066118の鍵事件03
奈緒は仏頂面だ。
「あのツインテールの子の着替えは入ったままだったわ。でも服だけ。スマホや財布とか、貴重品は入っていなかったわ」
純架は腕を組んだ。
「やれやれ、まだ帰ってないと見るべきか。それとも……」
英二が提案した。
「とりあえずプールの運営に頼んでアナウンスしてもらえ。鍵が入れ替わったから届け出て来い、ってな。まだプールにいるなら反応があるはずだ」
純架は賛成した。
「そうだね、そうするべきだね」
奈緒は暗い前途に無念のため息をついた。
「何でこんな目に遭わなきゃならないの……」
そして十分後、奈緒の申請を受けて場内のスピーカーからアナウンスが響き渡った。
『お客様の中で女子更衣室のロッカーの鍵を取り違えた方はいらっしゃいませんか? お手持ちの鍵が118番の女性の方、118番の女性の方。事務所までお越しください』
優しく、かつよく聞き取れるアナウンスの声だった。さあ、ツインテールの少女は現れるか?
純架は奈緒に対し、ビートたけしの物真似で「ダンカン! ダンカンこの野郎!」と口走った。
お前ホントそれ好きだよな。
5分が過ぎ、10分が経過して、20分が無為に流れた。それでも少女は現れない。
「不発か……」
英二が達観した老人のような声を出した。
純架はあごをつまんだ。
「何となくこの一件の様子らしきものはうかがい知れると思う」
「ほう、と言うと?」
純架は俺たちに正面を向いた。
「少女は最初から隣のロッカーの使用者と鍵を入れ替えるつもりだったんだ。この場合は118番の飯田さんだね。彼女は飯田さんが118番を使っているのに近づき、自分も113番を使い始めた。その際黒マジックで数字を足したんだ。『118』に見えるようにね。そしてタイミングよく着替え終わった飯田さんにぶつかり、上手い具合に鍵のリストバンドを弾き飛ばした。そして素晴らしい手管で自分のリストバンドと飯田さんのそれとを入れ替えた。飯田さんは気付かず、そのまま偽の『118』の鍵を携えて更衣室を出てしまった……」
奈緒は茫然自失の体だった。
「あの子がそんな真似したの?」
「いや、もちろんこれは僕の想像さ。さて、飯田さんを見送った少女は、本物の118番の鍵によって相手のロッカーを物色し始めた。何せ監視カメラのない女子更衣室だ。周りに気付かれることなく楽勝で事を行なえただろう。目的はもちろん金目のものを奪うため。きっと少女は飯田さんの財布を手に入れただろう。擬態に使った衣服は113番に残してあるが、もちろん実際に使った本当のロッカーは別に用意してある。その鍵は取り付けたままか、水着の下に隠し持っていたんだろう。少女はそれで本来の衣服や貴重品を身につけ、113番の幻惑用の安い衣服など目もくれず、悠々プールを後にした……」
奈緒は憤死寸前だった。
「ちょっと! それってひどくない? 私のお金返してよ!」
純架の肩を掴んで強引に揺さぶる。純架は回転力を失ったこまのように頭を振り回されながら抗議した。
「だから、これは僕の妄想だって……」
奈緒は純架を投げ捨てると、俺を追い詰めるように近づいてきた。
「朱雀君、何とかしてよ! 私の財布、取られちゃったのよ!」
俺はたじたじとなった。
「いや、俺に言われても……。そうだ」
俺は拳で平手をスタンプした。
「運営の人に頼んで118番の鍵を開けてもらおう。それがいい。金目のものも、もしかしたら残っているかもしれないし」
「そうね……そうしよう」
憤怒のオーラを発散させながら、奈緒は事務所に直進した。
二十分後、奈緒のロッカーである118番の鍵は、業者の手で開錠された。50代のおばさんが担当したという。俺たちの元に結果を持ち帰ってきた奈緒は、それだけ喋ると、身も世もないほど嘆いた。
「ない……」
たった二語の報告だったが、それだけで十分意味は了解された。純架が気の毒そうに確認する。
「財布がなくなっていたんだね、飯田さん」
