M-008 海人さんが残した銛
石鯛に似た魚がバルタスで、シマアジはハリオ、フエフキダイがフルンネというらしい。忘れないように、ナツミさんがメモしている。
「この中で一番高値が付くのがハリオになる。3YM(90cm)を超えるなら30Dというところだろう。フルンネが5Dでバルタスは3Dというところだな」
「まだハリオは無理だな。だが、この海域にいるなら一度は狙ってみなけりゃ」
「ハリオが突けないなら、嫁が悲しむにゃ」
「まだ先の話ってことなんだろう。だが若くともアオイはナツミを娶っている。それだけの腕を持つということだ」
オルバスさん一家の会話を聞いていると、ハリオが突ける腕を持つことが妻帯時の条件になるってことなんだろうか?
首を傾げて話に聞き入っていた俺を見て、オルバスさんが苦笑いを浮かべた。
「トウハ氏族の最初の婚礼はハリオ漁に出るんだ。数隻が一度に漁をするんだが、その時のハリオの数は後々までも語り草になる。カイト様は数匹を突いたという話だぞ」
イベントということなんだろう。それにしても海人さんらしいな。俺にはとても無理だ。
「カイト様の航海では誰もがハリオを突けたにゃ。それからは全員がハリオを持ってくることは無かったにゃ」
「そうだな。俺達の時は今回の3人だけだったからな。運不運もあるんだろう。ハリオに遭遇しても銛を突くチャンスはそれほどないからな」
俺にしても、たまたま運が良かっただけなんだろう。
それにあの銛先が良かったのかもしれない。親父に感謝だな。
「さて、もう少し突いたところで終わりにするぞ」
オルバスさんの言葉に、俺達は腰を上げた。
今度は少し小さいのを突いてみるか。銛を短い方に交換して、カタマランを離れていくナツミさんのザバンの方角を確認する。大まかな場所を確認したところで、海に飛び込んだ。
今度は50cm以下の魚体を探す。
大物よりは数が多いはずだ。テーブルサンゴの下を覗くと、ブラドが俺を睨んでる。
ゴムを引いて近づき、鰓付近を狙って銛を放つ。
鰓の付け根に命中した。直ぐに大人しくなったのは太い血管を切断したんだろう。サンゴの奥が血で濁っている。
銛の柄をグイッと引いてブラドをサンゴの奥から引き出すと、急いで浮上する。
シュノーケルで潮を吹くから直ぐに俺に気が付いたんだろう。こちらに向かってナツミさんがザバンを漕いできた。
「先ずはブラドです。結構いますから、こいつを中心に突きますよ」
「最初の時より小さいわね……、銛を変えたのね!」
「数を突いてみようと思ってますから、この方が楽です」
銛先から、ナツミさんがブラドを外したところで、ザバンを離れて海中に潜る。
数匹のブラドを突いたところで、カサゴを見付けた。
これも突いてみるか。カサゴは旨いから、売れないということはないだろう。
ブラドを5匹にカサゴが2匹。これが休んだ後の成績だった。
カタマランに戻ると、トリティさんの指導でナツミさんの魚の捌き方講習が始まる。
その後ろでは、ティーアさん達が昼食の準備を始めていた。
「素潜りでは俺に並びそうだ。30歳にもなれば筆頭漁師は間違いなかろう」
「これはバッシェにゃ! 夜釣りが楽しみにゃ」
「バッシェだって! 俺はバヌトスだと思って突かなかったんだ」
天を仰いで嘆いてる。
そんな息子を一人前には程遠いとトリティさんが嘆いてる。
数日の漁を終えて氏族の島に戻る。
トリティさん達が一夜干しを島のログハウスに運んで行ったのは、今日は商船が来ていないからなんだろう。
一夜干しを燻製にして出荷するようだが、それで若干の値が上がるようだ。それは氏族で漁師達を裏で支えてくれる老人達のお小遣いになるらしい。
「今回の分配だ。34Dずつになる。来月はいよいよリードル漁だ。アオイには銛を2本贈るが、長老はこれを使わせてみろと言っていた」
オルバスさんが桟橋から持ってきたのは物干し竿のような銛だった。
「かつてカイト様が使った銛の1つだ。終わった青砥は丁寧に研いで油を塗って返せばいいだろう」
ほれ! という感じで渡してくれたんだが、指が回らないほどの柄の太さだ。柄の長さも3mを越えている。先端の銛は銛先と一体物だが、太さだけで親指サイズだ。先端は小さな返しが付いているだけだが刃先は鋭いな。
両手で持ってバランスを確認したけど、これを打つ相手はどんな奴なんだ?
