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《《俺は自分の目で見たもの以外は信じない》》。
教会から天岩戸への帰り道。シエラさんに諸々を任せた俺は、一人物思いに耽りながら歩いていた。
人は妬みや嫉みで他人の足を引っ張るために悪口を言ったり、自分の都合のいいように人を動かすために平気で嘘をつく生き物だ。
恋愛で例えると、仮にあなたが男でクラスに自分には決して手の届かない高嶺の華の美少女がいるとする。
そして、その美少女が好意を寄せているイケメン君とあなたが友人関係だったとする。
自分がその美少女と付き合うのは絶対に無理なのに、イケメン君と美少女が何やらくっつきそうな気配。
あなたは、自分を差し置いてそんなことは絶対に許せない! と思う。
そこであなたはイケメン君に “彼女はお高くとまっていて性格が悪い” と悪口を言い、イケメン君と美少女がくっつかないように裏で動く……みたいな。ちなみに男女逆の場合もまた同じことだ。
このようなことを実際に経験したことがある人は多いんじゃないだろうか?
人は自分よりも幸せな人を見たくない、本質的に他人と自分を比較する嫉妬深い生き物なのである。
なので俺は、自分で確認してもいないようなネガティブ情報はそもそも偽情報の可能性が高いと思うことにしている。
逆に自分の目で見たものは客観的な事実として受け入れる。それが俺のポリシーであり、物事の判断基準でもある。
そして今回の一件のことを考える。
そもそも俺は、宗教に良いも悪いもないと思っていた。世界中には数多の宗教が存在し、何を信じるのも個人の自由だろうと。
信教の自由は人権であると憲法に書いてあるのだから、そういうもんなんだろうと。
だがまさに、先ほど《《自分の目の前で起きたアレ》》は、一体何だったんだ?
シャーロットさんのテラテラと怪しく光る瞳と瘴気。華奢な少女には全く似つかわしくない激しい攻撃性。そして浄化した後の憑き物が落ちたかのような様子。
まるで悪霊にでも取り憑かれていたかのようだった。
そして俺は、自分の判断基準を変えるつもりはない。
つまり俺の出した結論は、“ゼラリオン教は邪悪な何かである” ということになる。
邪悪なものであるのなら、 “自分の町に存在させておくわけにはいかない” というのが論理的帰結となるのだが……。
しかし、このことは慎重に扱う必要がある。
ランカスタ王国はゼラリオン教を国教と定めているわけではないらしいが、それでもゼラリオン教がこの国で一番信じられている宗教だというのが事実だ。
こちらに来る前の世界の歴史を見ても、宗教にまつわる揉め事は大戦争を引き起こすくらいの一大事になることが多かった。
「はいみなさん、今からこの領地でゼラリオン教を信じることは一切禁止です!」と命令することは一応可能だが、間違いなくとんでもないことになるだろう。
そもそもシスターたちを浄化する際に精神錯乱を起こしていたことからも、何らかの精神支配を受けている可能性すらある。
なので、地道に浄化や聖域効果で影響力を減らしていくくらいしか現状手がない。
一応ゲルニカ陛下、バイエルン様、アルペンドレ男爵には俺が見た顛末は伝えておこう。
天岩戸に戻った俺は宴会が始まる前に書斎に籠り、手紙をしたためたのだった。




