074廃校の恐怖事件03
「ああ、驚いた」
奈緒は2階の入り口で胸を押さえて息を整えている。
「あの女の子、誰だったのかしら」
「たぶん相良さんだと思うけど。声が似てるし」
奈緒が俺を見上げた。
「綾ちゃん? そうね、そう言われればそんな気がするわ」
目を閉じ腕を組む。
「あんまり喋らない、大人しい子だと思ってたのに……。人は見かけによらないものね」
俺はちょっとした挑戦として、自分から奈緒の手を取った。奈緒が目を開き、こちらを見る。暗黒のせいでその表情をうかがい知ることは困難だったが、嫌がってはいないようだ。俺は拒否される前に強引に引っ張った。
「行こう、飯田さん」
「う、うん……」
2階は1年生の教室が並んでいるらしい。室名札のない空き教室らしきものから廊下はスタートした。
と、思うや否や……。
「ひっ」
俺は情けない声をもらした。冷たくやわらかいものが、俺の首の後ろに張り付いたのだ。奈緒がぎょっとする。
「ど、どうしたの?」
空き教室のドアに光を向けると、隙間から三好が釣竿で何かを宙に遊泳させていた。
「よっ、朱雀。びびったかい?」
「コンニャクかよ」
うなじに触れたものの正体は、分厚い濡れたコンニャクだった。これを釣竿で操り、俺を驚かそうとしたわけだ。
「古臭い手を使いやがって……」
奈緒に格好悪いところを見られてしまった。俺は闇のおかげで、羞恥に紅潮した顔を隠せてほっとする。奈緒を先へとうながした。
俺と奈緒は風雨に汚れた床を踏み締めていく。1-D、1-Cの教室は何もなかった。この『もったいぶる感じ』はどうにも嫌なものがある。脅かすなら脅かすで、さっさと出てきてほしい。つい驚いてしまったさっきの屈辱が、俺をいら立たせてそんな思考に追いやっていた。
懐中電灯の光が赤い物体を照らし出す。
「またコーンだ」
1-Bの教室の廊下に、三角のコーンが三つ鎮座している。室内を通過しろ、というわけだ。
「怖いよ、朱雀君」
「大丈夫。何も起きないよ」
我ながら説得力のかけらもない。俺たちはおずおずと1-Bに入っていった。
と、その刹那。
「何だ?」
俺は裏返った声を出してしまった。窓際に突如青白く燃え上がる物体が出現したのだ。それは拳大の大きさで、空中を上下左右に揺らめいている。
「ひ、人魂だ!」
「きゃああっ!」
奈緒が悲鳴を上げる。俺と彼女はもつれ合うように駆け去り、反対側のドアから廊下へと抜け出した。
苦行の終わりでもある職員用階段が見えてくる。その直前、1-Aの教室の脇に何か置かれていた。光を当ててみる。
「棺桶か?」
ダンボール製で、いかにも手作り感丸出しの滑稽な棺。中に人が入るには十分なサイズだ、と思っていたら……。
いきなり蓋が開き、ゾンビがわめきながら襲いかかってきた!
