P-221 種籾を撒く
乾季も終わりに近づいたある日のこと。
オラクルにいるシドラ氏族の人達が段々畑が広がる高台の南斜面に集まってきた。
田圃2つにいよいよ種籾を撒くのだ。
撒く前に、海水を真水で薄めた桶に種籾を入れて、そこに沈んだ物だけを使うことにした。四分の一ぐらいが選別で弾かれたけど、鶏のエサにすれば無駄にはならないだろう。
「面白いことをするんだな? 意味があるのか」
「外からでは籾殻の中が分かりませんからね。塩水に沈んだ方は、浮いた種籾よりも中身が大きいということです」
良い種だけを選別する方法を最初に考えた人は偉いなぁ。浮力の概念を知っていたんだろうか? だが、そこから比重という考えには至らなかったようだ。生活の知恵に留まってしまったに違いない。
トーレさん達が種籾を入れた籠を持ってカヌイのお婆さん達の祝福を受けている。
俺を通して竜神もこの光景を眺めているのだろうか?
できれば穏やかな天気と、あまり激しい雨を何とかして欲しいところなんだが……。
「終わったみたいにゃ。ちゃんと育ってくれると良いにゃ」
マナミを抱いたタツミちゃんが俺の隣で腰を下ろしてトーレさん達を見守っている。
来年は自分達もやりたいと思っているんだろうけど、トーレさん達が機嫌よく譲ってくれるかが一番の課題だな。
3人の小母さん達が田圃に入って、籠から種籾を掴んで大きくまき散らし始めた。
直接種を撒くよりも、きちんと列を作った苗を植える方が収穫量が上がるらしい。
だけど苗を作ったり、田植えをするのは面倒そうだ。
俺達は漁師が本業なんだから、あまり手を加えたくないというのが本音でもある。
まったく収穫できないということにはならないだろうが、果たしてどれぐらい収穫できるのか……。
それほど大きな田圃ではないから、20分も掛からずに種籾を撒き終える。
次は、カルダスさんが慎重な表情で、水深を排水路への堰の高さを変えることで調整した。
後は、実るのを待つだけになる。
トーレさん達が『クリル』で体の汚れを取ると、皆で高台の広場へと移動することになった。
とりあえずは皆で昼食と言うことらしい。
昼食の習慣は一般的ではないから、ちょっとした料理を摘まむぐらいなんだろう。
案の定、炙った燻製を肴にココナッツ酒を1杯の祝いだった。
でも、氏族全員で祝える席は、それほど多くは無いんだよなぁ。
新たな氏族の祝い事が出来たということで、皆の顔にも笑顔が広がっている。
種蒔きでこれだけ祝えるなら、収穫できたなら盛大に祝うことになりそうだ。
「ナギサ! 飲んでるか?」
カルダスさんがココナッツのワンを片手に近寄ってきた。
全員が1杯だけだと思ってたけど、やはり追加を用意していたようだ。
「飲んでますよ! あまり飲むと明日の漁に遅れてしまいそうです」
「出漁時は甲板で銛を研ぐぐらいだろうが? ナギサの事だから、いつでも銛は針先のように鋭いだろうから、明日は寝ていればいい」
そう言って、もう片方の手に持ったワインのボトルを俺のカップに向けてきた。
諦めるしかなさそうだな。苦笑いを浮かべながらカップを差し出す。
ボトルの中身はココナッツ酒だった。入れ替えたんだろう。いつものようにポットで注ぐのもなぁ……。
「種は撒いた。次はどうするんだ?」
「水の管理ですね。稲は水草の一種ですから、水を絶やさないようにしないといけません。実って頭を下げ始めたら田圃の水を全て抜きます」
「そして収穫ってことか……。雨季の晴れ間にやることになるだろうが、そのほかに何か作っておくことはないのか?」
「それなら、こんな形の屋根だけの長屋が欲しいですね。漁果を選別するような小屋と同じで細長く作ってあると都合が良いです。収穫した稲はこれぐらいの長さになるはずですから、竹竿を渡して引っ掛けておけば乾燥するでしょう」
乾燥させた後は脱穀と精米になる。
鉄串を櫛のように並べた古い道具を博物館で見たことがあるから、あれを再現すれば良いはずだ。
精米は臼を使って軽く突けば何とかなるかもしれないな。戦争時代には玄米を一升瓶に入れて棒で突いて精米したと聞いたこともある。
これらの品は、俺の方で準備しよう。目の細かなザルは炭焼き小屋のお爺さん達に頼めば直ぐに作ってくれるはずだ。
「なんとも待ち遠しい話だな。その前にリードル漁があるし、ナギサはオウミ氏族の島に向かうんだな?」
「ニライカナイを代表しろと……。長老が一緒だと思っていたんですが、長老会議から出すと言ってました」
「だろうな。氏族の面倒は見ることが出来ても、ニライカナイ全体の面倒を見るとなると荷が重いということになるんだろう。まぁ、そのために長老会議があるんだが、ナギサが出るなら長老会議の人選がもめることもねぇだろうよ」
カルダスさんが俺の方をバシバシ叩きながら豪快な笑い声を上げた。
