k-93
朝を迎えた。全くと言って良いほど眠れなかった。
俺は、睡眠不足の体を起こして冷たい水で顔を洗い、最低限家畜のエサやりを行う。
体調も悪いことだし、今日は外に出ない方が良いだろう。
俺は、家の中でパンや干し肉をかじりつつ、リラックス効果のあるハーブティを飲んだ。
とりあえず横になっていよう。
アッシュは俺の不安など露知らず、元気一杯だ。シカの骨をあげたら喜んで遊んでいた。
11:00
少しは眠れたようだ。ふあとあくびをし、のそのそと起き出す。
外に出るのは奴に目をつけられる可能性があるので危険だ。家の中でできることをしよう。俺は鍛冶小屋の中で、足刀蹴りや魔法、剣の素振りなど、室内で可能な鍛錬を行った。
13:00
腹が鳴ったので、飯にする。昼飯も干し肉と生卵、パン、水で簡単に済ませる。
外に出るのは危険だ。鍛冶仕事で炉に火を入れるのも人の存在を気取らせてしまう危険がある。火も極力使わない方が良い。
俺は、精神統一のためにも鍛冶小屋の中でひたすら鍛錬に励んだ。
18:00
鍛錬で体が汗だくになったので、タオルを水で濡らして体をふく。風呂に入りたいが今はそれどころではない。
鍛冶小屋のドアをそっと開けて外を伺う。今のところ大丈夫なようだ。
俺は食料とウォーターダガー水筒をもって素早く、寝室の方に移動した。
19:00
静かな夜だ。外から微かに聴こえる虫や鳥の声、木々のざわめきはいつもと変わらない。
しかし、警戒してもし足りないということはない。
今日は酒で現実逃避はしない。酒を飲んでしまうと、いざという時に動けない。きちんと現実を見よう。きちんと食べて、きちんと眠る。装備類も身につけておき、剣や盾も直ぐに使えるよう準備しておく。
そして、火の使用、外出を極力控え、人間の気配を消す。
現状俺にできることと言えばそれくらいだが、それを完璧にこなすことはとても大切なことだ。
…
……
そこではたと気が付く。日本にいたとき、俺はここまで生きるために必死になったことがあっただろうか、と。
飽食と安全の国、日本。そんな物質的に豊かになった反作用なのだろうか、15~39歳の死因の第1位は自殺という、生を実感できず生きることを放棄する若者で溢れる歪な国、日本。
俺も夢をもっていた学生時代から、ある日突然社会人と呼ばれるようになり、その頃からどこか虚しさのようなこれって生きていると言えるのだろうか? と感じることが多くなっていった。そんなこんなで上司に辞表を叩きつけ、単身農家を始めてみたわけなのだが…。
この閉塞感は何なのだろう? そして今の俺が生を感じることができていることとの差はなんだ? さて、いつもの思考実験開始といこうか。
例えば、砂場や遊具遊びが禁じられるみたいな過保護に過保護を重ねまくった結果、免疫力や精神力の脆弱な子供がそのまま大人になり、今の日本の姿になったという仮説はどうだろう。実際俺も外でボール遊びをしていたら大人に怒られた経験があるし、それまでOKだったものがどんどん禁止されていく息苦しさがあったように思う。
今俺は、実際に圧倒的に強い飛行型モンスターに殺されそうになってみて、まだ死にたくないと心から思った。ただ生きているというだけで、どれほど価値があるのかということを思い知らされた。
もし今生きることに価値を見出せない人がいるとしたら、割とガチ目なサバイバルをしてみるといいのかもしれない。テントとサバイバルセットだけもって原始林に入っていくとかな。これだけ聞くと「そんな危ないこと!」と思うかもしれないが、俺の幼少期は虫とり網と虫かごを持って、近所の森の中を分け入って蜂やアブに気をつけつつ、セミやらクワガタやらをとって遊んでいたからな。
それすらも危ないという大人は一見子供のことを考えているように見えて、その実責任をとりたくないだけで、子供の自由で健全な発育を阻害しているようにしか俺には見えない。
まあそんなことも、今となってはどうでもいいことか……。もう遠いあの国の人たちとは金輪際関わることもないだろう。思考の迷宮をぐるぐるとくぐり抜けた先は、いつもここへとたどりついてしまう。
「くだらねえ」
特にやることもない俺は、そうつぶやいて床に寝転んだ。こんな気分の時は夜空を見上げるといい。ドアを開けて外の空気を吸うくらい大丈夫だろう。それにあのモンスターはマルゴの話では夜行性ではないとのことだったので、むしろ今の時間の方が安全だ。
気分が落ち込みすぎて、いざという時動けないのも困る。適度な気分転換も必要だ。酒も少量ならむしろ過度な緊張が解けて良いかもしれない。
そう考えた俺は、寝ているアッシュはそのままに、一人静かに軒先に出て空を見上げることにした。今宵の蒼月も綺麗だ。俺の知る中秋の名月など比ではないくらいに美しいと思える。
俺は木のコップに入った少量の赤ワインもどきで月に乾杯し飲み干した。喉の奥が熱い。五臓六腑に染み渡る美味さだ。
……。
蒼月を見上げながら深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。するとさっきから体に溜まっていた悪い気のようなものが抜け出ていく感覚があった。じんわりと優しく安定した蒼月と同じ輝きが心に灯るのを感じた。
「よし、俺は明日もまた頑張れる」
俺はそう思えたのが嬉しくて、ついつい涙ぐんでしまった。あまり外に長居するのはモンスターの脅威が去ったわけではないので危険だ。そろそろ中に入ろう。
21:00
小屋に戻った俺は、干し肉にパン、ルミーの果実、水で腹を満たし、寝床で丸くなっているアッシュを起こさないように布団に入り眠りについたのだった。




