第6話
―――アデン領・黄昏山地にて。
レイジは腹の前で大剣を両手に構え、剣先をまっすぐ龍神鬼へ向けたまま突進していた。
すぐ背後には、鋭い鉤爪を持つ巨大なゾドムが二体、雷鳴のような足音とともに地面を揺らして迫ってくる。
『バチバチ限界を超えて、そこからがおれの勝負だ!』
荒い息に混じって、いつもの口癖が飛び出す。
まるで、心の限界を超えることで初めて“レイジ”という存在が完成するかのように。
一頭のゾドムがレイジの背後を狙って、鋭い右鉤爪を振り下ろす。
レイジは前傾姿勢のまま地を滑るように身を傾け、間一髪で鉤爪は空を裂いた。
正面の龍神鬼はゾドムの存在など意にも介さず、突進するレイジの姿を視界に捉えていた。
その瞳に宿るのは、興味と、わずかな侮り。
龍神鬼の残HPは【2800】。
対するレイジは【554】。回復ポーションは既に尽きている。
「これは無茶だな……」
戦況を見守っていたアルカンブーストが顎髭をなぞり、低く呟いた。
「ゾドムを引き連れて、その先には龍神鬼……正気の沙汰じゃない!」
ニアーナが眉間に皺を寄せ、不機嫌さすら滲ませる声で吐き捨てる。
「まあ……レイジらしいって言えば、らしいですけどね」
ゼイラスが苦笑するが、すぐにその表情は沈痛に変わった。
「だけど……今回は、かなりギリギリで、まずいかもしれませんね」
珍しく、その声には重い不安がにじんでいた。
「本来なら、龍神鬼も他の兵と同様にゾドムと交戦してくれていれば、あんな無茶な突撃にはならなかった。……けど、これは……」
ゼイラスは続けた。
「これは“狩り”じゃない。“対人戦”だ。……レイジ」
その名を呼んだ瞬間、彼の顔から微笑が消えた。
「対人戦で死んだら……本当に『死』になる」
アルカンブーストが、肩の外套をなびかせながら言葉を重ねる。
「それでも、彼らが散ってしまったときは、勇敢に戦った英雄の死闘を、俺たちが永遠に語り継いでやろう」
だがゼイラスはかぶりを振る。
「いえ。レイジは伝説も、英雄も望みません。レイジは、必ず、生きて戦えと」
そして、ネオフリーダムで語り継がれる“彼”の言葉が蘇る。
―――戻らない過去の自慢話は、死んでいった奴らにでもくれてやれ。
―――おれたちは、英雄になんてならない。
―――屍には、伝説も名前も要らない。
―――仲間がそこにいる限り、おれたちは生きてネオフリーダムで戦う!
レイジは、龍神鬼の目前まで肉薄していた。
ゾドム二体が背後から猛然と迫る。
両手剣をへその下で握り直し、その勢いのまま龍神鬼へ突撃。
狙いは胸――上へ振り上げる渾身の突きを放つ、まさにその瞬間だった。
「――甘いッ!」
龍神鬼の斧が、雷鳴のごとき勢いで横薙ぎに振り抜かれる。
ガッキーン!!
衝撃音とともに、レイジの両腕が打ち払われた。
左手に嵌めていた籠手ごと、大剣は無惨に宙を舞う。
【龍神鬼が256のダメージを与えた!】
「ツーっ、痛ててっ!」
激痛に顔をしかめた刹那、レイジはバランスを崩す。
そのまま、龍神鬼の目前で――顔面から地面へ突っ込んだ。
【レイジ残HP:300以下!】
「マズい!!」
ビクライが慌てて声を上げた。だが、ここからでは魔法が届かない――!
龍神鬼は薄く笑い、突っ伏しているレイジの後頭部をめがけて、大上段に大型斧を振りかぶった。
「これで終わりだぁぁぁ!」
ガッツーーーーン!!
だが次の瞬間、龍神鬼の頭部にゾドムの鉤爪が炸裂!
【ゾドムが324ダメージを与えた!】
さすがの龍神鬼も、もろに攻撃を喰らい、斧を掲げたままよろけた。
「ああ、これで終わりだよ!」
泥だらけの顔を上げたレイジが、薄ら笑いを浮かべる。
ぐガッツーーーーン!!!
さらにもう一体のゾドムが鉤爪を叩き込み、龍神鬼の頭部に【288ダメージ】!
