色々書いてある。


「……日記?」

「書庫と……裏庭の干渉実験の記録です」

「はあ……」


 そんなことしてたのか……。


「裏庭は、祠に長い間神剣が置いてあって……あと、私達が見つけた場所にも千年以上置いてあったはずなので……書庫より可能性は高いな、と思ってたんです」


 シャロットはパラパラと本をめくると、あるページを指差した。


「1か月前かな。……初めて裏庭で次元の穴が開きました。1週間ぐらい前からちょっと場が揺れている感じがしていて……ずっと観察していたんです。それで……」


 見ると、穴が開いたという日の記録には、大きな水面の畔、赤い門、木々、『白』、『神』……など、シャロットが視えたという映像の特徴が日本語も交えて書き連ねてある。

 その下に「ビワコ、シラヒゲジンジャ」とカタカナで書いてあった。


「なるほど……」


 さすがに自由自在に開ける訳にはいかないものの……近くなれば、わかるのか。

 いや、でも……それはあのテスラの姉妹の特殊能力だと聞いた。

 あの姉妹の場合は、正確な時刻まで見通せるみたいだが……。

 多分、シャロットだからだろうな。ぼんやりとでも感じることができたのは。


「シャロット……これ……毎日、書庫と裏庭を観察していたの?」

「そうです。気づいたことを書き留めておいたんです」

「ふうん……」

「それで……ですね。ついさっき、書庫で穴が開いて……どこに繋がるかを調べていたんです」

「それは……視ることで?」

「はい……ちょっとなら、いいかなって」


 シャロットはぺろりと舌を出した。


「ネイア様が仰ってたでしょう? 次元の穴が開く先は、いくつかの候補から選ばれるって。だから、調べて行けばその候補が特定できるから……」

「でも、シャロットはミュービュリの地理はわからないのに……」


 さっきの日記では、もう場所まで特定してあった。

 シャロットが琵琶湖だとか神社だとか知っているはずはないと思うんだが……いったいどうやって?


「……それは……アキラに調べてもらって……」

「暁ぁ?」


 俺が声を上げると、シャロットが気まずそうに頷いた。


「……視えた場所の特徴を記録したあと、日本語で手紙に書いて……さっきは、それをしていたんです」


 シャロットが便箋に書いた文章を見せてくれた。

「小さい森、めぐる川、たくさんの高い建物、たくさんの馬車みたいなの、赤と青と黄色、宮、千、鳥」と日本語で書かれている。


「……これで、どうするの?」

「アキラに手紙を出すんです。シルヴァーナ様にお願いして」


 そう言うと、シャロットは便箋を折り畳み始めた。

 その様子を見て……俺は、一生懸命に紙を折るヒールと……その震える指先を思い出した。


 できた紙飛行機を俺に渡しながら……ヒールが少し淋しそうに微笑んでいる。


 ――これを……ル……アサヒの家に投げ入れてほしい。中には入れんからな……。

 ――隙間から入れればいいんだね。でも……どうして?

 ――……どうしても、届けたいのだ。


 あの時の俺には意味がわからなかったけど……紙飛行機に書かれた文字は、瑠衣子さんへの最後の言葉だった。


 ――朝日を守る。信じて。


 ヒールの、強い意思がこもったメッセージ……。


「できました!」


 シャロットができた紙飛行機を満足そうに眺めた。


「じゃ、ちょっとシルヴァーナ様のところに行ってきます。ユウ先生はここで待ってて下さいね」

「あ……うん」


 シャロットは鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。その後ろ姿を見送ると……俺はぼんやりと窓の外の景色を眺めた。