「うん……。着る物は残ってたんだけど」
英二が笑った。
「どこにでも運の悪い奴はいるもんだ。飯田は気が強いが、これで少しはしおらしくなって、もっと女らしくなるんじゃないか」
「何よその言いぐさ」
純架は両手を組み合わせると、大きく伸びをした。
「もうプールなんて気分じゃないね。帰ろうよ。僕がおごるから、飯田さん、食って食いまくって鬱屈を発散させればいいよ」
「嫌よ。太るし」
「あらら」
奈緒は顔面を朱に染めた。
「私、決心した。警察に届け出る。これって立派な窃盗だもの。許さないんだから」
英二が部外者を装って賛成した。
「いいぞ、やれやれ」
と、そのときだった。
「あっ!」
どきりとするほど大きな声で、奈緒が一方を指差した。俺たちはその視線の先を辿る。
そこにはツインテールの少女――犯人がワンピースの私服姿で立っていたのだ。
「あなた! 泥棒! 卑怯者! 馬鹿!」
奈緒は乏しい語彙で少女を罵りつつ、そのそばに駆け寄った。肩を掴んで引き寄せる。
「私の財布! 返してよ! 3万円も入ってたのに!」
少女は苦しそうに顔を歪めた。純架が奈緒の腕に背後から手をかけ引きはがす。
「落ち着いて、飯田さん。……君、名前は何て?」
娘はいきなりの暴力に心身ともに面食らい、しばし咳き込んだ。ようやく落ち着くと、涙目で話す。
「私は奥山瑞穂です。これを返しに来ました」
そういって差し出した腕に、これは本物の「118」の番号が刻まれたリストバンドが巻かれていた。
「今更そんなものいらないわよっ!」
奈緒が怒りを増幅し、自然に生息する猿のように、瑞穂をかきむしろうと両手を伸ばす。純架は苦笑しつつ、彼女を羽交い絞めにして後退した。
代わって俺が相手する。不用意に傷つけないよう、出来る限り優しい声音を出した。
「君、飯田さんの財布を盗んだのか? 118番ロッカーの……」
「はい。ごめんなさい」
茶色の財布を取り出す。純架をもぎ離した奈緒が、ひったくるようにそれを奪った。急いで中身を――札入れを検める。
「ないじゃないのよ!」
三枚の一万円札はどうやら抜き取られていたようだ。純架が中腰になって瑞穂と視線を合わせた。
「やっぱり飯田さんのリストバンドをすり替えたんだね」
「はい」
俺はうなった。純架の推理は正しかったのだ。
「君が考えたのかい? それとも誰かに指図されたのかい?」
瑞穂は申し訳なさそうにうつむいて、親指をこすり合わせた。愛が彼女の肩に手を載せる。
「名乗り出てくれて嬉しいけど、全部話してくれなきゃかえって困るよ。みんないい人たちだし、ひどい目にあわされたりしないから、ね?」
さすが同年代。瑞穂は愛の目を見つめると、踏ん切りをつけたように俺たちに正対した。
「ではお話します。私には18歳の兄がいて、名前を奥山弘一と申します。この兄が今回の計画を立てました。兄は自堕落な人間で、苦労せずお金を手に入れることばかり考えていました。そして『3』と『8』が似通うこのプールの鍵に着目し、私を使って窃盗を実行したのです。それは上手くいきました」
奈緒がいまいましげにつぶやく。
「そうね、まんまと騙されたわ」
瑞穂は両手を組み合わせた。
「しかし今回初めて兄に加担した私は、彼がプールから立ち去っても、自分はなかなか動けずにいました。良心の呵責に耐えかねたのです。場内アナウンスを聞きながら、名乗り出るべきか、このまま逃げるべきか、葛藤し続けました」
純架が微笑した。
「それで、とうとうここに来てくれたんだね」
「……はい。やっぱり悪いことはできません。自分が得するために誰かを犠牲にするなんて、あってはならないことです。後で殴られるかもしれませんが、兄の間違いを正すためにも、犠牲になった方にお詫びするためにも、こうするのが最良と考えました」
「素晴らしい勇気だ」
純架は誉めそやした。胸に手を当てて俺にウインクする。
「以上がこの事件の全貌だよ、楼路君」




