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303秘密倶楽部事件07

 ソファに座る寝ぼけた目で大柄の男が、「葛西、誰だそいつ」と尋ねてきた。薬が完全に決まっている、ろれつの回らない口調だった。葛西は俺の肩に腕を回してくる。


「いや、合言葉知ってたんで、(とおる)さんの知り合いかなって。俺はこいつ、初めて見ます」


 徹はふらりと立ち上がり、俺の顔をじろじろ眺めた。ともかく引き込んでしまえと考えたのか、大麻パイプを俺に押し付けてくる。


「まあ後で(てつ)さんに聞いとくわ。ほれ、お前も決めちまいな。大丈夫、大麻は使用だけじゃ捕まんねえからよ」


 俺は恐怖でちびりそうになりながら、それでも勇気を振り絞って葛西の腕から逃れる。


「すみません、哲さんに用事を頼まれてたんです。ちょっと失礼します」


 そんな嘘ごまかしをまくし立てると、俺はやや強引に部屋を出た。芹沢らしき声が何か叫んでいるのを耳にしながら、猛ダッシュで逃走する。やばい、捕まったら何されるか分からん。俺はオリンピックに出れそうな疾走をかましながら、マンションの外へ飛び出した。


 そこには既に移動していた純架が、俺の自転車を用意して待ち構えている。


「逃げよう!」


 俺と純架はその場から走り去った。




「大麻?」


 逃げ切った先の公園で俺の報告を受けた純架は、目を丸くして驚く。ICレコーダーの音声もチェックし、確かに徹の『大麻』という単語もはっきり聴き取った。


 夕日が燃え尽きる頃合いで、公園には俺たちだけだった。純架は帽子で胸元を(あお)ぐ。


「これはどうやら『探偵部』の管轄外だね。警察事案だよ、まさしく」


 純架はそうつぶやいた。




 翌月曜日、俺と純架は先生方にスマホの撮影映像とICレコーダーのデータからなる調査内容を提出した。


「おいおい、ずいぶん大ごとになってきたな」


 宮古先生と乗田先生、青柳先生は揃って天井を仰いだ。元に戻ると、


「通報しよう。2人とも、今俺たちに話した内容を、麻薬取締官にも報告するんだ。今日の放課後でいいな?」


 純架は首肯した。




 合同庁舎別館に仕事場を構える地方厚生局麻薬取締部。そこで働く麻薬取締官たち。通称麻薬Gメン。警察ではないが、特別司法警察職員としての権限が与えられ、拳銃や特殊警棒等の小型武器での武装が認められている。


 俺と純架に面会室で聞き取りしたのは、その麻薬Gメンの胡桃沢泰治(くるみざわ・やすはる)さんと、柳生文敏(やぎゅう・ふみとし)さんだった。


 胡桃沢さんは長めの金髪で、顔はすっきり整っている。ややださめの私服を着ていた。一方柳生さんはパーマのかかった茶髪で、以前に怪我でも負ったのか、唇の端が歪んでいた。こちらはまた砕けた格好だ。職務上、このような不適切な身なりでも許されるらしい。


