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時刻は真夜中。修羅の国を脱出し無事生還した俺は、ムレーヌ解毒草と干し肉でスープを作る。うん、美味い。体の芯から温まる。
俺は、パチパチと爆ぜる焚き火をボーっと見ながら物思いに耽る。
男はなぜ、おっぱいにあんなにも心惹かれるのかと。
異世界でもそれは同じだった。もはやDNAレベルの問題なのかもしれない。
この世に生を受けたとき、まず目にするのは母親のおっぱいである。おっぱいは母性、心の安寧の象徴だ。
おっぱいには様々な姿、形があり、一つとして同じものはない。
おっぱいを追い求めるとき、修羅の国が待っているとわかっていても、男たちはおっぱいの狩人と成り果てる。
男が様々な形のおっぱいを追い求め続けるのは、母親の影を追い求めているのに過ぎないと俺は結論づける。
きっとおっぱいを目の前にしたマルゴが、まるで猛牛のように血走った目になっていたのは本能的、根源的欲求なのだから仕方ないことなのだろう。
ふう、今日も夜風が心地いい。
そうだな。これは極めて重要な哲学的見地なので、紙にメモをしておかなくては。これは友人たちにも共有しておくべき内容かもしれん。
と思ったその時、今なおローソクのような顔をして正座を続けるであろう友人たちの前で鬼の形相になっているサラサとエルザが頭に浮かび、一気に心が寒くなった。
……うん、やめとこう。
奥田主席弁護人は、戦略的撤退を行うことを決定した。
さて気を取り直して、ここで一つ命題を考えてみることとする。
男と女は永遠に解りあえない生き物なのかどうか、ということについてである。
この命題についてもDNAレベルで思考回路が違うのだから、絶対に互いに理解などできないと結論付けることができるのではなかろうか。
もう少し、わかりやすく紐解いてみることにする。
男にとってのおっぱいと、女にとってのおっぱいは決定的に意味合いが異なるのではないかという仮説である。
マルゴの衣服からブラジャーが出てきても、男の俺はまあそれは仕方ないよな、と寛容になれるのはなぜか。
それは男にとっておっぱいは本能的、根源的欲求であることを、男の俺が理解していることの証左に他ならないのである。
しかし、サラサ鬼軍曹にとってはどうだろうか。女にはそのような本能的、根源的欲求はないのだから俺のように寛容にはなれない。
以上、QED。証明完了だ。
すなわち、おっぱいを巡る男と女の認識の隔たりは、気の遠くなるような天の川の如き距離があるのである。
むしろ織姫と彦星を隔たる天の川は、おっぱいを巡る男女の認識の相異そのものなのかもしれない。
俺はキラキラと輝く満天の星空を見上げ、異世界の天の川を探しながら、宇宙の神秘に思いを馳せる。
生命の神秘について考えていると、星空の配置がおっぱいに見えてくるから不思議だ。
そうか、偉大なる先人たちはこうして星の配置を覚えていったのだ。
俺は今浮かんだ星座の配置を【おっぱい座】と名付け、忘れないように紙に星の配置と名前をメモした。大事なことをメモするのは、サバイバルをする上で重要なことだからな。このメモも将来きっと重要な研究資料になるに違いない。例えば「おっぱいから考える男と女の認識の科学」という研究分野において、非常に有用な研究資料になるだろう。
俺は今日の出来事を思い出し、友人たちの無事の帰還を星空に祈った。




