第2話 天啓の儀
夜明けの鐘が三度、澄んだ音を響かせた。アークロストの村では、年に一度の祭が始まろうとしていた。
それは“天啓の儀”――十歳を迎えた子どもたちが神の前に立ち、その運命を授かる日。
冬の終わりを告げる雪混じりの風が吹き、教会の前の広場には朝靄が漂っていた。
セノは質素な礼服を着て、村人たちの列に加わっていた。
黒髪を覆うために頭巾を被っているが、それでも時折、周囲の視線が突き刺さる。
「本当に来るのか、あの子が」
「神の怒りを買わなきゃいいが」
小声の囁きが、靴音とともに耳に残る。
セノは目を伏せた。けれど、その隣に立つクレアは、少しも怯まなかった。
「大丈夫。セノはセノだもん。どんなギフトでも、きっと素敵な意味があるよ」
その言葉は、冬の空気よりも温かかった。
儀式は村の小さな神殿で行われる。
古びた石柱の間に、聖火が灯り、長老が祈りの詩を朗読する。
「天の神よ、地の神よ、今ここに立つ子らに、その加護と導きを与え給え」
低く響く声が、石壁に反響した。
まず最初に、クレアの名が呼ばれる。少女は一歩前へ進み、祭壇の前で膝をついた。
青い光が彼女の胸に集まり、やがてまばゆい剣の形を成す。
「……剣聖のギフト」
長老が息を呑み、神殿がざわめきに包まれた。
聖なる剣の加護を授かる者は、百年に一度現れるかどうかの奇跡。
村人たちの歓声が響く。
「バーゼント家から剣聖が!」
「これでアークロストにも光が戻る!」
クレアは戸惑いながらも笑みを浮かべ、セノの方を見た。
その瞳に宿る光は、確かに希望の象徴だった。
そして次に、セノの名が呼ばれる。場の空気が一変する。
彼はゆっくりと前に進み、祭壇の前に立った。冷たい石床が足の裏から伝わる。
「セノ・アークロスト。神よ、この子に天啓を」
長老が祈りを捧げ、聖火が小さく揺らいだ。しばしの沈黙。
やがて、セノの周囲に淡い青の光が浮かぶ。
しかし、その光は他の子どもたちのように輝くことなく、弱々しく消えていった。
「……氷、属性?」
「それだけか?」
長老が眉をひそめ、村人の間にざわめきが走る。
「氷魔法の適性。以上だ」
その宣告は、まるで死刑宣告のように響いた。
氷属性は、火や雷と違って攻撃にも防御にも中途半端とされる。
しかも、魔力の総量が極めて少ないセノにとっては、ほとんど意味を成さない。
「無能のギフトか」
「辺境伯家の恥さらしだ」
押し殺した声が、神殿のあちこちから漏れた。父は唇を固く結び、母は目をそらした。
クレアだけが、必死にセノの名を呼んだ。
「セノ! 気にしないで! どんなギフトだって、使い方次第で――」
けれどその声も、人々の喧噪に掻き消された。
セノは小さく笑い、祭壇を離れた。
「……そっか。俺には氷、か」
掌を開くと、そこに小さな氷の欠片が生まれた。けれど、それはすぐに溶けて消えた。
儀式が終わる頃、村の空には淡い雪が舞っていた。
クレアは外でセノを探し回り、丘の上でようやく見つけた。彼は一人、膝を抱えて座っていた。
「セノ……」
「クレア。剣聖、おめでとう」
「そんなこと言わないでよ。私は――」
「いいんだ。君はきっと立派な剣士になる。俺はその姿を見てるだけで十分だよ」
「でも、セノは……」
言葉を探す彼女の前で、セノは空を見上げた。
「氷ってさ、不思議だよな。冷たくて、触れると痛いのに、光を集めると綺麗に輝く」
「……セノ」
「俺も、そんなふうに生きられたらいいなって思うんだ」
彼はそう言って笑った。けれど、その笑顔の奥にあるものを、クレアは読み取ることができなかった。
その日を境に、二人の距離は少しずつ離れていった。クレアは剣の修練に励み、王都の騎士団からも声がかかるようになった。
一方、セノは村の片隅で、ひとり氷の魔法を試す日々を過ごした。
何度やっても氷の刃は折れ、魔力はすぐに尽きる。
「どうして、俺だけ……」
そんな呟きが、冷たい風に溶けていった。
夜。村の灯が一つ、また一つと消えていく中で、セノは窓辺に座っていた。
手のひらに、ほんのわずかな氷の花を作る。
それは、かつてクレアに渡した花と同じ形をしていた。
――誰かに笑われても、構わない。
――いつか、誰かを守れるほど強くなりたい。
その願いは、まだ幼い心の奥に、静かに灯っていた。
しかし、その願いが叶うまでには、あまりにも多くの時間と痛みが必要だった。
このときのセノはまだ知らない。
自らの中に眠る力が、やがて世界を揺るがす“氷葬”の因子であることを――。




