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060バーベキュー事件02

「うわあ……」


 前方を歩いていた奈緒が立ち止まり、感嘆の声を自然に発する。


 木々の間を抜けて出たのは、白い石ころが敷き詰められた、天然の極致というべき河のほとりだった。森林を左右に切り開いたようなそれは、大小も形態も様々な岩石で組み上げられ、秘境としての圧倒的な景観を誇っている。


 そしてその中に、バーベキューコンロ、鉄板、トングなどの道具が、タフワイドドームテントと共に鎮座(ちんざ)していた。


「ボウルやまな板、包丁などはテントの中にしまってあります」


 沢渡さんが説明する。俺は荷物を脇に置くと、長く車で揺さぶられた体を伸ばして活力を取り戻した。


「見て、魚が泳いでるよ!」


 奈緒が河岸で水面を指差している。やがて彼女は河の縁にひざまずき、そっとその流れに手を浸した。


「冷たっ。こりゃ泳げないね。水着持ってきてないけど」


「撮りますよ、奈緒さん」


 早速日向が写真撮影に踏み切った。奈緒が肩越しに笑顔を見せる。微笑ましい光景だ。


「このコンロ、引き出し式だ」


 純架が炭を楽しそうに入れている。網を持ち上げる必要がないようで、なかなか便利だ。


「火は僕が点けるよ。楼路君と三宮君は釣りでもしてきたまえ」


 純架はチャッカマンを手に格闘を開始した。とにもかくにも火がなければ始まらない。まな板で野菜を切り始めた結城を尻目に、俺と英二は釣竿とバケツを持って下流に向かった。


「しかしこんなに道具が用意されてるって結構凄いな。誰かに盗まれる事態とか考えなかったのか?」


 英二は薄く笑った。


「ここは三宮財閥の要人しか知らない場所だ。俺たち以外誰も来ない。なんなら裸踊りでもするか、朱雀? どんな痴態(ちたい)でもし放題だぞ」


「するか!」


 やがて川幅が広い場所に出た。ここならいいか。俺は足を止め、周囲の景色で目をなごませた。ふと足元を見る。長年の流水にまん丸に削られた石を見つけた。本当に球みたいだ。


「おい見ろ三宮、この石、まるで野球のボールみたいだ」


 三宮はそっぽを向いた。


「だからどうした。しもじもの者はくだらんことで喜ぶんだな」


 散々な言いようだ。俺は持ち帰って奈緒に見せようと、石をポケットに忍ばせた。改めて河を見やる。


「よし三宮、競争だ。どっちがでかい魚を釣るか、いっちょ勝負といこうじゃないか」


 せっかくの遊びだ、楽しまなければ。そう思ってふっかけたのだが、


「嫌だね」


 英二の返事は即断だった。


「というか、さっきから何だ、お前。俺になれなれしく話しかけるな」


 英二の態度は氷のようだ。俺は少し苛立った。


「何だよそれ。せっかく仲良くなろうとしてんのに」


 英二は冷笑した。


「なんで俺が貴様と仲良くならなきゃいけないんだ? 今は確かに友達がいないが、選ぶ権利は俺の側にあるんだぞ」


「俺と親睦(しんぼく)を深めたくないってか?」


「ふん、こんな遊びで親睦が深まるものか。親睦ってのは、結城みたいに、命を差し出す覚悟で向き合って初めて深まるものだ。……お前らは勝手に上っつらで騒いでいるだけだ、くだらない」


 何だこいつ、勝手なことをまくしたてやがって。


「あっそ。じゃあいいよ、俺が一人で頑張るから。話しかけんじゃねえぞ」


「そうしてろ」


 俺は不機嫌になって釣り針を河に沈めた。



 山の天候は変わりやすいというが、本当だった。さっきまで雲ひとつない晴天だったのに、いつの間にか天蓋(てんがい)を覆った雲が徐々にその濃度を増してきている。


「一雨来るかな」


 三十分足らずの間に俺はイワナを三匹釣っていた。一方英二はボウズだった。勝った。


「そろそろ引き上げるか」


 英二は空のバケツを不機嫌そうに掴みあげると、釣竿を担いで純架たちの元に引き上げていった。俺も後に続く。敗北感に打ちひしがれた英二の背中を見て満足するのは、俺の性格の悪さゆえか。


