326海水浴場脅迫事件04
純架は自身の腕時計をちらりと見る。防水機能付きで2万円はくだらないそうだ。妙なところに凝っていた。
「休憩時間の分配なら最初に伝達してあります。おっと、そろそろ僕と楼路君の休息タイムですよ。須崎さん、僕らと一緒に海の家で食事といこうじゃないですか」
須崎は反対しない。彼もまた腹ペコらしかった。
「いいだろう。おごらないからな」
俺たちは30分の休憩時間を海の家『ビッグパラソル』で過ごすことにした。向かってみると、店の隣に巨大な――2メートルはある――タコの風船ぬいぐるみが据え付けられている。俺はそのげじげじ眉毛で鉢巻を締めたキャラクターが、どうやら店のマスコットらしいと勘付いた。風にかすかに揺れている。
「何だ、ずいぶんでかいな。砂に打ち付けた杭で固定されてる」
須崎は海の家にもマウントを取った。
「くだらん。子供客を誘い込むために媚びているだけだ」
昼時はとっくの昔に過ぎていて、ちょうど席が空いている。俺と純架、須崎の3人は女性店員に入り口左へ案内された。彼女は赤いビキニの上に、太ももまである長くて薄い白シャツを重ね着している。迫力ある胸の大きさで、どこかエキゾチックだった。分厚い唇が特に印象深い。
『ビッグパラソル』は吹き抜けになっており、日陰と浜風がマッチして発汗が鎮まってくる。俺たちはメニューを手に取った。
純架が目を閉じ、人差し指を献立表の上でさ迷わせた。ははあ純架の奴、注文が決められないから運を天に任せたわけだ。俺はそう見て取り、彼の指がチャーシュー麺の文字の上に止まるのを確認した。純架が目を見開く。
「僕はやっぱり定番の焼きそばかな。楼路君、須崎さん、一緒でいいね?」
チャーシュー麺じゃねえのかよ。紛らわしいことするな。
須崎が空きっ腹を撫でた。
「俺はフランクフルトを追加だ」
俺は海の家といったらやっぱり……これでしょう。
「抹茶かき氷を頼んじゃおうかな」
「どうでもいい。勝手にしろ」
手厳しい須崎の一蹴だった。俺は丁重に無視して挙手する。ホールを担当しているさっきの女性を呼び寄せた。
「焼きそば三つとフランクフルトと抹茶かき氷をください」
「かしこまりました。店長……」
カウンターの奥で豪快に焼きそばを調理しているサングラスの男が店長らしい。坊主頭で小麦色の筋肉質な肌だ。白く美しい歯並びは抜群に印象がいい。グレーのシャツにベージュのパンツといったいでたちで、身長190センチはあるだろう大柄な人物だった。
サムアップして歯を光らせる。
「うけたまわった!」
まるで陽気なアメリカンだった。
その隣で調理を手伝っているのはなかなかの優男だ。キッチンに立つと見栄えがする。白い頭巾からモップのような黒髪が覗いていた。
「承知!」
いちいち返答する。まあ、いいんだけどね。
俺たちは食欲をそそる香ばしい匂いに期待を込めつつ、一望可能な海辺を眺めた。まだ帰らず遊んでいる利用客はたくさんいる。あの脅迫状の犯人は、今も同じ景色を眺めながら、虎視眈々と蛮行を仕出かす機会を待ち構えているのだろうか……
お冷やを飲みながら待っていると、先ほどの女性店員がトレイを運んできた。テーブルに湯気を立てる皿を次々と置いていく。
「こちら焼きそばになります」
純架はよだれを垂らさんばかりに喜んで、割り箸を手にした。女性店員はフランクフルトと抹茶かき氷も置いていった。「ごゆっくりどうぞ」と離れていく。
俺は割り箸を割った。
「いやあ、美味そうだ」
須崎は早速がっついている。フランクフルトと焼きそばを交互に食べていた。
「俺も腹が減ってたんだ。うん、美味い」
純架は焼きそばをすすり込みながらその相好を崩す。
「うん、うん、美味い美味い。こりゃご馳走だね。きっと売り上げも相当でかい……」
そこで純架の箸が止まった。俺と須崎がいぶかる。純架の両目は目の前の焼きそばを見ていなかった。こういうとき、彼の脳味噌は猛スピードで回転し、推理の軌跡を空中に描き出すのだ。
それを知らない須崎は馬鹿にしたように言った。
「どうした桐木。虫でも入ってたか」
純架はお手拭きで口元を拭うと、「ちょっと気になることが出来た。聞いてくるよ」と断って、食べかけの焼きそばを残して席を立った。そのままカウンターの向こうにいるレジ打ちの女性店員に話しかける。彼女は縁なしの眼鏡をかけて、黒髪は左で縛っていた。常に首を傾けており、大きな瞳は愛くるしい。胸はそこそこだがそれ以外はモデルのような体型だった。
純架と彼女の話の内容は、遠いのと他の客の談笑にさえぎられるのとで聞こえないが、どうやら深刻そうだった。女性店員が顔が引きつらせ、何かを探すように周囲を見回している。
須崎が食事の手を休めて傍観していた。
「あいつ、何か閃いたのか?」
俺もよく分からない。
「多分……」
やがてサングラスのいかした店長が、レジ打ちの女性に話しかけられて調理の手を止めた。彼は眼鏡を外して現れた渋い眼で、カウンター内をきょろきょろと見回した。うろたえたように叫ぶ。
「ない! なくなってる!」
純架がその言葉と反応に満足したように二、三度うなずいた。こちらへ戻ってくる。大魚を釣り上げた漁師のような顔つきだった。須崎が血相を変え、興奮のあまり息せき切って尋ねる。
「おい、あの店員たちと何を話したんだ? 尋常じゃない狼狽振りだが……。教えろ桐木」
純架はもったいぶらなかった。席に着くと声を低め、頭を寄せ集めるように喋る。
「簡単なことです。店の売上金をしまった手提げ金庫がなくなっているんじゃないかと、確認してみたまでです」
「手提げ金庫?」
俺は話と脅迫事件との間に接点を見い出せなかった。
「どういうことだ、純架」
純架は丁寧に解説した。その頬に興奮の赤みがある。
「僕は犯人が『海で泳ぐ者が重大な脅威にさらされるであろう』と書いていたことが頭に引っ掛かっていました。『海で泳ぐ者が』です。なぜここを強調したのか……」
須崎は焼きそばもフランクフルトもほったらかしで沈思した。
「言われてみれば確かに妙だな。まるで浜辺でくつろいでいる人々は狙わない、とでも言いたげだ」
「そう、犯人の狙いは海水浴客ではなかった。海で泳ぐ利用客に『重大な脅威』を与えるのではなく、そこへ監視員やライフセーバーの警戒を集めることで、自分の本当の犯罪から注意を逸らしたかったのです。そしてそれが上手くいくと、この海の家『ビッグパラソル』の手提げ金庫をまんまと盗み出した……。この犯罪は威力業務妨害であると同時に、脅迫で作り出した隙をついた窃盗だったんです。目的はお金だったんですよ」
今も店長や調理補助が作業を中断し、店内を引っ掻き回している。金庫が見つからないのだから無理もない。売上金がたっぷり入った手提げ金庫。これがなくては何のための営業か。




