記憶を辿っても
母親の味と言われるものが、私には分からない。
テレビでは、芸能人がずらりと並べられた料理を前にして、
「これは母の味だ」と言い当てる企画をやっていた。
煮物、カレー、ハンバーグ。
どれも見慣れた色と形をしている。
解説では、市販のルウや調味料を使っている家庭がほとんどだと言っていた。
それでも彼らは迷いなく皿を指差す。
一口食べただけで、分かるらしい。
本当にそんなものがあるのだろうか。
母親の味、という固有名詞のような何かが。
私の家にも台所はあった。
冷蔵庫もあったし、鍋もフライパンも揃っていた。
夕飯も、特別ではないけれど欠かさず用意されていた。
それなのに、思い出そうとしても、味が浮かばない。
美味しかったか不味かったかも、正直よく分からない。
ただ食べて、片付けて、次の日になっていた。
それだけだ。
みんなは「分かる」と言う。
あの匂いで思い出すとか、
あの味付けだけは真似できないとか。
まるで共通言語のように語られる。
私は、その会話の外側にいる。
分からないと言うと、少し困った顔をされる。
可哀想だね、と言われたこともある。
でも、可哀想なのかどうかも、私には判断できない。
母親の味が分からないからといって、
何かが欠けている実感があるわけでもない。
ただ、話題についていけない瞬間が、時々あるだけだ。
もしかしたら、私が少数派なのかもしれない。
あるいは、みんなが言っている「母親の味」は、
味そのものではなく、
安心とか、記憶とか、
もう戻れない時間のことなのかもしれない。
そうだとしたら、
分からないのではなく、
思い出せないだけなのだろう。
テレビの中で正解の皿を当てた芸能人が、
少し照れたように笑っていた。
私はその笑顔を見ながら、
冷めかけたご飯を、黙って口に運んだ。