「なっ、何が起きたっ!?」
龍神鬼は理解が追いつかない。あと一歩でレイジを屠れたはずだった。
(モンスターにタゲられている者を別の者が攻撃すると、タゲはそちらへ移る――)
だが、対人戦しか知らぬ龍神鬼は、そのハンターの常識を知らなかった。
今、龍神鬼は二体のゾドムに挟まれ、戦っていた。
◇
レイジは、ゆっくりと立ち上がった。
龍神鬼に背を向けると、ニュルンベルグ兵を倒し終えてタゲがフリーになっているゾドムに注意を払いながら、慎重に小高い丘へと歩き出した。
周囲を見渡す。
立っているニュルンベルグ兵の姿は、もはや一人もない。
槍などが突き刺さったまま横たわるゾドムの巨体が数体、無惨に転がっていた。
遠方では、生き残った三体のゾドムがふらふらと彷徨い、まだ獲物を探している。
「……なんて、強運の持ち主なの!?」
ブレイヴディラーの軍師・ニアーナが思わず呟く。
その声には、戦術でも戦略でもない、“ただの運”だと強調する響きが含まれていた。
「運ですか。あっ、まぁー、そーですね、きっと……そう」
ゼイラスは、それ以上の反論は控えた。今はそれでよかった。
「これで終わったな」
ブレイヴディラーの盟主・アルカンブーストが満足げに、二人の顔を交互に見た。
一体でも三人がかりで倒すのがやっとの、HP六千近くのゾドム二体。
それをファイターが一人で倒せるはずなど、ありえなかった。
レイジは丘の上の岩陰に退避していた二人のもとへ辿り着き、腰を下ろす。
額はすりむけ、身体中はぼろ雑巾のように泥だらけだった。
「あー、疲れた。足痛いし……顔も痛い」
ぼやくような声に、戦いの壮絶さがにじむ。
三人とも、回復ポーションは尽きていた。
HPもMPも、もはや空に近い。
この戦いが、どれほど苛烈だったかをそれが物語っていた。
ビクライは、自分も含めて三人分の回復魔法を唱えるべく、しばしの休息とMPの自然回復を待つしかなかった。
「おまえら、強くなったな」
レイジは、一人も欠けずに戦い抜いた二人を素直に称えた。
そのとき。
三体の生き残ったゾドムが、ニュルンベルグ兵を二十人近く全滅させたあと、まるで満足したかのように、もっさりと巨体を揺らしながら三人の横を通りすぎていく。
そのまま森の中へと戻っていった。
ゾドムは叩かなくてもタゲってくるが、こちらが動かなければ、ほぼ問題なかった。
それを見送りながら、ビクライが口を開いた。
「そうですかね。龍神鬼はレイジが引きつけていたんで……残りのニュルンベルグ兵二十人くらいなら、あと少し時間があれば、おれたちだけで全部やれてましたよ」
少し不満げな声音に、横のエルナも頷く。
レイジは、真っ赤に腫れ上がった左腕の付け根を擦りながら、
「ふぅ~、これでやっと終わったな」と、ほっとした顔を二人に向けた。
「そうだね。あのゾドム二体を一人で倒せるものなど、この世界には居るはずもないからね」
エルナが広いアデンの空を見上げた。
その表情には、僅かながら解放感が漂っていた。
◇
中腹の崖の上――。
そこから戦場を眺めていたアルカンブーストが腕を組み、ぼんやりと呟いた。
「さて、これからどうするかな。ちょっとレイジ殿に挨拶にでも行くか。それとも今日はこのまま引き上げるか……」
その声には、なお信じがたい光景を目の当たりにしたばかりの戸惑いが色濃く残っていた。
「そうですね。今日はこのまま引き上げましょう」
ゼイラスが即答したが、ニアーナは無言のまま眼下を見つめていた。
地に転がる屍の山々――そこにまだ現実感を見出せずにいた。
「ビク、MPは?」
レイジが尋ねる。
「ああ、もう少し……」
そう答えかけたビクライの目が、不意にレイジの背後で止まる。
表情が凍りついた。
こういうときは、決まって――“ヤバい何か”が来る。
「うわぁぁぁぁぁーーー!!」
突如、ニアーナの悲鳴が響いた。
「どうした?!」
城へ戻ろうとしていたアルカンブーストが振り返る。
隣を見ると、ゼイラスの顔が驚愕に染まっていた。
「ぎょぇぇぇぇぇぇぇーー!!」
レイジ、ビクライ、エルナ――。
そしてアルカンブースト、ニアーナ、ゼイラス――。
全員が同じ場所を見つめ、息を呑む。
そこには。
両手で大型斧を地面に突き立て、それに体重を預けた龍神鬼が――。
砂埃の中に、立っていた。




