335失われた刀事件01
(五)失われた刀事件
今年は平年を上回る暑さということで、俺は汗みずくで水分補給をこまめに取らなければならなかった。というのも、派遣業者に登録した俺は、紹介される短期アルバイトをこなして小遣いを稼いでいたからだ。きつい肉体労働の数々にもめげず、俺は若さを生かして何とか合格点を上回る作業ぶりを発揮していた。
「あーくたびれた」
その日は倉庫業の荷物仕分けに残業まで参加。勤務用紙にサインをもらうと、くたびれた体を引きずって家路に着いた。
どうにか我が家へ帰ると、冷房の気持ちよさに感激しながら、玄関でいそいそと靴を脱ぐ。そこへ戒める声があった。
「ちょっと、何だよそのシャツについた白い粉は」
朱里だ。部屋着でアイスクリームを舐めている。くっ、美味そうだ。俺は靴下姿で上に上がった。
「これか? 多分汗の跡だ」
朱里が後ずさる。心から嫌そうな顔をした。
「汚ねえな。さっさと風呂入れよな」
「お前は入ったのか?」
「まだだけど」
俺は朱里のそばをすり抜けて廊下を歩き出す。
「じゃあいつもどおり待っててやるから、さっさと済ませろよな」
しかし意外な答えが返ってきた。
「いや、オレが後でもいいぞ」
俺は足を止め、彼女を振り返る。何となく視線が合った。
「へえ、どういう風の吹き回しだ?」
朱里はグッと言葉に詰まる。しかし喚き散らすことで沈黙を破壊した。
「いいから! 汚い格好でうろつかれてもこっちが困るんだよ。シャワーで埃を流してこい」
「何だよ? ……まあいいか。じゃ、そうさせてもらうわ。ありがとな」
「お、おう」
風呂から出ると、俺は自室に戻った。ちょうどタイミングよくスマホから着信メロディーが流れてくる。着替えを放り出して手に取ってみると、発信元は純架だった。俺は応答ボタンを押す。
「よう、どうした? お前からかけてくるなんて珍しい……いや、そうでもないか」
純架は今回は真面目な話らしかった。特に奇行することもなく会話を進める。
「楼路君、君はアルバイト経験豊富だよね? 去年のゴールデンウィークでは、『変わった客事件』で喫茶店『シャポー』のウェイターをやっていたし。朱里君に聞いたところによれば、最近は肉体労働系の仕事に精を出しているとか」
俺はあらかじめエアコンをオンにしておいた室内で、火照った体をクールダウンさせた。
「まあな。『探偵部』は運動系の部活じゃないから、なまった体を鍛える意味ではアルバイトもしないとな。小遣いも稼がなくちゃならないし」
純架が口調を改めた。
「そこでだ、楼路君」
居住まいを正すような音が聞こえてくる。正座でもしたのだろうか。
「僕にもその筋の短期アルバイトを紹介してくれないかな」
「へ? ……まあ、別にいいけど……。何か入り用なのか?」
純架の声は淡々としていた――多少暗かったが。
「実は僕の妹、愛君の進学費用を、母さんがサバイバルゲームの装備拡充に使っちゃってね。ざっと15万円ばかり浪費してしまったんだ」
俺は頭を抱えた。どんな母親だよ……。純架は抑揚に乏しい声で続けた。
「当然僕の父さんが久々に怒り狂う……かと思いきや、『まあ仕方がない』の一言で済ませてしまったんだ。そして彼は僕に言ったのさ。『もし真に妹のことを想っているなら、アルバイトの一つでもして稼いでやったらどうかね。愛は中学生でまだ働けないのだから』ってね」
「滅茶苦茶だな」
「まあそういうわけでね、僕も大変なんだ。何とか残り少ない夏休みで15万円捻出しなくちゃならなくなった」
ここで俺にお願いするような卑屈な態度に切り替わった。
「そこで君にアルバイトの先輩としてご意見うかがおうってわけさ。どうかね?」
俺は彼が肝心要の点を失念していると思い、冷静に指摘した。
「おい、アルバイトするなら、まず学校に届け出ないとまずいんじゃないか?」
しかし純架は狼狽したりしなかった。
「ああ、それなら僕が渋山台高校の新1年生になったときに、母さんが教師陣から許可をいただいているよ。先見の明があったわけだね」
「それ、先見の明って言うか? 何にしても大したお袋だな」
「で、どうだい? 何か稼げるバイトはないかね?」
「そうだな……」
俺はカーペットにあぐらをかいて少し脳味噌を回転させた。
「そうだ。お前が隣の家に引っ越してきたときに、運送会社『白犬タケル』を使っただろ?」
「ああ、うん。テレビのゴールデンタイムでCM流してるぐらい有名だから、父さんも信頼してあそこに頼んだんだっけ」
「あれの引っ越しの仕事ならすぐに出来るぞ。何なら人手不足で困ってるぐらいだって、派遣業者のオペレーターが言ってたし。どうせ働くなら俺と一緒でいいだろ?」
「うん。……しかしまあ、引っ越しの手伝いだなんて最もきつい肉体労働じゃないか」
「嫌か?」
純架が首を振る気配がした。
「いいや。仕方ない。お任せするよ」
その後、わざとらしく嘆いてみせる。
「僕は楼路君に出会ったときにも言ったけど、肉体方面は向いてないんだよね。運動神経に自信がないわけじゃないけど、体自体はやわだからね。頭脳方面の仕事がふさわしいんだ。こんなことなら、『探偵部』の活動を有料にしときゃ良かったよ」
「あほ。そうしたら誰も依頼に来なくなるぞ。……で、いつから働ける?」
「僕はいつでもいいよ」
「分かった。じゃあ明日会社に話を通しておくから。顔写真を貼った履歴書を用意しておけよ。市役所に行って、『住民票記載事項の証明書』も受け取ってこい。今更辞退はなしだからな」
純架はようやく明るい声を出した。
「うん、当然。じゃ、よろしく頼むよ。ところで、AKB48で誰が推しかね?」
俺は面食らいながらも熟考する。
「俺か? そうだな……」
答えようとした矢先、通話が切れた。
聞く気がないなら質問するな。
こうして二日後午前、純架は俺と共に派遣業者『青山キリンサービス』の事務所に向かった。軽い面接と注意事項確認をパスして手続きを済ませると、早くも最初の仕事に取り掛かる。純架は展開の早さにも負けじと対応していた。
「よし、頑張ろう」
印刷された地図を受け取り、電車に乗る。二駅先の構内でバイトリーダーの阿部寿三郎さんと合流した。全員同じ派遣業者の専用Tシャツ――黒字に白い英語で『青山キリンサービス』と書かれている――を着ているので分かりやすい。
「俺が阿部です。今回は『白犬タケル』さんの現場です。気合入れていきましょう」
やっぱり『白犬タケル』は仕事が多いな、と俺は思った。屈強な阿部さんの前で、高校生の俺と純架は一回りも二回りも小さい。何となく気後れしつつ、彼の先導で駅を出た。
駅前のビル群から5分ほど離れた住宅街の一角、新築の広壮な2階建て一軒家の前まで移動してきた。どうやらここが今日の仕事場らしい。庭に当たる場所に『白犬タケル』の文字が刻まれた軽自動車が停まっていた。他に車はない。
阿部さんが、その背が高くガッシリした体つきを前に折る。『白犬タケル』の制服を着た男に挨拶したのだ。




