P-259 和して同ぜずと行きたいところだけど
「同じ水の神を崇める者同士であるなら、我等の水の神エーギル様の像をニライカナイの神殿に奉納したかったのですが……」
「それは叶わぬことだと諦めてください。そもそも神殿というものがありません。龍神はニライカナイの海を自由に遊弋いるそうです。その姿を見る者には幸運をもたらすとも言われていますが、俺も見たことは2度しかありません。龍神の使いである神亀ならば1カ月に1度は見る機会があるんですけど」
「羨ましく思います。お恥ずかしい話ですが、私はまだエーギル様の姿を見たことが無いのです。エーギル様の使いである大鰐様は何度か見たことがありますが、そうそう姿を見せるものでもありません」
「炎の神サラマンディー様も同じです。私は1度溶岩の中にうねるその姿を目撃したことがありますが、高位神官でさえ1度も見ずにサンラマンディー様の御許に向かうことが多いのです」
さすがに神様だからなぁ。そう簡単に見ることは出来ないということなんだろう。
そうなると、龍神は神の中で特別な存在なのだろうか?
ネコ族に異変がある時には姿を見せるとも言われているし、難産を救ってくれるとも言われているからなぁ。
それだけ目撃されているということになる。
そう言えば、トウハ氏族のアオイさんの長男が無くなった時には、嫁さんが龍神に変わったらしい。トウハ氏族の島に滞在していた者達全員が目撃したらしいから、それだけ神を自分の目で見ることができる場所だと言えるだろう。
「争いをせずに、日々漁に精進する。これができるのは龍神の版図であるからなのでしょう。困った時には助けてくれる存在でもありますからね。龍神が現れると、どんな難産も安産に代わるとも言われています。俺の漁所の出産の時にも、海の底で光る物が直ぐ近くまでやってきました。産声を聞いて遠ざかりましたから、妻の出産を手助けしようとして来てくれたに違いありません」
「ネコ族は龍神様の保護下にあるという事でしょう。過去の戦でリーデン・マイネとネコ族の人々が言う軍船に攻め入った王国軍は大敗を喫したと聞きました。火を噴く船だということですが、そのような船が無くともニライカナイに攻め入ることは不可能だと思いますよ」
ミラデニアさんが笑みを浮かべて話してくれた。
だけど龍神に最初から期待するというのも問題だろう。俺達が力及ばず覚悟を決めた時に、場合によっては助けてくれるぐらいに考えておいた方が良さそうだ。
俺達の考えが必ずしも正しいとは言えないだろうし、龍神には龍神の考えがあるに違いない。
俺達ネコ族がニライカナイで暮らすことを善しと思わないなら、手助けはしてくれないに違いない。
だからこそ俺達は、ニライカナイの自然を壊すことが無いように漁をしているぐらいだからね。
ニライカナイの海は龍神の庭そのものだ。それを俺達が心に刻んでいる限り、龍神は俺達を助けてくれるのだろう。
「それほど大陸の王国が騒がしいようにも思えません。平和が何よりですが、それに甘んじるようでも困ります」
「ナギサ殿は、サルーアン王国を恐れているように思えるのですが……。良ければ理由を教えて頂いてもよろしいでしょうか?」
ミラデニアさんの言葉に、後ろのベンチで腰を下ろしていた僧兵と護衛兵までもが俺に視線を向けてくる。
テーブルに着いた神官達も同じなんだが、少なくとも大陸で暮らすなら分かっていると思うんだけどなぁ。
「俺の話をしないといけないかもしれませんね。此処だけの話として聞いてください。他言、それに記録として残すこともないようにお願いします……」
神官達が無言で頷くの確認したところで、俺という人間が何故にネコ族の中で暮らしているかを話すことにした。
この世界の人間でないと知って、神官達に驚愕の表情が浮かんだが質問はとりあえずして来なかった。たぶん最後まで聞いてからということなんだろう。
「人間がどうやって文明を築いたか……。それは、集団を維持するための食料調達方法だと思います。最初は野山の獣を狩ったり、木の実やキノコを採取していたんだろうと思います。そんな時代を経て獣を家畜化し、食べられる植物を自ら育てる農業を覚えたに違いないでしょう。
農業は集団を1つの場所に定住化を促しますし、家畜化した動物を育てる為に牧草地を移動する集団もこの時代に現れたと考えられます……」
「その時代に信仰を1つの道具として政治体制が出来たようにも思えます。王権は神から託されたとするなら、信仰深い人達は1つに纏まることができます。それが王制国家の始まりでしょう。統治を円滑に行う手段として貴族制度が取り入れられ、国家の中央集権化が起こります。それが現在の沿岸3王国の歴史ではないでしょうか?
