地の底に眠るモノ
下河原と加川は母屋への進入を開始。縁側をコソコソと移動し、障子を少しだけ開けて中を覗き込んだ。
「……書斎のようですね、本棚も沢山あります」
「ちょっとだけ中身を拝見しますぜ」
中に忍び込み、本棚から一冊だけ取り出した。表紙には【大蜘蛛成長記録 1950年~1960年】と書かれている。やはり、終戦時に源一を含む研究員たちを殺し、残った大蜘蛛をその後も生かし続けていたに違いない。
「センセイ、どうやらありとあらゆる薬品を投与して、身体的強化を図っていたようですね」
加川の見つけたファイルには、今現在も残っている薬品だけでなく、既に使用や製造が中止された昔の薬品まで過去に投与していた記録が残っていた。一体これだけの薬品を、どうやって入手していたのだろうか。
「……先を急ぎましょう。ここばかり見ていては時間がなくなります」
更に家の奥へと足を進めた。出入り口が全て引き戸の屋内にあって、唯一ドアノブのついた場所を発見。相応の年月を感じさせる、古めのドアだった。
「ここですかね」
「ゆっくりですよ、ゆっくり」
音を立てないよう、ドアノブをゆっくり捻る。内部は暗視ゴーグルがなければ進む事を躊躇するほど、きつい傾斜の階段が地下へと伸びていた。先に入り込んだ下河原に続き、加川も後ろ手でドアを閉めつつその階段を下りていく。
「……奥に灯りが見えますね」
「そこに例の大蜘蛛が居れば、写真だけ撮ってさっさと退散しましょう」
2人は階段を下り続けた。そうして辿り着いた地の底には、体だけでも全長が100mはあろうかと言う巨大な蜘蛛が拘束具を着けられた状態で寝そべっていた。足も含めるとその大きさは200m近いものになるだろう。
屋敷の地下に広がる広大な空間と大蜘蛛に2人は目を奪われた。思わず暗視ゴーグルを外し、肉眼でその姿を確かめる。役場で見た標本と、目の前に居る大蜘蛛には共通する特徴が幾つか存在した。やはりこれは源一が職場に連れ帰り、あの将校が持って来た薬によって巨大化したクモ吉そのものだ。
「しゃ、写真を」
「あ、そうですね」
互いの携帯端末を取り出そうとしたその時、蜘蛛の影から人間が現れた。
「何者だ!」
驚いた2人は階段を駆け上がり、盛大に足音を立てながら元来た道を戻り始めた。屋敷のあちこちから姿を現す百穂家の人間たちから逃れようと走り回る。しかし、自分たちが潜入した場所へ戻る事は叶わず、寄って集って取り押さえられてしまった。
「イデデデ!何するんでさぁ!」
「クソ!放せ!」
2人はそのまま地下へと引っ立てられた。地下では、杖を着いた紋付の老人が待っていた。
「ネズミ共め、何所から忍び込みおった」
「ああすんませんね。国税庁の方から御宅で怪しい研究をしている噂があるってんで、調べて欲しいと依頼があったんですよ」
とんでもない口から出まかせだ。思わず辟易してしまう。
「ふん。どっから嗅ぎ付けたかは知らんが、いいタイミングだ。今日は百穂家再興の悲願が成就する日である。貴様らはそこで、日本が転覆する様を見ているがいい」
下河原はその老人が話す言葉の端々に違和感を覚えた。しかしそんな事を気にしている余裕はない。何とかしてこの場から逃げ出さなくてはならないのだ。
「加川さん、やばいですよ」
「言われなくてもそんな事は」
「いえ、状況だけじゃなく、時間もやばいです」
加川はその言葉でハッとなり、腕時計を見やった。現在の時刻は28時55分。約束の29時までもう時間がない。
「皆の衆、集まるが良い」
老人の周りに、同じ紋付を着た男たちが集まった。何が始まるのだろうか。
「大蜘蛛様!お目覚めの時で御座ります!」
天井から伸びる数多のチューブから、奇妙な色の液体が大蜘蛛へ投与されていく。身動きひとつしなかった大蜘蛛が、その薬品が投与され始めると小刻みに動き始めた。
「我ら百穂家の再興と、再び日本の政治中枢へ食い込む野望を叶えるため、お力添えを賜ります」
ガタガタと暴れ始める大蜘蛛は、全ての足の拘束具を引き千切った。興奮する百穂家の人間たちは下河原と加川を取り押さえる事すら忘れて、万歳を繰り返している。2人はこの隙に、リュックサックからある物を取り出した。
「食らえ!」
加川はそう叫びながら、手製の火炎放射器をお見舞いした。紋付に火が着いた何人かが驚いて悲鳴を上げる。下河原はガソリンの詰まったペットボトルを所構わずぶちまけ、それにマッチで次々と着火していった。
「何をする!止めんか!」
「お前らに言われる筋合いはない!」
地下は大混乱に陥った。その頃、地上では29時を過ぎても戻らない2人のために、茜が警察を呼んでいた。全国指名手配の凶悪犯が屋敷に忍び込んだと言う通報で駆け付けた警官と、そんな人間は屋敷に入っていないと否定する使用人の間で口論が起きている。
「当屋敷にそのような人間は忍び込んでおりません!」
「気付いてないだけの可能性もあります!とにかく危険ですので調べさせて下さい!」
茜は警察に対し、日本中で6人も殺している有名な強盗殺人犯の名前を伝えていた。情報提供者には捜査特別報奨金が与えられるほどの凶悪犯である。
百穂村はその辺鄙な地形の影響で、村内部で何かしらの事件や災害が発生した場合を考慮し、交番や駐在所は設けずに警視庁及び埼玉県警の警官が合同で職務に当たるミニ警察署なる物を村に設置していた。お陰で夜間でも平然とパトロールが行われ、当直で起きている人間も居ると言う村人にとっては頼もしい存在である。それが今現在、百穂家にとっては面倒な事となっていた。
「御宅には寝たきりのご老人もいらっしゃるじゃないですか!まず皆さんを家の外に出して下さい!」
「ですから!それは悪戯か何かの通報だと」
ふと、家の中から悲鳴が聴こえた。誰かが凶悪犯の手に掛かったと思った警官数名が使用人を振り切って敷地内に踏み込む。それと同時に、地下から突き上げるような鋭い振動が全員を襲った。
「な!何だ!」
「地震だ!落ち着け!」
慌てる警官たちの横を、黒い作業服を着た男2人がすり抜けた。その内の1人が戻って来て話し掛けられる。
「こいつら全員捕まえて下さい!テロリストみたいな連中です!」
「どういう事だ!」
「地下に巨大な蜘蛛が居るんです!こいつらそれで日本を転覆させるつもりです!」
「センセイ!早く逃げないと!」
振動はますます強まり、仕舞いには屋敷の一部が崩壊を始めた。同時に地面も地下へ崩れ落ちていく。
「退避!全員退避!」
「逃げろ!敷地から出るんだ!」
警官たちもワラワラと逃げ出す。屋敷は殆ど地盤沈下が起きたような状態になり、その殆どが地下へと没した。土煙が舞う中を走り、屋敷があった場所から少し距離を取る。空はゆっくりと白み始めていた。