「『探偵部』なんて馬鹿馬鹿しい。もう二度とそんな火遊びはやめてくれ。危険すぎる」


 胡桃沢さんはまずそう(とが)めた。純架はしかしうなずかない。


「今回はたまたま大麻パーティーに突き当たっただけで、普段からこうしたことをしているわけではないですよ。安心してください」


「どうだか。……ともかく以降は俺らが引き受けるから、洗いざらい話してくれ」


 俺たちは先生方に話した内容、明かしたデータを、ここでもまた提出した。


「そうか、『秘密倶楽部』ねえ。若いもんが巻き込まれているとあれば、早速行動を開始するしかねえな。……ありがとう、情報提供に感謝する」


 柳生さんが腰を上げた。それをきっかけに全員が立ち上がる。


「くれぐれも出すぎた真似はしないようにな」


 釘を刺して、彼らは俺たちを付き添いの宮古先生の元に返した。




 あくる日早朝、俺と純架、朱里は並んで登校しながら事件を振り返っていた。


「『秘密倶楽部』の事件はもう僕らの手から離れたよ。後は先生方と麻薬Gメンの皆さんが粛々(しゅくしゅく)とやってくれるだろうね」


 俺は今日も暑くなりそうな青空を見上げ、両手を後頭部で組んだ。


「まさか(うてな)さんが聞いた噂話からここまで大ごとになるとは、全く思わなかったなあ」


 朱里がのん気にあくびした。


「結局オレは参加できなかったけど、『探偵部』の手並みを拝見したみたいで、面白かったよ。また来ないかな、こんな事件」


 純架がそれに何か言い返そうとしたときだった。


 物陰から帽子にサングラス、マスク姿の男たちが、突如現れたのだ。総勢5人。俺たちの前方と背後を塞ぎ、逃げ場をなくす。それぞれがバットや鉄パイプなどの凶器を所有していた。


 男たちの一人が話しかけてくる。


「俺、兄弟がいないんだ」


 純架はとっさのことで、「えっ……」と戸惑った。男が笑う。


「その反応はやはり合言葉を知ってるな。『探偵部』の桐木純架!」


 男たちが詰め寄ってくる。俺たちは後退して寄り添った。


「桐木と富士野、お前らはこの前徹さんのマンションに来てただろ。俺たちの会合を麻取(マトリ)に知らせたな、そうだろう?」


 純架がとぼけた。


「さあ、何のことやら……」


 別の男が叫んだ。


「とぼけるな。仲間の一人がマンション室内に入ってきた富士野、お前の姿を確認しているんだ」


 やはり芹沢が見ていたのか。更に別の男ががなり立てる。


「これでもう徹さんとこに集まれなくなったじゃねえか! 探偵の真似事をしたらどうなるか、その体に思い知らせてやる」


 鉄パイプの男が素早く動き、純架のどてっ腹に蹴りを食らわせた。


「うぅっ」


 純架が痛みに耐えかねて転倒する。それを皮切りに、男たちはよってたかって攻撃してきた。俺は反撃を試みながら、朱里に向かって叫ぶ。


「逃げろ、朱里っ! 警察を呼べっ!」


「わ、分かった!」


 朱里はすっとんで逃げていった。男たちの狙いはあくまで俺と純架であるらしく、その後ろ姿に見向きもしない。


 俺は背中をバットで痛打されて前のめりに倒れた。多勢に無勢。とても抗戦できず、俺と純架はただひたすら、無遠慮に叩きのめされた。血飛沫(ちしぶき)が舞い、埃が全身に付着する。


 俺は苦痛と激痛に身をよじり、際限なく続く暴力に呻吟(しんぎん)した。足を、腕を、頭を、胴体を、折れたんじゃないかと思うほどの痛みが走る。もうやめてくれ。勘弁してくれ。口から血を吐きながら、俺はアスファルト上をのたうちまわって苦悶(くもん)した。


 一体何回殴られ、蹴られ、踏みにじられたか。俺はもう防御さえできず、このまま殺されるのかとさえ覚悟した。


 だが、男たちはさすがに俺たちの命を奪う気はなかったらしい。とうとう暴行は収束した。鼓膜が破れていないほうの耳に、男たちの荒い息遣いと声が届く。


「どうだ、勉強になっただろ。これに懲りて、二度と俺たちのことを探るんじゃねえぞ。分かったな」


 最後にきつい胴蹴りが来て、あばらが折れた感触が走った。それを最後に、男たちの気配が遠ざかっていく。俺は最後の力を振り絞ってどうにか頭をもたげ、連中が乗り込んだ車のナンバーを脳に刻み付けた。車は――青いスカイラインだ――急発進でその場から逃げ去る。後には朝の静寂が残された。


 俺は散々頭部を殴打されたため、思考にぼんやり(かすみ)がかかっていた。それでも何とか純架に声をかける。

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