ですがサルーアン王国は異なります。たくさんの家畜を放牧地まで移動することから、馬を移動手段として取り入れたはずです。家畜を襲う獣、特に狼対策として弓の腕を競ったに違いありません。
自在に馬を操り、馬上から弓で害獣を狩る……。子供の頃から見よう見まねでそんな技術を身に着けたはずです。それは王国の騎馬隊の技術を遥かに上回った技能と言えるでしょう。
ここで、俺が此処に来る前の世界での出来事をお話します。長い歴史の中でたくさんの王国が栄枯盛衰を繰り返していました。ですが農耕民族がどのように大きくなっても、自ずと限界がありました。そんな中、世界最大の王国を作ったのが放牧を生業として暮らしていた騎馬民族の1つの部族だったんです」
兵站をあまり考えずに済むからね。それに征服した王国の兵士を使うということも出来たようだ。
移動は迅速だし、定住した国家は防戦一方だったに違いない。
「まるで国民皆兵と言っているように聞こえたのですが……」
おずおずと問い掛けてきたミラデニアさんに「その通りです!」と即答した。
後ろの僧兵隊長の顔が少し赤くなっているのは、確信を突かれたからかな?
俺に切りかかって来ないなら問題はないだろう。
「俺はそれだけサルーアンを恐れています。そんなサルーアンと我等ニライカナイが神殿だけでも手を握るというのは周辺王国に要らぬ騒動を起こしかねません。個人的な俺の話として聞いてください。もしも、サルーアンとニライカナイが共闘したなら、世界の半分を手に入れることが可能でしょう。ですが、それは今その土地に暮らす住民を必ずしも今の暮らしより豊かにすることは出来ないでしょうし、反感を持たれることに繋がりかねません。王位継承が上手くいかねば直ぐに王国の瓦解が始まります。100年も経たずに再び山間の牧草地で放牧を営むことになるでしょう。その時ネコ族は帰る場所があるでしょうか? 龍神の庭を出た民族を、再び迎えるということにはならないでしょう……」
話を終えたところで、温くなったコーヒーを飲む。
パイプを取り出して神官達に見せると頷いてくれたので、ありがたくパイプに火を点けた。
神官達の無言が続く。
多分、脳裏に自分達の王国の過去を紐解いているのだろう。
重要な事だからね。しっかりと歴史を思い出して欲しいところだ。
「それを知っているナギサ殿を、龍神様は世界を超えてこの地に向かい入れたと……」
「俺だけとも思えません。かつて炎の神殿と友好を結んだアオイさんとナツミさんは俺と同じ世界から来たはずです。たぶんカイトさんも同じでしょう。ニライカナイの住人であるネコ族の人達では対応できないことが起こる前に、向こうの世界から俺達を呼んだものと愚考しています」
「なるほど……、ナギサ殿が博識なのはそんな背景があったということですか……」
ミラデニアさんが、確認するように呟いた。
小さく頷いたけど、博識は必ずしも役立たないんだよなぁ。どちらかと言えばお祖父ちゃんに教えて貰った生活の知恵が役立っている。
歴史や国語はこの世界に意味を持たないだろうし、数学だって中学生ぐらいの学力で十分だ。因数分解の必要はないからね。理科は少しは役立つかな。
「かつてのネコ族は大陸で戦闘民族として一大勢力を持っていました。その末裔がサルーアン王国の騎馬隊と肩を並べる事がないように努力しているという事でしょうか?」
「その通りです。今は牙と爪を隠して、龍神の腕の中で日々を暮らしているんですからね。ここで爪を研ぐ必要は無いでしょう」
「もう1つの水の神と聞いて、少し舞い上がっておりました。お互いの存在を知っても並ぶことはない。それは神の領域がそもそも異なるという事でしょう。持参した神像は持ち帰るつもりですが、できれば神の使いに一目会わせていただくことは可能でしょうか?」
水の神殿の祭司長が問い掛けてきた途端、俺の背中の奥が蠢くのが分った。
これは……、あれだな。
「ミラデニアさん、申し訳ありませんが背中を見てくれませんか。今までにこんなことは無かったんですが」
俺が席を立ったのを見て、ミラデニアさんが俺に向かって小さく頷くと、テーブルを回って俺の背中に立った。
「むずむずしているんです……。すみません、ちょっと服を脱ぎますね」
向かい側の神官達が頷くのを見て、Tシャツを脱ぐ。女性の前で上半身裸になるのは礼儀違反も良いところだ。
あらかじめ断っておくなら問題はないはずだ。
ガタン! と後ろで音がした。
振りかえると、そこには聖句を唱えながら首から下げたロザリオのような物を手に、一心に祈りを捧げるミラデニアさんがいた。
ガタガタ! と音がしたのはテーブル向こうの神官達が慌てて席を立ったからに違いない。
ちらりと象兵達に視線を向けると、床に座って祈りを捧げている。
「あのう……」
「聖姿が動いて、首を跨げ私に視線を向けたのです! これは何かのお告げになるのでしょうか!」
やはりあの傷跡が動いたということなんだろう。
前回の約定を修正した時もそんなことがあったな。
ニライカナイ以外の人達に、龍神と俺達の関りを示すために動いたってことなんだろうか。