「英二様! こちらにおられましたか」


 沢渡さんが早足でこちらへやってきた。


「雨が降りそうです。近くの森に三宮財閥が建てた山小屋があって、そちらなら雨宿りもできるでしょう。長年使われていませんが、今日未明に確認してあります」


 そういって森の一方を指差す。英二は足を止めた。


「他の連中は?」


「火を起こしたので肉や野菜を焼いています。雨が降ってから考える、と桐木さんはおっしゃってました」


悠長(ゆうちょう)なことだ」


 英二は肩をすくめた。そういえば香ばしい匂いが川風に乗ってこちらに漂ってきている。俺はバーベキューのために朝飯を抜いてきていて、微弱ながらしっかりした香りが空きっ腹を直撃して離さなかった。


「ちょっと食っていこうぜ。急には降らないだろうし」


「そうするか」


 英二は珍しく俺の意見に賛成し、邪魔なバケツと釣竿を沢渡さんに押し付けようとした。


 そのときだった。


「え?」


 俺は目を疑った。突然沢渡さんの太ももから細く短い棒状のものが生え出したのだ。


 いや違う。生えたのではない。突き刺さったのだ。


「うぐっ……!」


 沢渡さんが半瞬遅れて呻き声を上げ、その場に横転する。


「は、話が……!」


「沢渡!」


 英二が荷物を放り出して駆け寄った。俺も釣り果を投げ出す。近くで仔細に眺めると、沢渡さんの足にえぐり込まれたのが小さな矢であることが分かった。出血はさほどでもなく、動脈からは外れたようだ。


「一体誰が……!」


 矢の突き立った位置から射出方向を逆算すると、左手の森林からのはずだ。俺は怒りにまなじりを吊り上げたが、相手が見えず距離もあり、かつ河を挟んでいることからどうすることもできない。


「おい朱雀、手を貸せ! 沢渡を運ぶぞ!」


 英二が沢渡さんの片腕を担いで起こそうとしている。俺も慌てて反対側の腕を自分のうなじに乗せた。不器用に歩き出す。


 矢による襲撃は当然一度では収まらなかった。森の闇から第二、第三の攻撃が飛来してきたのだ。それらは俺たち獲物に命中こそしなかったが、あふれる殺意は心胆(しんたん)(さむ)からしめた。


「ちっ」


 英二が音高く舌打ちする。その声に苦痛が混じっているように感じられたのは気のせいだろうか?


 矢の短さから、射手が使っているのはボウガンだろうと推測される。小銃でないのは助かったが、殺傷能力ではさほど引けを取らないはずだ。一発目こそ沢渡さんに危害を加えたが、それ以降はことごとく外れている。技術的には稚拙(ちせつ)で、それは俺たちにとって唯一の好材料だった。


 前進は亀のようにはかどらなかった。俺たち一行で最も体格のある沢渡さんを、小柄な英二が片方に陣取って運んでいるのだ。それでは速度が出るはずもない。


「純架! 純架!」


 俺は(のど)も枯れよとばかりに親友の名を叫んだ。こっちはだだっ広い、開けた場所に出ている。襲撃者からすれば格好の的だった。一刻も早く森の中に隠れねばならない。そのためには人手が必要だった。


「楼路君、どうしたんだい?」


 やがてシャンプーハットを被って髪の毛を泡立てた純架が、岩陰から姿を見せた。


 髪の毛を洗ってたのか?


 俺たちをしつこく狙って、もう何本目か分からない矢が河原の石ころを弾き飛ばした。純架が血相を変える。


「三宮君、代わろう」


 英二は自分の非力が逃避行に負の影響を与えていることを痛感していたのだろう。黙って純架と交代した。


「く、車……」


 沢渡さんが苦痛を押し殺しながら呟いた。額の汗が痛々しい。


「車は防弾ガラスと複合装甲で安全です……。そ、その中へ……!」


「分かりました」


 俺と純架は息の合った歩調で、先ほどより遥かにスムーズに沢渡さんを運んでいった。


「どうしたのその矢?」


 奈緒と日向、結城が驚いて走り寄ってきた。肉を焼く芳香(ほうこう)が空腹にうらめしい。


「ボウガンで狙われてるんだ。逃げるぞ!」


 日向が鋭くおののいた。


「えっ、何で、何で? 誰が、どこから、一体……!」


「承知しました」


 結城が日向の肩を押さえ、冷静沈着に応じた。この際はそれで助かった。

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