13
「国王様っ」
「王妃様っ」
遠くから聞こえる歓声に、静かに手を振り返す。宮廷の外に集まっている国民達は遠く、ひとりひとりの表情は見えない。おそらく、自分の顔も鮮明には判別されないのだろう。けれど、エミリは精一杯笑顔を浮かべ、真摯に公務をこなした。
隣には、やはり笑みを浮かべたギルバートが寄り添うように立っている。
今日の公務は、宮廷のバルコニーから国民に元気な姿を見せると言う趣旨のものだ。王妃としての仕事の中では、比較的簡単なものだが……、エミリは今、とても困惑していた。
まず、ギルバートの片方の手が、ガッチリとエミリの腰を抱いている。
気のせいか、ことさら二人の距離が近すぎる気もする。
あまりにもギルバートが近すぎて、嫌でも彼を意識してしまうのだ。
対外的に愛妻家をアピールするにしても、今までのように軽く腕を組むだけで良いはずなのに……。もはやギルバートと本当の意味で家族になれはしないと考えているエミリにとって、この距離は近すぎる。
ギルバートはきっと自分をそんな風には意識していないと思う。自分だけ、この状況で夫を意識している。
エミリは、ただ距離が近いというだけで頬が紅潮してしまう自分が惨めだった。
「そのドレス、似合っているな。とても可愛い」
まだバルコニーに居るというのに、まだみんなが見ているというのに。
突然、ギルバートがエミリの耳元に顔を寄せて囁いた。
「あ……」
あまりの事に、エミリは一瞬手を振ることさえ忘れてしまった。とても凄い事を言われた気がするけれど、頭が真っ白になってしまい言葉が続かない。
唖然とする様子のエミリを見て、ギルバートの表情はすっと冷たいものになった。
「エミリ、手を」
「は、はい」
失敗してしまったとエミリは思う。
ギルバートの行動を深く考える暇もない。
急いで表情を取り繕い、にこやかに国民への挨拶を再開した。
やがて、トマスが背後から終了の時間を告げる。
二人並んで、部屋に入った。
事務的な話をするトマスとギルバートをぼんやりと眺めながら、エミリは冷えて回らなくなった頭を回転させる。
ギルバートは自分のことを可愛いと言った。
ああ、それだけの出来事なのに、エミリは体の中がフワフワと浮き上がるのを感じる。ギルバートにとっては国民への慈愛の心からの言葉だったのだろうけれど、エミリはやはり嬉しいのだ。
エミリは自分が、ギルバートを王としてではなく夫として感じたいと願っていることを思い知ってしまった。
「エミリ、何かあるか?」
突然、自分に話が向けられる。
少々上の空だったエミリだが、これだけは言わなければならないと顔を上げた。
「あの、……ありがとうございました」
「……え?」
「ドレスを頂いて……、それに、褒めていただけて」
嬉しかったです、と。
消え去りそうな声で訴えた。実家が貧乏で社交界にも満足に足を運べなかったエミリは、こんな時何と言って感謝すればいいのか分からなかった。ただ、簡素な感想を言うしかない。自分の不甲斐なさが嫌になって、エミリは俯いてしまった。
それに、先ほどの事を思い出すだけで、顔がどんどん赤くなる。しかも、まだギルバートがエミリの腰を抱いたままなのだ。
もうどうして良いものか……。
困り果てたエミリは、ギルバートの複雑な表情に気づかなかった。
しばらくの沈黙の後、ギルバートが口を開いた。
「トマス、次の約束の時間までまだかなりあるな」
「はい」
「では、我々は奥の部屋で休憩を取る。しばらく誰も来なくて良いから」
トマスの返事を待たず、ギルバートはさっさと歩き始める。当然、彼に腰を抱かれたままのエミリは、ピタリとギルバートに寄り添って歩かされた。
奥の部屋まで、ギルバートは一言も話さなかった。
エミリは引きずられるようにただ従うのみだ。
奥の部屋に入り、ギルバートは丁寧に内側から鍵をかける。
ようやく彼の腕から開放されたエミリは、ギルバートの様子がおかしいことに気づいた。公務の時の柔和な笑顔はない。トマスと会話する時の砕けた感じもない。しっかりとエミリを見る瞳には強い意志が感じられるが、それが怒気をはらんでいるものなのかどうか、分かりかねた。
エミリはギルバートから開放され、部屋の中心に数歩歩いた。一方、ギルバートは、ドアにもたれかかったまま動かない。
これでは、まるで、逃げることを許さないと言われているみたいだ。
何かひどい失敗をしてしまったのかもしれない、と、エミリは血の気が引くのを感じた。
「私にドレスを褒められるのが、嬉しいか?」
しかし、ギルバートが言い出したことに、エミリは困惑する。
「もっと他に、本当はああ言って欲しかった相手がいるんじゃないのか、と聞いている」
「そ……」
そんな訳がない。
エミリはギルバートが何を言っているのか、本気で分からなかった。