どう考えても、3mを超す相手に思えるのだが……。
「リードルは巻貝の一種だ。鋭い毒槍を持つから普段使う銛よりも長いものになる。こっちが俺達が使う銛だ。これと同じものを贈るつもりだ」
オルバスさんがもう1本の銛を引き出して俺の前に置く。先ほどの銛よりはだいぶ小さく思えるのは仕方がないが、それでも銛先までは3.5mはありそうだし、銛の太さも小指ぐらいの太さだ。
「海底を這っているリードルの殻の端を狙うんだ。この位置だな。一端刺したら、足を使ってもう一度深く刺せばいい。それでリードルは逃げられない」
タコは刺したことがあるけど、巻貝は初めてだな。毒槍を伸ばすからこんな銛を使うんだろうが、それにしても海人さんは何であんな銛を作ったんだろう。
「漁は3日行われる。最後の日に、大きなリードルが姿を現すのだが、そいつは2倍以上大きいんだ。2人掛かりで何度か挑んだらしいが、やはり無理があるらしく何年かに1度は犠牲者が出たようだ」
「そいつを狩れるなら金貨1枚だからなぁ。俺だって狙いたいけど、小さい奴を刺した方が効率的だ」
この物干し竿を海人さんは使ってたのか……。カイトさんが使っていた銛をそのまま渡してくれたということは、トウハ氏族でこの銛を使うことができたのは海人さんだけだったということなんだろう。
トウハ氏族の宝物とも言えそうだ。それだけ俺に期待しているんだろうけど、果たして期待に副うことができるだろうか?
「震えが来ますね。相手を見るまでは何とも言えませんができるだけのことはしてみます」
「そうだ。それが一番だからな。素潜り漁に無理は厳禁だが、尻込みするようでは獲物を突けん。常に自分の最善を出すように、それを高められるようにすることが肝心だ」
矛盾するような教えだが、海人さんも似たことを言ってたっけ。
『潜れることと、銛を使うことは違うんだ。この2つを上手く結びつけるのが難しいんだよな』
海人さんは2分以上潜っていられる強靭な心肺能力を持っていたけど、俺は精々1分半というところだ。たかが30秒、されど30秒……。それだけ海中での動きに差が出てしまう。
そんな話を海人さんに伝えたら、さっきの話をしてくれた。素潜り漁は長く潜れれば良いということではないと教えてくれたんだろう。
「どうした?」
「はい、少し昔のことを思い出してたんです。俺に銛を教えてくれたのは海人さんなんですが、似たような話をしてくれたと……」
下を向いて考え込んでいたためだろうか?
