312二人の投手事件04
純架は自己紹介した。
「はい、僕が桐木です。こっちは『探偵部』部員の富士野楼路君。スリと万引きで今日まで生きてきました」
何でだよ。
桃山先輩は値踏みするように俺と純架を交互に眺める。その上で言った。
「早速だが、秘密は守ってもらえるんだろうな? ……本当は電話で済ませたかったんだが、内容が内容だけに、ちゃんと会って目を見て話したかったんだ」
『探偵部』部長は力強くうなずく。
「その点ならご心配なく。当部活動は秘密厳守とインサイダー取引をモットーにしております」
後半はまずいだろ。
桃山先輩は周囲に視線を走らせ、3人以外誰もいないことに安心する風だった。
「実は宇治川外部顧問の直々の依頼でな。外部の者に野球部内を調査してほしいってことになったんだ。そして監督は、今までの『探偵部』の辣腕ぶりにいたく感心している」
純架はみっともなく相好を崩した。こと探偵活動に限っては、おだてや賞賛に弱い男である。桃山先輩が続けた。
「そこで『探偵部』を抜擢し、今回の問題を解決してくれるよう彼らに頼もうとなった。だが監督は対外試合と秋季大会のための指導で手が離せなくてな。それで引退した俺にこの一件を任せる、と丸投げしてきたというわけだ。まずはここまで、承知してくれたか?」
純架は桃山先輩にダーツの矢を手渡し、両手を腰に当てて仁王立ちした。
「乳首に当てたら100点!」
そんなゲームねえよ。つか、本気にされて投げられたら怪我するぞ。
元主将は賢明にもダーツの矢を脇に放り捨てた。純架は何事もなかったかのように大きく首肯する。
「なるほどなるほど。大丈夫、当『探偵部』に一切をお任せください。……それで、どんな問題が発生したんですか?」
桃山先輩は曇り空を見上げた。
「ここだとちょっと降られるかもしれない。昇降口で話そう。部室はもう俺の利用可能な場所じゃないからな」
俺たちは一応傘を持ってきていた。もっとも純架のそれはヘルメットの頂上に取り付けられており、彼は「両手が塞がらずに歩ける」と大いに自慢していた。
高校生にもなって、ヘルメット傘って……
3人揃って下駄箱が並ぶ区域に入る。人影はない。それでも桃山先輩は声を低めて用心深げに語った。
「君らは見たか? 県予選の決勝、俺たちと星降高校との試合を」
なぜかヘルメットを被って傘を広げた純架を無視して、俺は答えた。
「はい。俺んちで二人一緒にテレビ観ながら応援してましたよ」
「なら試合の経過は頭に入っているな?」
「ええ。常に先を越されて追いつけず、最後は5対10の大差で敗れてしまいました」
「話が早い。実はあの試合後、レギュラーと非レギュラーの野球部全部員の間で、とある噂が広まっているんだ」
純架が傘を開閉してはしゃいでいる。
「それは、どんな?」
元野球部員は重苦しい口調で鉛玉のような言葉を発した。
「投手である三上と岡田のどちらかが、八百長したんじゃないかってな」
静寂が周辺の人造物を単色に染め上げる。俺の相棒は、ややあって口を開いた。
「八百長を? ……つまり、どちらかがかねて星降高校と打ち合わせて、試合でその通りに投球し、わざと相手に打たれたってことですか?」
「かいつまめばそういうことだ。あるいは片八百長、つまりこちらが打たれやすい球をわざと投げた、ということかもしれないが」
俺は無言で試合中継を思い返していた。確かに三上の投球はずさんだった。連戦連投の疲れで肩でもいかれていたんじゃないかと考えていたが、あれが八百長行為だったなら納得がいく。
岡田もそうだ。せっかく打線が奮起したというのに、直後にそれを台無しにする4失点。渋山台高校野球部は、あれで息の根を止められたも同然だった。負けるためにわざと打たれたのだろうか?
純架は傘をパカパカ開閉しながら質問を重ねた。
「三上君と岡田君、両方八百長していたっていう可能性は?」
桃山先輩は顔をしかめる。顎をさすって心底辛そうにかすれた台詞を吐いた。
「それもある。もちろん俺の願望としては、どちらもわざと負けたなんて信じたくはない。だが、これは私情混じりで対処すべき事態でないことは確かだ。俺が宇治川監督に聞いたところ、部内の1年2年の全員がこの話題で持ちきりだという。何せあの試合で勝っていれば甲子園進出が決まっていたんだ。その夢を八百長で破壊されたとなったら、三上か岡田か――あるいはその両方が――殴り合いのようなトラブルに巻き込まれないとも限らない」
失ったものの大きさを考えれば、確かに暴力沙汰に発展することも考えられる。
「今回君たち『探偵部』に依頼したいのは2点だ。八百長が本当にあったのかどうかと、この噂が誰の口から出たものかとを追及することだ。やってくれるか?」
純架はスペシャリストを気取って丁重にお辞儀した。傘の端が前キャプテンの頭部に引っかかる。
早く閉じろ。
「もちろんですよ、桃山先輩。僕らにお任せください。必ずや解明してみせます」
雨は降りそうで降らなかった。純架は野球部の練習を花壇の端に座って眺めている。
「さて、君ならどうするかね、楼路君」
俺は部員に檄を飛ばす宇治川監督の姿を視界に捉えながら、腕を組んで突っ立っていた。
「当然、噂の中心人物である三上と岡田に直接聞き込む。『八百長をやったのか?』ってな。せっかく宇治川外部顧問と桃山前主将が、野球部以外の人間である俺たちに調査を依頼してきたんだ。ここは部外者らしく、正々堂々正面から切り込むべきだ。違うか?」
純架は俺を見上げて微笑んだ。
「その通りだよ。二人の反応を見れば、意外に簡単にことの真相に辿り着けるかもしれない。ここはよそ者の立場を有効利用すべきだね」
宇治川監督が引き上げていく。野球部員たちは今日の仕上げとばかりにトラックを走り始めた。黒雲は気がついたら引き上げていて、雲間から斜めに陽光が差し込んでいる。
「よし、早速行ってみよう」
純架は起き上がると尻の埃を払った。ついでに両足や両太もも、両手や胴体、顔や後頭部の埃も払う。
神経質すぎるだろ。
俺たちはトラックの内側に移動して、カーブから直線に入った集団を待ち構えた。純架が大声で名前を呼ぶ。
「三上君! 岡田君! ここにおいしいFX投資の話があるよ!」
二人から金を強奪しようというのか?
俺は仕方なく後を追うように叫んだ。
「三上! 岡田! ちょっと話がある!」
投手二人の名前に、ひと塊の野球部員たちは何となく話の内容に気付いたらしい。それでも素知らぬ顔で目の前を通り過ぎる。後ろ髪引かれる思いが、球児たちの背中に如実に表れていた。
三上と岡田が息を弾ませながら俺たちの元に残る。ほぼ同着だった。純架は二人が呼吸を鎮めるのを待つ間、四股を踏んで無駄に体力を使う。
力士かよ。
「やあ三上君、岡田君お疲れ様。悪いね、ランニングのところを邪魔しちゃって」
三上が額の汗を腕で拭う。
「どちら様ですか?」




