317ダイヤのネックレス事件01
(二)ダイヤのネックレス事件
アスファルトの道路の左右で木々が生い茂り、灼熱の太陽がそれらをあぶる。そんな処刑場のような、見ただけで汗が湧き出てくる光景も、今は別世界だ。俺は振動の少ない乗り心地の優れた車に乗って、エアコンの冷風に快適な気分を味わっていた。
トヨタの15人乗りハイエースコミューターGLは、4WDの実力で、山に切り開かれた道をぐんぐん飛ばしていく。運転手は英二の護衛である黒服の一人、車の運転に抜群の才を示す福井さんだ。車内でくつろいでいるのは、総勢10名の『探偵部』と、福井さんを初めとする身の回りの世話係である黒服4名。
そう、今回我々『探偵部』は、英二の山荘に向かっているのだ。1泊2日の予定で、バーベキューや川釣りや花火などをして遊ぶ予定だった。これには反対する『探偵部』部員は一人もいなかった。
最後部の座席に腰を落ち着けて弁当を食っているのは、巨漢の1年生、柳健太。喧嘩では誰にも引けを取らないが、彼が暴力を振るうことなどほとんどない。あっても誰かを守るためとか、犯人を逮捕するためとか、その場面はごく稀少である。彼は大柄で太っちょであり、焼いた餅のように丸く膨らんだ顔つきだった。その目は糸のように細く、首は短くてほとんど見えない。悩み事がなさそうな、見ていて気持ちのすく後輩である。身長は188センチと、ほとんど巨人だった。
俺はその隣の朱里に椅子越しに声をかけた。
「おい、ガム持ってないか?」
朱里はグラマラスな体型を際立たせる無地のシャツに膝丈のスカートだ。
「ないよ。あってもやらないし」
俺はやれやれとばかりに視線を外し、今回のホスト役である三宮英二に焦点を合わせる。英二は純架に対抗できる美貌と低い身長、及びその鋭い思考から、「神童」と呼ぶにふさわしい。格好いいというよりは可愛いというのが似合っているが、そんなことを口にすれば彼は誇りを傷つけられたと憤慨するだろう。茶髪は癖が強く巻いており、寝癖でもつこうものなら直すのに骨が折れそうだった。その瞳は宝石のように澄明で、尖った鼻はまだ成熟し切れていない幼さを醸し出している。
大富豪・三宮財閥の跡取りだが、最近はそれを鼻にかけることも少なくなっていた。
「おい英二、何かガムを持ってないか? 口寂しいんだ」
「ガムならブルーベリーがあるぞ。一枚分けてやる。おい結城、渡してやれ」
結城とは英二の専属メイド、菅野結城のことを指す。朱里よりも更に整った体型をしているが、それは今紺のスーツに隠されていた。銀縁眼鏡の奥のグレーの瞳は、無限に続く回廊の入り口のような底知れなさがある。成績優秀、スポーツ万能な才女であり、近づく者を一撫ですれば深く切り裂くであろう鋭利な印象があった。
「はい、英二様」
英二と結城は主従関係にある。だが恋人関係ではなかった。かつてはそうであったのだが、近頃英二の父――三宮剛の苦言で解消させられたのだ。その結果――
「英二、しりとりでもしようか?」
今の英二は、新たな恋人である藤原誠と付き合っているのだった。いわゆる同性愛である。もっともより注意深く探れば、誠が性同一性障害者であり、女の体を持つ男であると、勘付ける人はいるかもしれない。ともあれ、精神が男性ならそれは男性なのだ。
「じゃあ俺から。タオル」
「ルーペ……」
誠は栗色の巻き毛で、その顔は誰がどう見ても男そのものだった。財宝を収めた沈没船が眠る海、そんな静かな瞳だ。睫毛は長く、鼻と唇は設計図でもあるのかと思うほど端正である。均整の取れた体格で、その背丈は英二より3センチばかり高いというだけの低さだった。
古典的な遊びで暇を潰すカップルをよそに、結城は俺にガムを手渡ししてくれた。その様を見ていたのか、台真菜が割り込んでくる。
「あたしもガムが欲しいですです!」
褐色の肌に片側で縛った赤茶色の髪が、薄い若葉色のワンピースから飛び出していた。真珠のような黒い瞳は凛々しく、小振りな鼻や大きな口と共に深い印象をこちらへと与えてくる。少し猫っぽくて、野性味に溢れていた。しなやかな体躯、滑らかな動作は高い運動神経の発露だ。たった今まで寝ていたらしく、口の端のよだれをハンカチで拭いていた。
結城が最後の一枚を真菜に手渡す。
「ガムはこれで終わりですね」
真菜は早速包み紙を開いて、ガムを口の中に放り込んだ。お行儀よく唇を閉ざして咀嚼し始める。
俺はその様子を見届けてから、自分の席に座り直した。直後、横から抗議の声を浴びせかけられる。
「ちょっと、私もガム欲しいなって思ってたのに!」
俺の恋人、飯田奈緒だった。ベリーショートの黒髪が少年っぽさを感じさせる。太陽に透かした麦茶のような大きい瞳に、小振りな鼻、魅惑的な唇が美貌を構成していた。丸まった耳も彼女の特徴の一つだ。
俺は苦笑いしてガムを二つに折った。
「じゃあ半分ずつ分けようぜ」
大きい方を差し出すと、奈緒は途端に頬を緩めた。
「優しいんだね」
「奈緒だけな」
ふと前の席を見れば、二つの隙間から固く握り合った手と手が確認できる。これは純架とその恋人、辰野日向の恋人繋ぎだ。俺はガムを噛んでブドウ味を楽しみながら、随分積極的な前席の二人に思考を集中させた。
日向はコンタクトレンズに黒いショートカットの美少女だ。かつてはそのスレンダーな体にいつもカメラをぶらさげ、黒縁眼鏡をかけていたものだ。服装も野暮ったかった。それが純架と付き合いだしてからというもの、奈緒の意見を仰いで、自分の容姿の改善に着手し始めたのだ。純架の超絶的な容姿端麗さには日向も――というか、日本在住の誰一人として――及ばないが、彼女は彼女なりに純架に追いつこうと努力している。見ているこちらが涙を誘われる懸命さでもって。
そんな日向は、渋山台高校新聞部との掛け持ちである。その取材能力は飛び抜けていると、かつて新聞部部長はお墨付きを与えていたっけ。
俺は奈緒を誘ってみた。
「俺たちも手を繋ごうか?」
返事はつれなかった。
「二人きりのときならね。今はやだ」
「とほほ……。畜生純架め、見せ付けやがって。何て嫌な奴だ」
逆恨みでしかない言葉を吐くと、純架と日向を冷やかしてやろうと、俺は立ち上がって首を伸ばした。
「ん? これは……!」
よく見ると、それはがっちり握手したマネキンの手を、純架と日向がそれぞれの端を掴んで持っているだけだった。純架が俺を見上げる。
「やあ、やっと引っ掛かってくれたね。もういいよ、辰野さん」
「はい」
どうやら後ろの席の俺を騙すために、こんな真似を敢行したらしかった。奇行である。
このためだけにマネキンを買ったのか?