グリナスさんが心配気に声を掛けてくれた。
理由を説明すると、オルバスさんまで頷いている。その心境が分かったんだろうか。
「カイト様は我等とは異なる世界からやって来たと聞いたことがある。アオイも似たような境遇なのだろう。カイト様とは年代が合わぬが、カイト様の言葉として聞いても納得できる心得だ」
「俺には長く潜れることが大事に思えるけど?」
「それだけではダメだな。さらに素潜りの回数を増やせば、やがて見えてくるぞ」
グリナスさんが俺を見ながら頷いているから、後で俺に尋ねることを考えてるに違いない。
世話になっている以上、俺に分かる範囲では教えられるけど、グリナスさんの方が色々と知ってる気がするな。
次の漁から帰って来た時には、商船が石の桟橋に停泊していた。
何度か頂いた硬貨をナツミさんと見比べて、俺達が持っていた硬貨と同じものだと確信したところで、俺達も魔法を手に入れることにした。
「オルバスさん。俺達はいくらかの貯えを持っています。この銀貨と金貨はこの辺りでも使えるのでしょうか?」
甲板で胡坐をかいてパイプを楽しんでいたオルバスさんの前に3枚の硬貨を並べると、その硬貨を一目見るなり「使える」と教えてくれた。
「金貨を何枚か持っているなら、来年にはカタマランが手に入るだろう。金貨7枚が相場だが、改造すれば大銀貨が2、3枚は余分にいるだろう」
「まだまだ時間が掛かりそうですから、しばらくは厄介になります。それで、俺達が商船に行っても問題は無いでしょうか? 魔法を手に入れようと考えてます」
「俺達の漁には魔法は必需品だ。いずれ自分の船を持てるとしても、早めに手に入れた方がいいだろうな」
ついでにどんな物が並んでいるのかを見てこよう。
許しが出たところで、夕食後に商船にナツミさんと出掛けてみる。
石を積み上げた桟橋は海上に50mほど突き出していた。横幅は3mほどあるから、一輪車を使って村の保冷庫から燻製にした魚を運ぶのも楽に違いない。
商船は2階建てで長さが30mほどもある。前半分を桟橋に横付けして停泊していた。
「中々大きな船ね。見て、前はガラス張りよ」
「色々売っているみたいだ。賑わっているね」
そんな感想を言いながら、商船に掛か横板を渡る。
商船の扉を開けると、店員とネコ族の女性達の声がにぎやかに聞こえてきた。
トリティさん達もこんな感じで品物を買い込んでるのかな?
店内の品揃えを見ていた俺達に、商船の店員が声を掛けてくる。
「何をお探しでしょうか? この場に無い場合は次の便で仕入れてまいります」
少し歳の行ったお姉さんは、俺達と同じ人間に見えるけど俺達と同じなんだろうか?
東洋系の顔立ちをした黒髪、黒い瞳だけど……。
ジッとお姉さんを見ていたら、ナツミさんに肘で突かれた。ここは早めに要件を言った方が良さそうだな。
「実は、魔法を手に入れようと。商船に行けば手に入ると教えていただいたもので」
「はい。神官様が乗船しております。こちらにどうぞ」
お姉さんの案内で店の奥に向かう。船尾方向に続く通路を進んだ先にある扉を叩いて、中からの返事を聞いたところでお姉さんが扉を開けた。
「こちらの、お2人が魔法を得たいとの事です」
「それはそれは、こちらにどうぞ」
40歳を過ぎた感じだな。俺のお袋の年代にも見えるけど、こっちの神官様の方がずっと優しい目をしている。
「え~と、【クリル】と【アイレス】をお願いします。1つ銀貨3枚と教えられましたが、それでよろしいのでしょうか?」
「それで結構です」
気が変わらないうちにと、ナツミさんが腰に付けたウエストバッグの中から銀貨を12枚取り出した。
何も言わずに銀貨を、部屋の机に上にある木箱の中に入れると、俺達の前に近づいて詠唱を始める。
最後に30cmほどの装飾が施された短い棒で俺達の肩を片方ずつ叩く。
俺が終わったところでナツミさんの前に移動して同じことを始めたけど、これで魔法が使えるのだろうか?
なんとなく、疑問が残るんだけど……。
「これで使えるはずです。肩に魔道紋が描かれたはずですが、小さなものですから気にはならないでしょう。こちらの男性は1日に8回、女性の方は12回の使用ができますよ。試しに、このインクを手に付けて、【クリル】を使ってください。清浄にある対象を思い浮かべて【クリル】と呟くだけで発動するはずです」
確かに、試してみた方がいいだろう。でないとサギにあった気がする。
言われた通りにインクを手の平に一滴落として、【クリル】と呟いてみた。まるで魔法のようにインクの汚れが消えてしまった。魔法のようだから魔法なのかな?
隣を見るとナツミさんも吃驚している。俺に顔を向けて頷いているから納得したということなんだろうな。
改めて神官さんに頭を下げると、俺達は商船を後に帰路についた。




