新たなる存在
入間基地 前線指揮所
大蜘蛛にミサイルが殺到し、巻き上がった大爆発に包まれていく様を、下河原たちはグリフォンから送られて来るリアルタイムの映像で見ていた。無論、柳尾一佐を始めとする本部の人間たちもそれを確認している。
「着弾を確認、監視を続行します」
「後詰はどうなっている」
「FHも射程内です。MLRSと共に準備完了しています」
第4航空群と第6飛行隊はミサイルを撃ち尽くしたので帰投コースに乗った。東京湾の第1護衛隊だけが未だ攻撃態勢を維持している。百里第3飛行隊も不測の事態に備え、上空で待機中だ。
「……終わったんですかね」
「もう少し様子を見ましょう」
爆発の轟音はここまで届いている。まるで花火の音を遠くから聴いているようだが、それにしても桁違いの音だった。衝撃波も本部があるこの格納庫をビリビリと揺らしている。
それから30分ばかりが経ち、肉塊と化した大蜘蛛に対する攻撃態勢が解除された。
「攻撃態勢を解け」
「了解、攻撃態勢を解け」
どうやら無事に終わったらしい。日本を護るために作り上げられ、そのまま戦争の闇と化し、意図せず都心伝説にまでなってしまった存在の、あっけない最後だった。
「もしご希望でしたら、死骸のある場所まで案内をさせます。どうされますか」
柳尾一佐の申し入れに、下河原と加川は何ともと言う表情になる。しかし、茜がそれを受け入れたため、一佐が用意してくれた高機動車に乗り込んで現地へと向かった。
現地ではまだ無数のヘリが空を飛んでおり、監視の手を緩めていなかった。攻撃部隊は続々と撤収を始めているも、機動戦闘車隊だけは未だ砲口を睨ませている。
「あれがそうです」
運転手だった自衛隊員が指差す先には、もうよく分からない姿形になり果てた大蜘蛛の死骸が横たわっていた。加川は撮影の許可を取ると鞄からカメラを取り出し、その光景の撮影を始めた。下河原と茜はそれを尻目に手を合わせ、自ら落とし前を着けようとするも理不尽に命を奪われた源一たちと、望まない時間を生かされ続けた大蜘蛛に黙祷を捧げている。
「……これで百穂家は終わりです。私も、家の歴史を編纂するだけだった存在から解放されたんでしょうか」
「そうです。あなたはもう、何も気にせずに生きていいんです。あなたの人生はこれからですよ」
「ですが、同時に何もかも失ってしまいました。どうすれば……」
下河原は一計を講じ、茜にそれを提案して見た。
「もし良ければ、ウチの大学に来ませんか?事務員ぐらいなら口利き出来ますよ。万年人手不足ですし、あなたがこれまでに纏め上げたあの膨大な資料から見るに、そういった実務能力は十分備わっていると思います」
「……御迷惑ではないでしょうか」
「いえ、寧ろ我々があなたから全てを奪ってしまいました。これぐらい恩返しにもなりませんが、良ければ」
「…………では、宜しくお願い致します」
深々と頭を下げる茜に、下河原はどうしていいか分からなくなってしまった。あたふたする様を加川のカメラに収められ、後で笑い話の種にされるのであった。
その後、会社に戻った加川は一連の事件を書き上げて記事を作った。タイトルは【百穂峠大蜘蛛伝説】として刊行。タイムリーな内容が幸いし、会社としては過去最高の売り上げを記録したらしい。下河原も大学へ戻って茜の就職を世話する傍ら、研究室を散らかしては講師の高橋に小言を言われつつレポートを纏めるのに奔走した。
下河原と加川は月に数回呑みに行く間柄となり、飲み屋で怪しい噂話や突拍子もない都市伝説に花を咲かせていた。何だかんだ茜と下河原もいい関係に発展し、加川から「結婚はまだか」とせっつかれている。
時系列は少し戻り、百穂村では大蜘蛛の糸で家から出れなくなった住民や、倒壊家屋を除去するために陸自第1師団の普通科部隊や施設部隊が現地入りしていた。
「総員下車、直ちに点呼しろ。各班は連携を密にしつつ住民たちの救出を開始」
「仮本部は何所に設けますか」
「道の駅にしよう。直ちに通信と輸送を送って物資の集積及び医療拠点の構築を急いでくれ」
「了解」
警察消防も続々と到着し、被害の復旧が始まった。村の高台に位置している敷地ごと陥没した百穂家の捜索は、万全を期すため空挺団やNBC対応部隊が到着するまで手出しをしない事になっている。
百穂家 地下空間
下河原と加川の起こした混乱で設備や機能は破壊され、最終的に爆発事故へと至った。地下に居た百穂家の人間たちは逃げる間もなく倒壊する鉄骨やコンクリートに押し潰され、全員が死亡していた。
大蜘蛛が外に出る時に使った開口部も破壊され、ポッカリと口を開けている。太陽の光がそこに差し込むと、百穂家の人間たちの遺体が照らし出された。
すると比較的小奇麗な複数の遺体がもぞもぞと動き出し、彼らの着ていた紋付を何かが体ごと食い破る。体に纏わりつく肉片や血を滴らせながら姿を現したのは、絶滅したとされているあのヒャクスイジグモだった。10体前後のヒャクスイジグモたちは外へ向けて歩き出し、開口部から目の前に広がる大自然を見つめている。
そこから一歩足を進めた個体を皮切りに、ヒャクスイジグモたちは森の中へワラワラと消えていった。
もう二度と百穂家の歴史に翻弄される事もなく、戦争に関わる事もない。今度こそ、自分たちだけの生を謳歌していく事だろう。
本作は以上で最終話となります。後書きを活動報告に記しておりますので、宜しければご覧下さい。




