310二人の投手事件02
純架は俺のゲーム機を指差した。
「脈絡なくて悪いけど、これ貰ってもいいよね?」
駄目に決まってんだろ。
「でもそんな速球派でもないし、狙いを定めればいけそうだけどね」
実況が車のエンジンもかくやとばかり、その饒舌をふるった。
『渋山台高校先発、三上譲治。中学ではエースピッチャーとしてチームを県大会優勝に導いた新人です。そのときの監督が宇治川さんで、彼の元で投げたいと、後を追うように渋山台高校に入学したそうです』
俺はつまみの菓子を口に放り込む。
「へえ、そうなんだ。経験者ってわけか。それも、かなりトップクラスの……」
三上は虎のような外見で、端正な相貌は日焼けしており、歯の白さが際立っていた。
解説のしゃがれた声が室内に響く。実況に比べればのんびりとした喋りだった。
『三上君の武器は速いストレートですね。最速155キロとか。時折チェンジアップも混ぜますが、これはあくまで相手を揺さぶるためのものらしいです』
ほう、剛腕か……。俺はパリパリに乾いている嗜好品を咀嚼した。純架がポテチを麦茶に浸し、デロデロにしてから食べる。
「うーん、美味い!」
いや、不味いだろ、それ。
『三上、最初のバッターをノーボール・2ストライクと追い込みます!』
ここまで放った2球はどちらも140キロ台後半の速度だった。まるでプロ並だ。このまま押し切れるか?
だが……
『おーっと、ホームラン! 先頭打者本塁打を打たれてしまいました、三上!』
何とど真ん中に投げたボールをバッターが打ち返し、それはスタンドに飛び込む先制の一打となってしまった。純架がスコアボードに表示される『1』の文字を見つめる。
「あらら……」
夏真っ盛りのマウンドで、帽子を取り額の汗を拭う三上。その背後を打者が悠々と走っていく。快晴に照り映えるホームベースが無情にも敵手に踏まれた。笑顔に包まれる敵陣とは対照的に、三上の表情は暗い。
その後、三上は投げる球をことごとく打たれ、ノーアウト1、2塁になった。俺はテーブルを挟んで純架と菓子を奪い合う。
「おいおい、初っ端からやばいぞ」
「立ち上がりが悪いね」
『また打たれました! これは星降の立川、一気にホームを狙う!』
三上は2ベースヒットを献上し、一挙2得点を許した。相手応援団の大歓声が球場にこだまする。
「あちゃー……」
「何やってるんだい、三上君……」
これで3失点。更にノーアウト2塁。我らが渋山台高校は、早くも窮地に立たされた。純架が生真面目に言う。
「こりゃ100失点もあるかもね」
「観たことねえよ、そんな試合」
てっきり純架の奇行だと思っていたら違った。彼は指を振って俺を戒める。
「高校野球で122対0の試合がかつてあったんだよ。何でも奇行扱いしてもらっちゃ困るね」
そう言いながらチップスの欠片を鼻の穴に詰め込む。
奇行しながら言われてもな。
三上は奮起したのか、その後は安定したピッチングでこれ以上の被安打を阻止。試合は0対3で1回裏を終えた。
俺はティッシュで鼻を掃除している純架に尋ねた。
「三上はここまでずっと先発だったのか?」
「そうみたいだね。それによる疲労でもあったのかな。これは途中降板、投手交代も視野に入れないとまずいだろうね」
「宇治川監督の判断はどうなんだろうな」
2回表の渋山台高校の攻撃。4番の3年生倉内がお返しのソロホームランを放った。
「よっしゃあ! さすが4番!」
「景気づけにちょうどいいね!」
5番は背番号3、渋山台高校野球部主将の桃山卓志。
『今大会では打率4割を超える桃山の出番です』
俺はテレビの液晶画面の向こうへ祈願した。
「頼みますよ桃山キャプテン!」
空振り、ファウルであっという間にツーストライク。しかし3球目のボール球をこらえると、ぐっと精悍な顔になった。
そして4球目はレフトへ。豪快な3塁打だ。純架が興奮して手を叩いた。
「やったね!」
6番、福田が三振に倒れた後、7番の副主将西神が痛烈な二塁打! 桃山主将が悠々とホームを踏んだ。
俺はあまりの歓喜に空へ拳を打ち振るった。
「凄いぞ西神先輩!」
純架が慎ましやかに拍手した。
「さすがだね。これで1点差、分からなくなってきたよ」
続く8番は、投手でもある三上。しかし彼は積極的なスイングを見せず、見逃し三振に倒れる。俺はさすがに不安になった。
「おい純架、三上ってバッティングは駄目な方なのか?」
「いや、結構打ってる方だけど……。何だか今日の三上君は精彩を欠いているね」
純架はそう言って死体のようにごろりと寝転んだ。顔面蒼白で唇は紫色だ。
お前も精彩を欠いているぞ。
9番のキャッチャー白永はレフトフライに倒れ、スリーアウトで攻守交代。2回裏、星降高校の攻撃になった。
純架は元気良く起きて菓子を噛み砕く。
「まあ三上君はこれからだよ。ちょっとエンジンのかかり具合が遅かっただけで、この2回からは本来の投球に戻ってくれるはずさ。何といっても決勝まで渋山台高校を導いたエースなんだからね」
しかし俺たちだけじゃない、我が校を応援する全ての人々は悪夢を見ることとなった。
何と三上はここでも甘い球を乱発し、一挙3失点を喫してしまったのだ。両軍の得点は2対6と4点差に開き、更に2アウトながら満塁の危機を迎えた。
これには俺たちもテレビの前で、三上以上に打ちのめされた。純架が麦茶を飲もうとして、既に空っぽになっていることに気付く。
「もう三上君はボロボロだ。あんな酷い投球じゃ打たれて当然だよ。控えの投手を出してあげた方がいいね」
「宇治川監督、動いたみたいだぞ」
本当に投手交代となった。今まで酷使され続けてきた三上がベンチに戻り、代わってマウンドに上がったのが――
「おお、岡田だ。あいつ、県大会決勝まで来たってたのに、俺に教えてくれなかったな」
「君も疫病神扱いされてるんじゃないの」
「ほっとけ」
『岡田優作はこれまで登板の機会がありませんでしたが、三上がよほど調子が優れないのでしょう。ここまで出ずっぱりで投げてきた疲労が蓄積したのか。あるいは張りや怪我といったハプニングでも起きたのでしょうか。ここでマウンドを譲ります』
俺は投球練習をする、狐のような面構えの男――岡田を注視した。目が細く、本当に見えているのか疑問に感じる顔つきは相変わらずだ。
純架がエアコンの涼しい風に黒髪をなぶらせる。
「岡田君は僕らのクラスメイト、2年1組の同輩だからね。こりゃ応援しないとね」
「知ってるか? 英二ほどじゃないけど、岡田もいいところの坊ちゃんなんだぜ」
「へえ、それは初耳」
バッターボックスに相手打者を迎え、岡田は華麗なチェンジアップ、スライダーの変化球を投げ込んだ。5球目でキャッチャーフライに切って取る。ここに苦しい2回裏がようやく幕を閉じた。