「わああっ!」
「いやあっ!」
と思いきや、ゾンビの――ではなくゾンビメイクの――少年は、おかしそうにくすくす笑った。夏季限定の金髪で額が狭い。純朴そうな瞳は緑がかって、見るものは魂を吸い付けられるようだ。
「やあ、驚いてくれたね。朱雀君、飯田さん」
所塚翔だった。普段存在感のない彼は、さも面白げに笑いを止めない。
「僕が最後のイベントだよ。クリアおめでとう」
「ちっ、やられたな」
俺は反応してしまった自分を恥じた。奈緒がへたり込んでいる。
「行こう、もう終わりだよ、飯田さん」
「腰が抜けて……」
余りの恐怖に心が挫けたのか、しゃがんだまま動かない。俺は肩をすくめると、彼女の腕を後頭部にかついで無理矢理抱き起こした。
「朱雀君、ごめんね」
「いいさ」
俺たちはよろめきながら職員用階段で1階に降り、スタート地点兼ゴール地点の職員玄関へと帰ってきた。待ち構えていた久川他クラスメイトたちが拍手で迎える。
「大丈夫ですか、奈緒さん」
日向が半泣きで奈緒を抱きとめる。奈緒が彼女を杖代わりにどうにか足を踏み締めた。
「気をつけて、日向ちゃん。予想以上に怖かったわ」
久川がさえぎる。
「おっと、中で何があったかは喋っちゃNGだぞ。どうしても話したければ、クリアした者同士、小声で話し合え。まだこれからって奴らがいるんだからな」
英二に邪悪な笑みをひらめかせる。
「三宮、次はお前と菅野さんのペアだ。行ってこい」
英二は蒼白な顔に引きつった笑いを浮かべた。
「ふ、ふん、何が肝試しだ。お笑いぐさだ。こんなもの、すぐさま突破してきてやる」
「では参りましょう、英二様」
英二と結城の組が玄関奥の廊下に入っていく。俺は彼らの――というか、英二の絶叫が何度も校内に響き渡るのを耳にした。
10分後、英二は心身虚脱状態で、結城におんぶされて戻ってきた。失禁しなかっただけまだましというべきだろう。目は真っ赤に泣き腫れ、唇は戦慄の名残で震えている。黒服たちが駆け寄り、まるで病人のように介抱を始めた。
「次は桐木・辰野ペアだ」
純架は彼にしか見えないサッカーボールをリフティングしていた。
本人次第で永遠に続けられるだろ、それ。
「じゃあ行こうか、辰野さん」
日向は潤んだ瞳で純架を見上げた。
「どうしてもチャレンジしなきゃ駄目なんですか?」
「いったん承諾した以上はね。何、すぐ終わるさ。僕の後ろに隠れてていいから、さっさと済ませてこよう」
日向は観念したかのようにうなだれた。
「……しょうがありません。行きましょう」
懐中電灯を握り締めた純架は、震える日向を背後に従えながら、真っ暗な廊下へと消えていった。
すぐさま日向のものである悲鳴が静謐を貫通する。可哀想に……
俺はようやく己を取り戻し始めた英二に耳打ちした。
「どうだ英二、何が一番怖かった?」
英二は強がる。
「別に。どれもこれも笑殺ものだ。俺は肝試しなんてくだらないものを創始した奴が憎たらしいね」
「まあそういうなよ。それにしても人魂は凄かったな」
「ああ、あれな。青白い、本物みたいな完成度だった」
そこで聞き耳を立てていた玉里さんが目をしばたたいた。
「人魂? そんなもの、私たちのときはなかったわよ」
「え?」
小平が小さな声で同調する。
「俺も見てないぞ、人魂なんて」
俺と英二は彼らを見た。嘘をついているようには見えない。
「じゃ、じゃああの人魂は……?」
「本物の幽霊……?」
俺たちは顔を見合わせ、血の気の引いた相手の表情を確認するに至った。
そのときだ。
この世のものとは思えぬ、異様な声が横断したのは。
「な、何だ?」
恐らく女性のものと思われる、呪詛のような不気味なうなりが聴こえる。それはこの世の生きとし生けるものに対する怨念に凝り固まっていた。全てを知っているはずの久川が明らかに動揺している。彼の計画の内にこの女の声は収まっていないらしい。
うめき声は1分ほども続いた。それが消え去ると、後にはすっかりすくみ上がった久川と、緩やかな恐慌に陥る生徒たちが残された。
「もう帰ろうよう」
おびえきった女子たちからの要請に、久川は答えなかった。どうやら予期せぬ真の異常現象に肝を潰してしまったようだ。
「き、気のせいさ。気のせい……」
その直後だった。
耳をつんざく破裂音が発生した!
「わっ!」
「きゃあっ!」
職員玄関にたむろする人々が、虫の音を圧して一斉に悲鳴を上げた。英二は耳を塞いでうずくまり、久川は余裕なく顔を引きつらせた。
「ま、まさか俺たちに対して、この学校の幽霊が怒っているんじゃ……ないよな……」
最後は聞き取りにくいぐらい声が痩せ細っていた。




