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091割れた壷事件05

「やあ、捜査は進んでいるか?」


 校長室の教卓に資料を並べ、前谷校長は笑顔で俺たちを出迎えた。壷だった破片はすっかり片付けられている。


「それとも、もう事件を解決したのか?」


「はい、校長」


 純架はいつになく冷ややかだ。校長はまばたきした。


「ほう。それで、犯人は誰だったんだ?」


 純架はゆっくり校長に近づく。両手を大きく広げて教卓につき、前傾姿勢で言い放った。


「あなたですよ、前谷翔一郎校長。あなたが壷を割った犯人です」


 数秒のときが何分にも感じられた。校長は苦笑した。


「何だ、冗談きついな、桐木君。なぜそんなでたらめな結論に達したんだ? 良ければ教えてくれ」


「すっとぼけますか」


 純架は残念そうに身を戻すと、ソファに腰を下ろした。


「なら全てお話しましょう。校長、あなたは毎日昼休み、窓の外から来る野良猫に餌を与えていたんです。ほぼ日課のようにね。それは孤独な最高権力者の、学校における唯一の安らぎだった。しかし日頃教師や生徒に『野良猫に餌を与えるな』と注意していた手前、ばれるわけにはいかない。だから昼休みになるたび校長室に一人閉じこもり、鍵までかけて、校舎裏の野良猫を招き入れていたんです。既に餌付けされていた野良猫は、今日も嬉々として校長室の外を訪問していた。その足は雑巾で拭いたんでしょう」


 校長の顔は笑みを失った。構わず純架は続ける。


「しかし今日の昼休み――の少し前――校長室に上がりこんで餌を食べていた野良猫は、校長が目を離した隙に、誤って壷の中に入ってしまいました。校長は野良猫を救出すべく手を尽くしましたが、どうにもうまくいきません。困り切った校長は、最後の手段としてハンマーか何かを持ち出し、30万円の壷を惜しみなく割りました。内部の猫が怪我しないよう万全を期したのでしょう。これで猫は救出され、壷の破片は棚の上に少し残ったのです」


 純架は一息入れた。その目は射抜くように校長へ向けられている。


「そして校長は半壊した壷を床に叩き付け、完全に割った。何故そんなことをしたか? 答えは簡単です。僕らの、『探偵同好会』の実力を試したかったからです。校内新聞で僕らの存在を知っていた校長は、好奇心の赴くまま、この『割れた壷』事件を『探偵同好会』に預けた。解けるものなら解いてみろ、と上から目線でね。窓枠の泥の足跡は、いったん窓の外へ出て片足だけ泥水に浸した後、それで踏みつけたのでしょう。もちろん靴裏の汚れは雑巾で拭き取ったに違いありません。そんなわけで、当然警察に届け出る必要はなかった。壷を割ったのは校長本人だからです」


 純架は懐から封筒を取り出し、逆さにして中身を落とした。


「この白い毛は野良猫の体毛だったんですね。……それにしても校長、あなたの迫真の演技は素晴らしかった。もう少しで完全に(だま)されるところでした。真っ白の容疑者を五人も挙げて、僕らを惑わそうとした辺りは特にね」


 胸に手を当てる。


「以上がこの事件の全貌です、校長」


 校長はくつくつと笑いを噛み殺している。


「見事だ。なるほど、確かに『探偵同好会』などと名乗るだけのことはある」


 組んだ両手を机上に置いた。


「そう、その通りだよ、桐木君に朱雀君。正解だ。わしは君らを試した。そして期待以上の結果を見せてもらった。いや、まったく天晴(あっぱ)れだ」


 教卓の引き出しから一枚の白い紙を取り出す。


「部活動申請書だ。謎を解いたことへの褒美(ほうび)として、規定の10人に満たなくても部活動認定しよう。何、校長の肝入(きもい)りなら誰も逆らえまい。どうだ?」


 純架が答えるより早く、俺が激発した。


「校長、ふざけないでください。俺たちの実力を試す? そんなくだらないことで俺たちを引っかき回したんですか? それだけでもいい加減むかつくのに、その上何の反省もなく親切を装ってすり寄ってくるなんて、馬鹿にするにも程があるでしょう!」


 校長は俺の剣幕にたじろいだ。純架が同意する。


「校長、規則は規則で、逸脱は許されません。6人で探偵部と認めてもらっても、僕らは嬉しいどころかかえって迷惑に感じます」


 それに、と純架は言った。


「薄情のようですが、金輪際野良猫に餌を与えないでください。皆で決めたルールを守ってください――高い壷を逡巡なく壊せるほど猫好きなのは分かりましたから。さもなければ真相をばらしますよ」


 校長は不機嫌の塊と化している。


「なんだ、せっかくの親切心を裏切って……。もういい、二人とも帰るがいい」


 最後まで上から目線だった。こいつのような人間が校長であることを、俺は恥じた。悪印象。




 完全に日が沈んで、月が煌々(こうこう)と光を放っている。俺と純架は電車に乗り、並んで吊り革に掴まっていた。ラッシュの時間帯だがぎゅうぎゅう詰めとまではいかない。純架が悔しそうにつぶやいた。


「本当は部活動認定、惜しかったけどね。でもしょうがない。楼路君の怒りももっともだからね」


 純架にとっては垂涎(すいぜん)の提案だったのだろう。悪いことをしたかな、と俺は軽く(かえり)みる。純架はそれに気付かず苦笑した。


「ただ、今朝お婆さんを助けた僕らも、野良猫に餌を与えていた校長も、規則を破ると知っていながらそれが善行であると疑わなかった。あまり人のことは言えないよ」


 決められたルールを順守するか、逸脱するか。悩むところは皆同じだ。


 流れゆく景色に答えが書いてあるとでも言うように、純架は飛び去る町並みを飽くことなく眺めているのだった。

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