「ナギサに任せれば悪いようにはならんだろうが、場合によっては氏族から何隻か元サイカ氏族の島に若者を出すことになるぞ」
「その人選ぐらいはどうにでもなる。リードル漁を終えたところで向かわせれば問題はあるまい。数隻なら漁果の保証に魔石を渡すことも可能だろう」
例の小魚漁の話だな。
小魚漁は、アオイさんがサビキ漁を教えたらしい。あえて網を使って一網打尽にする方法は教えなかったようだ。
そういえば、網を使った漁はロデニル漁に限られているらしい。それもトウハ氏族が東限らしいから、シドラ氏族は自分達で食べるだけ手掴みで獲っている。
俺は獲ったことがないけど、嫁さん達はそれなりの腕のようだ。
たまに夕食を彩ってくれるんだよね。
「数を数えるのではなく、重さで漁果を確かめるというのも面白い漁だな。子供時代に散々やったはずだから教えなくとも十分にサイカ氏族の役目をはたしてくれるに違いない」
サイカ氏族が獲る小魚は、大陸の庶民に広く出回っているようだ。俺達は重さで商船に売ることになるんだろうが、末端の売買では数匹単位で取引されるらしい。
肉を食べられない貧しい人達にとっては貴重なたんぱく源だからなぁ。その値動きには王国も目を光らせていると商船の店員が言っていたぐらいだ。
「炎の神殿がナギサの意図を汲んでくれたなら、細かな調整事項を確認するぐらいで済むだろう。大型商戦が何隻かやってくるだろうから、店を巡ってみるんだな。面白そうな品があるかもしれんぞ」
「そうですね。それもおもしろそうです」
欲しいと思う物は無いんだけどね。漁に必要な品は島を巡る商船が運んでくれるし、特殊な代物でも商船に乗船しているドワーフ族の職人が作ってくれる。
カイトさんの時代から同じような暮らしが続いているんだろうな。バゼルさんに教えて貰った限りでは、カイトさんの時代にそれまで外輪船だった漁船がスクリューを使ったカタマランに変わったらしい。
それだけで漁獲が2割以上上がったそうだから、大きな技術革新になるんだろう。
アオイさん達はカタマランをいろいろと改造したらしいけど、晩年は他の人と変わりないカタマランを使っていたそうだ。
漁だけで暮らすなら、これで十分なのかもしれない。
10日ほど過ぎたころ、漁から戻ってきた俺に撒いた種籾から芽が出たことを教えてくれた。
「水草とは聞いたが、水中で育つ植物もあるのだな。北の海では海の中で育つ水草があると聞いたことがあるのだが」
「結構美味しいですよ。スープの出汁にも使えます。俺の住んでいた場所では、毎朝の食事に海藻の入ったスープを飲んでいたぐらいですからね」
醤油に似た魚醤はあるんだが、さすがに味噌は無いからなぁ。
ワカメの味噌汁が恋しくなる。
マナミがいつの間にかハイハイをするようになってきた。
ネコ族の子供達は育ちが速いようだ。俺とネコ族のハーフになるんだが、きっと良いとこ取りになってるに違いない。
直ぐに掴まり立ちを始めるだろうし、1年前には歩き出すとトーレさんが言ってたからなぁ。
タツミちゃんにいつも抱かれていたけど、この頃はバゼルさんが作ってくれた籠のなかに入れられている。それだけ体重も増えたんだろう。
カタマランを動かす間は、俺がお守をすることになる。
お守といっても、籠に入ったマナミを俺が腰を下ろしたベンチの傍に置いておくだけで良い。
たまに、顔を見合わせて、マナミの頭を撫でてやるとキャッキャと声を上げて喜んでくれる。
「嬉しそうにゃ! さぁ、オッパイの時間にゃ」
「そろそろ、ご飯も食べさせるんだろう?」
「帰ったらトーレさん達が教えてくれることになってるにゃ。まだまだ一緒のご飯は食べられないにゃ」
ヒョイっと籠を抱えてタツミちゃんが屋形の中に入っていった。
教えて貰うのは離乳食ということなんだろう。
最初から魚をバリバリと食べるのもねぇ……。
さて、今の内に一服しながら銛を研いでおこう。
今日は、南西方向に進んでいる。ガリムさんが友人から南の漁場でシメノンの群れに遭遇したとの情報を得たようだ。
潮の流れを考えての南西漁場ということなんだろうが、上手くシメノンに当たるかは運しだいでもある。
銛を研いだ後は、シメノン用の餌木の針も研いでおかないと……。
研ぎ終えた銛を屋根裏に戻していると、タツミちゃんが籠を持って甲板に現れた。
籠の中でマナミが寝息を立てている。「後を頼むにゃ!」と俺に告げると、ココナッツジュースの入ったカップをベンチの脇に置いてくれた。
俺が持っていたステンレス製の水筒を持って操船櫓に上っていったから、エメルちゃんと一緒に飲むつもりなんだろう。
昼を過ぎてはいるけど、まだまだ漁場までは時間が掛かりそうだな。
シメノン用の餌木が着いたリール竿を3本取り出すと、餌木の針をゆっくりと研ぎ始める。