 ヒールは……どんな想いで紙飛行機を折っていたんだろう。

 俺は――朝日にどんな言葉を残してやれるだろうか。



 その日の夜になってから、暁の手紙が届いた。

 紙にはいくつかの景色が印刷されていて、その脇にカタカナで「コウキョ、チドリガフチ」と書いてある。


「あ、そうだ。この景色だ。さすがアキラ……」

「ふうん……山とか海とか……田舎の方とは限らないんだな」


 暁が送ってくれた手紙に印刷された景色を見る。

 大きな池のそばの並木道に平行して立派な道路が走っていて、信号機の横に『千鳥ヶ淵』と書かれた看板がある。

 池とは反対側のエリアにはたくさんのビルが立ち並んでいた。

 どうみても、都会の景色だ。車もたくさん走っている。


「山とか海……?」

「ソータさんと行ったときは山奥だったしね。確か……」

「あ、ちょ、ちょっと待って下さい。書き留めたいので」


 シャロットはちょっと慌てたように言うと、机からペンを持ってきた。


「はい、どうぞ」

「ソータさんは『中国地方の山ん中』って言ってた。周りが木々で囲まれた、深い森の中だったよ。山を降りたら大きな道が走ってたけど……」

「地名、とかは?」

「さすがに覚えてないな。ソータさんに聞けばわかるかもね」

「そうですか……」

「あと、鞘があった場所は……『九州地方の島の一つ』。これは、ソータさんに地図を見せてもらったから……名前は分からないけど場所はわかるよ。フェリーに乗って……」

「フェリー?」

「えーと……海を渡る船だね。機械仕掛けの……」

「機械?」

「んー……どう説明すればいいかな……?」


 俺が悩んでいると、シャロットは「あ、じゃあいいです」と言ってちょっと笑った。

 そして『キュウシュウチホウノシマ、フェリー』とカタカナで書き留めると、

「何かすごいですね、ミュービュリって……。この絵といい……見たことのない物がいっぱいあります」

と言って興奮気味にふう、と息をついた。

 かなりワクワクしているようだ。


「……そうだね。ところでさ、シャロット。ミュービュリに行ったところで……どうやって帰ってくるの?」


 俺が聞くと、シャロットの表情が一変した。

 俺からパッと視線を逸らしてしまう。

 ……さっきもここで詰まったんだよな。よほど内緒にしておきたいようだ。


「……えーと……別に行こうと思ってる訳では……」

「まあ、いいからさ。将来的には行ってみたいと思ってる訳でしょ、シャロットは。シャロットと……それに暁も絡んでるなら、そんな片手落ちな計画は立てないよね。どういうつもりなの?」

「……」


 シャロットはちょっと口ごもったが、観念したかのように

「……フェルポッドです、アキラの」

とポツリと言った。


「……え?」

「アキラは、トーマ兄ちゃんからフェルポッドを1個もらって……それに、掘削(ホール)が入ってるんです。アキラが見て、真似した……」

「……」


 なるほど……夜斗をミュービュリから連れてきた時か。

 あのとき、シャロットとずいぶん長い間話しこんでいたっけな。


「アサヒさんには絶対に怒られるから、内緒だって……」

「まぁ……怒るだろうね。貴重な物を勝手に自分の物にしちゃった訳だしね」

「でも……今は使わないってアキラは言ってました。ミズナさんを助けるのが先だからって……。だから私も、黙ってる代わりに私の実験に協力してもらっていたんです。アキラは……」

「大丈夫だよ。……怒ってないから」


 一生懸命に暁を庇うシャロットを優しく宥めると、俺はにっこり微笑んだ。

 シャロットがちょっと意外そうな顔をしている。


「その代わり……お願いがあるんだ。俺は……一度、朝日に内緒でミュービュリに行きたいと思ってる。……早いうちに」

「えっ……」

「だから……その実験を続けてくれないか? 次元の穴が開きそうになったら、教えてほしい。すぐ行く訳じゃないけど……知っておきたいんだ」

「……」


 シャロットは驚いて目を見開いていたが……やがてコクンと頷いた。



 それから5か月後。もう、7月になっていた。

 俺は――ミュービュリにいた。




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